本来は中世城館跡めぐりがテーマのはずでありました。もっとも最近は加齢と共に持病が蔓延し本業が停滞傾向に...このためもっぱらドジなHP編集、道端の植物、食べ物、娘が養育を放棄した2匹のネコ(※2019年11月末に天国へ)などの話題に終始しております (2009/05/21 説明文更新)
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引き続き父親の遺品整理。
父親はマメでな整理好きな性格だったせいか、戦前の陸軍時代の写真もある程度は遺されている。
主に習志野騎兵第16連隊関係が20枚ほどと、インドネシア占領後のスマラン州軍政部関係のものが少々。
このうちの前者については、概ね寄贈先が内定。
然るべき所で役立てていただくように算段するのも、残されたものの務めでもあるような。
なお写真のキャプションは戦後の復員後に付加したものと推定。

周知のようにノモンハンでの敗北を契機に騎兵という兵科は廃止され、退役後直ちに現地召集された父親は機械化部隊(軍用トラックに1個分隊程度の歩兵が乗り込み、運転席の屋根に7.7mm機銃を据え付けただけのもの)に編入されたと聞く。
本隊は概ね北支へと向かったが、父親の方は直接戦闘とは無縁のインドネシア人民に対する宣撫工作隊へと転属した。

ん、そういえば大学の卒論のテーマは「旧帝国陸軍の大陸政策」(現代史-軍事史)だったようにも...
幼い時に亡父から戦時中の話を聞かされたことはしはしば。
けれども習志野騎兵連隊当時の事情、あるいは終戦後間もない「スマラン事件」の真相を含め、その生き証人であった父親から正確な聞き取り調査を行おうと考えたことは一度もなく。

習志野騎兵第16連隊の軍事訓練風景(昭和15年頃か)
習志野騎兵第16連隊の軍事訓練風景
(昭和15年頃か)

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父親が会社勤めをしていた頃にもらってきた販売促進グッズのトランプ1組を発見。
退職したのは昭和49年2月末なので、それ以前以前のものであることだけは確かかと。
状態良好の未使用物。
とはいえ開封済みなので、恐れ多いことに1000円前後かと(苦笑)

販売促進グッズ
販促グッズ

あ、そういえば現在ペン立てとして利用している「ミロ」(麦芽飲料)のマグカップ(発売当時のもの)も。
と、些か取るに足らないものばかりが残されているのであります。

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先日の五玉算盤の一件に続く遺品整理。
このまま当方が所持していても散逸或いは廃棄処分となる可能性は大と推察。

昭和初期の軽井沢ゴルフ場
昭和初期の軽井沢ゴルフ場

今回は8年前に他界した父親の分。
昭和10年以前製作のものと推定される観光土産の絵葉書19点等を所縁の地へと寄贈。
その際に同時期に購入したと推定される数点の別の土産用写真を発見。
こちらの方はデジタル画像作成保存後に追加で寄贈することに。

なお今のところ、当人の分の整理については無論ずっと先の話であります。
尤も1950年代から60年代の観光土産の絵葉書では、確実に資源ごみ扱いかとも(笑)

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五玉算盤等に続いて、8年前に他界した父親の遺品整理。
昭和初期製作のものと推定される軽井沢町の絵葉書19点を寄贈。
亡父を偲びつつ絵葉書の撮影ポイントの幾つかを検証。
服用中の内服薬は低血糖もしくは高血糖にシフトする厄介な副作用付き。
偶には体を動かさないと、刻々と疾患の件数が増加する一方となるような次第。

凸碓井城山(長野県軽井沢町) 午前11時00分から11時20分
車で熊野大権現が所在する旧碓井峠へ。
烽火台とも伝わる信濃と上野の国境。
浅間山を遠望した風景は間違いなくこの個所から撮影したものと推定。

城山(旧碓井峠)
城山(旧碓井峠)

凸小館山砦(長野県軽井沢町) 同上
碓井城山から尾根筋伝いに南下した辺りなのだが、クマとの遭遇も含め歩いて行くだけの元気があるはずもなくちらっと遠望したのみ。

小館山砦
小館山砦

凸中村城(長野県軽井沢町) 11時45分から12時20分
資料によれば万平ホテル南側の丘陵とのこと。
比高差は40mほど。
藪も殆どなく、斜面も比較的緩やか。

中村城
中村城

この際は心身の鍛練と思いつつ、何も無さそうな丘陵をひとしきり散策。
建物跡とも考えられる大きめの腰郭1か所と烽火穴1か所。
無論、何れも願望に近いものであることには変わりなく。

■追分郷土館(長野県軽井沢町)
約束時間は午後1時。
予定通りに19点の写真絵葉書を寄贈。
その折、偶々一緒に持参した写真の中に6枚ばかりの軽井沢町の別の写真資料を確認。
こちらの方については、画像のデジタル化保存処理後、別途郵送により寄贈することに。

凸龍岡城(長野県佐久市-旧臼田町) 15時10分から17時15分 
もうひとつの五稜郭として名高い近世幕末期の陣屋址。
折しもPTAの会合の最中。
会員である保護者の車の出入り口は小口そのもの。
土塁の切れ目から次々と現れる自家用車の光景というのも珍しく。

龍岡城
龍岡城

僅か1mほどの石垣の段差の上がり降りに難渋。
また両足のバランスも自分の意思通りには動作せず。

凸田口城(長野県佐久市-旧臼田町)
大手の桝型探しに時間を取られ、帰宅後に気付いた龍岡城北側の露岩と急斜面が目立つ比高差80m前後の東西方向にのびた山稜。
尤も今の気力体力に照らし、とても這い上がることは叶わない状況でありました。

田口城
田口城

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先日来一昨年88歳で天寿を全うした母親の遺品を整理。
浅草下谷に生まれ関東大震災とその後の空襲などで3回も焼け出された経歴。
このため元々余り物を多く持つという性分でもなく。

都電荒川線(明治通りの交差点)
都電荒川線(明治通りの交差点)

このまま所有していても、必ず次代に引き継がれねば...というほどのものでもないことだけは確実。
比較的珍しい五玉算盤(1931年以前のもの)と区役所当時の写真2枚とその他を本籍地の博物館へ寄贈。
博物館が所在する江戸時代からの名所は、折から桜が見頃で昼間から花見客が大勢参集。



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