昨日は台風21号が日本列島の関西地区を横断し、その強風による大規模な被害が発生した。
近年は地震、水害などの自然災害が頻発し、何やら地球環境のメカニズム総体が大きく変容しつつあるようにも感じる。
地震災害を別にすれば多分に人類の営みに起因する要素も少なくないのかも知れない。
さて自宅のある埼玉県南では風速20m前後の強風が正午過ぎから深夜まで吹き荒れてはいたものの、恐らく県内では特に目立った被害は発生していないらしい。
当家では強いて言えば重量にして15Kgほどのプランターボックス(土入り、ベゴニア3株)が、強風で転倒していたくらいのものであった。
ベゴニアの茎は酷く折れていたこともあり、毀れ種から発芽増殖してしまったトレニアの株と入れ替えてみた。
それにしても今回のように12時間前後も強風が継続したのは、ここ50年ほどの間では余り記憶に無いように思う。
尤も1965年頃?に襲来した台風の時には、当市内(当時は町)でも数百戸の住宅の屋根(トタン葺)のが捲れ上がるなどの被害が発生したことは記憶にありそのイメージも残像のように残ってはいる。
また全く別の台風なのかも知れないが、大雨により荒川支流の柳瀬川が氾濫し、その両岸の水田地帯が約1週間ほど冠水し恰も湖のようになっていたことも記憶にあるのだが、既に半世紀以上も前のことであるので少しずつその辺りの記憶が曖昧となってきたらしい。
55年ほど以前、都内に在住していた折には、家屋の床下浸水を含む経験は何度かあるのだが、さらにその記憶は薄れてきている。
なお当時の自宅は元はといえば水田跡であり、石神井川の支流である旧谷田川の氾濫原のような地形であったという歴史的背景を明確に認識したのは未だ十数年前のことである。
先々月の5月から芽依ちゃんの体調不良やお守りなどのため、自分の通院などを除くと殆ど外出らしい外出をしておりません。
なお本日は昨年2月に手術した耳下腺腫瘍の経過観察のため、術後2度目となるMRI撮影であります。
酷暑の中を車で地元の大学病院へと向かいましたが、予約時間が午後であることもありその暑さはかなりのものでした。
病院付属の駐車場に車を停めた後、徒歩で県道の横断歩道にて先客の歩行者と共に暫し信号待ち。
少し信号機の反応が遅いので、ふと押しボタン式の黄色いボックスに目をやると「ボタンを押してください」のメッセージ。
こちら側に5人、反対側に2人の歩行者がいましたが、誰一人「押しボタンを押していなかった」ものと思われました。
余りの暑さに注意力を喪失してしまい、少なくとも「外来患者」数名が炎天下でボ-ッと佇むという光景が続いていたようです。
かりに熱中症で倒れたとしても、目の前が第3次救急指定病院なので最悪の事態は避けることができるのかも知れませんが、やはり酷暑の折は注意深く生きてゆかねばならいと痛感いたしました。