本来は中世城館跡めぐりがテーマのはずでありました。もっとも最近は加齢と共に持病が蔓延し本業が停滞傾向に...このためもっぱらドジなHP編集、道端の植物、食べ物、娘が養育を放棄した2匹のネコ(※2019年11月末に天国へ)などの話題に終始しております (2009/05/21 説明文更新)
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定年を過ぎました~
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「余り遺構の無い城館跡めぐり」と「ネコいじり」並びに「観葉植物の栽培」など数だけは
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先週末に体調不良だつた「ポミ」の容態が持ち直したようだ。
ネコ部屋のエアコンを作動させていることを除けば、行動、食欲、排尿、鳴き声、目脂などは元に戻っているように思える。

とはいえ年齢が満14歳と4か月くらいなので、「いつ何時」という覚悟と準備だけはしておこう。
またここ1年くらいは明らかに過食気味でもあった。
基本は年齢相応の分量に抑えておき、食事の様子を観察しながら、少しだけ追加をするという方法にしてみようと思う。
自分の年齢が古稀まで約2年ほどとなった。
「ポミ」にも、あと少なくとも2年は元気にしていてもらおうと思うのであった。

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今日は夕食給餌の際には、些か弱弱しくも感じられたが、久しぶりに鳴き声を聞くことができた。
給餌の前から、ネコ部屋のガラス越しにしきりに動き回りその存在をアピールしていた。
2日間以上絶食状態の時に比べれば、まさしく天と地の差のようだ。
とはいえ、あれだけ絶不調でぐったりとしていたということもあるので、いま暫くは給餌量は控えめにして小分けにして与えてみようと思う。

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今月8日の土曜日と比べると、どうやら「最悪の体調」からは抜け出たらしい。
昨晩遅くには食欲も回復傾向を見せ始めてきた。
今朝は大好きなネコ缶を35グラムほど完食した。
あわせて大きめの粒タイプのカリカリも4粒ほど食べている。

自分が起きている間は、概ね約2時間おきに様子を見に行っている。
様子を観察している限りでは、弱いながらも鳴き声を出し始めている。
そうはいっても、一昨年の「いちご」のこともある。
むろん未だ予断は許されない。

それでも僅かずつではあるが、快方に向かっている様子が窺える。
今日は最も好物と思われる「金の出汁カップ」を買増ししておこう。
もう14年以上も一緒である。
何とかこの冬を乗り越えて、痛みや苦しみの少ない日々を一日でも多く過ごしてもらいたい。

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久しぶりの「猫ネタ」である。

母ネコであるポミの具合が思わしくない。
8日の土曜日に嘔吐して以降、丸2日間はほぼ絶食。
食べやすそうな少量の猫えさも全く口をつけず。
水分だけは摂取している模様で尿も出てはいる。

本日は大好きなネコ缶から何度かに小分けにして与えてみた。
せいぜい20グラムほどであろうか。
完食はできないものの、一部は食べている。

絶食していた時よりも、多少は具合が良さそうにも思える。
ネコ部屋は寒いので月曜日の晩からエアコンを入れてある。
この数日間は、2年前の息子である「いちご」(享年12歳)の臨終時の光景が思わず頭の中を過る。
満にして14歳と3か月くらいではあるが、近年の家ネコとしては取り立てて長命という訳ではない。

あと少なくとも2年くらいは長生きして欲しいところなのだが。
「大の病院嫌い」「クスリ嫌い」で「ひと嫌い」でもあり、飼主である自分にも懐いているとは言えないが、何分にも14年以上下僕を務めている。
何にせよ拠りどころの無い落ち着きのない日々が続いている。

  5年くらい前の画像

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本日も長年の城友さんと城跡巡り。
午前5時集合で、目的地は群馬県北部の高山村方面。
当日も含めこの冬一番の寒波が襲来中。
降雪および気温の低下などが懸念されたが、現地では思いのほかの好天に恵まれた。
尤も県境の稜線部では降雪していたので、紙一重の幸運でもあったようだ。


仁井谷城(群馬県渋川市)
昨年11月以来の再訪
午前7時45分から7時55分

総じて遺構は事実上消滅に近いものがあるのだが、北側の堀跡及び土塁の痕跡と目される畑の段差等が確認できる。
初冬の早朝のため、かなり青味のかかった画像となっている。

    残滓だろうか


新城砦(群馬県中之条町)
今年の4月に続く再訪である。

今夏の台風などの自然災害の影響なのだろうか、以前には辛うじて存在していた丸太造りの櫓は既に取り壊されていた。

     模擬櫓跡

「城館跡」であるのかどうかについては評価は分かれているらしい。
岩井堂方面の城館跡との関係が不明でもあり、個人的には桑畑などの耕作地に伴う地形という印象を持っているのだが。


横尾八幡城(群馬県中之条町)
今年11月に続く再訪である。
8時55分から9時15分頃まで

僅か1月足らずの違いではあるが、主郭部の藪が大分見やすくなっていた。
このため主郭北側の土塁上からは東側虎口の位置、形状も明確に視認できた。
降雪・路面凍結などに配慮すれば、やはり厳冬期の訪問がベストであるようだ。

主郭部の藪は幾分緩和している


並木城(群馬県高山村)
同じく今年11月につづく再訪。
9時35分から10時10分頃まで


以前と同じような画像であった

尻高城の平時の居館である里城とされている。


尻高城(群馬県高山村)
同じく今年11月につづく再訪。
10時15分から12時40分

2度目の再訪なのだが、相変わらず途中2か所の斜面では枯葉が滑りやすく、その登攀と下降には相当の困難が伴うことを痛感した。
やはり以前にもまして足取りは重くなっているようだ。
今回も幸い天候に恵まれたが、降雨時、降雪時、強風時などの来訪には注意が必要なようだ。
しかし、今回も息切れと、足回りの劣化を思い知ることとなった。
たぶん3回目の来訪は無さそうに思われる。

やはり枯葉が滑りやすいようだ

この日も遠く浅間山方面まで一望でき、疲れた足回りが癒された。

    浅間山方面


役原城(群馬県高山村)
今年11月に続く再訪。
13時00分から13時25分

2度目なのであるが、初っ端から、ついい西側の尾根筋先端部に向かってしまった。
他の方のネット情報でも、しばしば誤認されているようだ。
この集落の標高は610m以上はあるようで、昨日の小雪の形跡が城跡北東部の日陰に残存していた。

    北東部の降雪跡


中山城(群馬県高山村)
昨年11月以来の再訪
13時40分から14時50分

管理人の不手際により、現地到着が些か遅延して西日が傾き始め、だいぶ陰影の濃すぎる画像となってしまった。

この時期の撮影は正午頃までか

それでも相変わらず、主郭をとりまく横堀のスケールに圧倒される。

    主郭北部の横堀

なお、この1年の間に主郭北西部の小郭付近で竹木の刈り払いが行われたようで、当該部分については地表観察が格段容易となっていた。
地権者と関係者の皆様方に感謝 <(_ _)>

  主郭北西部の小郭付近


丸屋敷(群馬県高山村)
概ね15時頃

「道の駅中山盆地」の高台から俯瞰したのみで終了。
県道の整備、河川流路改修などに伴い、周辺の環境は激変している。
同道の駅から子持山方面を撮影すれば、半ば自動的にこの「丸屋敷」についても撮影されているはずである。

  画像中央部やや左付近か

古中山城を支配した中山氏一族の平地の居館と考えられているらしいが、その距離は直線で約1.5kmと離れており、いまひとつその関係性については不明な部分が多いように思われる。
この辺りでは、当該盆地の支配に関連してほかに「道の駅中山盆地」の丘陵地帯と、中山神社の存する低丘陵が気にかかるのである。



かくてこの日は合計8か所を探訪。
より正確には水増し3件は正直否めないところではある (^^ゞ
それでも山城とそれに準じた城跡を3か所は回遊した。
以前には確認できなかった遺構観察も叶った。

この年になると体は日々衰えてくるのを痛感。

「明日はない 気力 体力 記憶力」
昨日できたことが、今日はできない。
今日できたことが、明日はできない。
と、こんな塩梅である。
このためできそうと思われたときに実行は必須らしい。

毎度足手まといとなる管理人であるにも拘らず、快くご同行いただいた軍曹さんに感謝 <(_ _)>

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