本来は中世城館跡めぐりがテーマのはずでありました。もっとも最近は加齢と共に持病が蔓延し本業が停滞傾向に...このためもっぱらドジなHP編集、道端の植物、食べ物、娘が養育を放棄した2匹のネコ(※2019年11月末に天国へ)などの話題に終始しております (2009/05/21 説明文更新)
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今年5月の山形遠征以来5カ月ぶりとなる城館探訪。
夏場は持病との相性が今ひとつ。
暑さが遠のいた9月下旬以降からは、ただひたすら徒歩通勤。
少なくとも毎週あたり30kmほどの足慣らしを励行。
とはいえ、あくまでもダイエットを兼ねた平地での歩行訓練に過ぎないもので。
それでも何のかんのと、この間のおおまかな累計距離は凡そ400kmばかりに。
そうはいっても、いきなり比高差200m超の山城探訪は年齢的に考えれば無謀かとも。
ある限度の資料が揃っている下総方面ならば比高差の問題は皆無に近く(笑)
尤も夕刻からの所用も兼ねての探訪なので、柏市内の国道16号線沿線の5か所ほどを抽出。
凸戸張城(千葉県柏市) 12時30分~14時00分
今年の初めより何度となく行き来している国道16号線柏隧道北側が城跡。
隧道北側の側道の途中には「戸張城址」の文化財標識も設置。
文京区の教育施設が建設。
柏市の緊急避難所と指定されているものの、周辺のネットフェンスや掲示物からは関係者以外の立ち入りが難しそうな印象も。
それでも外周道路から、台地先端部の廓とこれに続く廓、そしてさらに西側へと続く台地上に土塁と空堀跡等が未だに現存していることを確認。
また校門脇から続く土塁と空堀の南端部には柏市の文化財説明板も設置。
建物施設の老朽化等の事情により稼働中なのかどうか、どちらかといえば余り人の気配が感じられないようにも。
なお、南西部の帯廓一帯は只今分譲中であることを示す比較的新しい看板が設置されておりました。
凸戸張要害城(同上) 14時15分~14時25分
この個所はあくまでも数稼ぎの帳尻合わせのようなもの。
単に麓の水田側から、「要害」との小字名が残るという地形を遠望したのみ。
あ、たぶん最後となるはずのパジェロミニの雄姿もしっかりと記念撮影を。
あ、正直にいえばこの画像を撮影するために立ち寄ったようなもので(汗)
凸箕輪城(千葉県柏市-旧沼南町) 14時40分~16時05分
右折すべき個所を通り過ぎたついでに、「道の駅沼南」に車を置いて東側遠景を眺めつつアプローチ。
600mほど戻ることとなった市道は、幅員が狭く歩道部分は無いも同然。
その割には車両の往来が顕著。
西側の病院方面から入るのが常道と思いつつも些か危険な歩行。
比高差は20m前後という事情もあり、直接東側の斜面を這い上がることに。
週末までの降雨と従来からの低湿地の名残なのか、台地麓付近は予想以上に地盤軟弱。
すなわち崖線下の湧水部分に足を踏み入れてこれを実証(笑)
さて東側および北側の台地麓部分から続く急斜面。
この地形が近年の土砂の採掘などによるものか、元来の自然地形なのか、或いは城館遺構に関連する地形なのかは何とも判断しかねます。
急斜面に叢生する樹齢などから判断する限りでは些か新しそうにも思われます。
あわせて手持ちの略測図とすぐには地形が符合せず。
取敢えずは病院の建物の位置を目安にして遺構の残存状況を観察。
建物の建設とこれに伴う駐車場の設置になど伴い、遺構の半分以上が消失していることだけは間違いなさそうかと。
また南西部の空堀も、耕作地としてある程度は地形改変が為されている模様。
二の郭南側をめぐる空堀では土橋状地形が確認でき、そのまま小口へと繋がっているような印象も。
なお、主郭部分と考えられる西側の土塁は生憎とフェンス越しの対面に。
主郭から南東方向に細長く張り出した出廓部分は非常に特徴的。
こうした築城技術の観点から観察した限りでは、比較的単純な構成である戸張城と比較するとある程度の年代差がありそうにも思えたのでありました。
今回は久しぶりとなる現地での「概念図」作成の下書き等々を。
思いのほか時の経過は早いもの。
曇天に加えて落葉前の木々に覆われた地形。
午後4時過ぎには早くも夕闇が迫り始める始末。
加えて手賀沼南部という気象条件から、今にも雨粒が落ちてきそうな空模様。
結局6時間近くの手間をかけたものの、以上の3か所(より正確には2か所+α)のみで、今シーズン初日となる城館探訪を終了。
夏場は持病との相性が今ひとつ。
暑さが遠のいた9月下旬以降からは、ただひたすら徒歩通勤。
少なくとも毎週あたり30kmほどの足慣らしを励行。
とはいえ、あくまでもダイエットを兼ねた平地での歩行訓練に過ぎないもので。
それでも何のかんのと、この間のおおまかな累計距離は凡そ400kmばかりに。
そうはいっても、いきなり比高差200m超の山城探訪は年齢的に考えれば無謀かとも。
ある限度の資料が揃っている下総方面ならば比高差の問題は皆無に近く(笑)
尤も夕刻からの所用も兼ねての探訪なので、柏市内の国道16号線沿線の5か所ほどを抽出。
凸戸張城(千葉県柏市) 12時30分~14時00分
今年の初めより何度となく行き来している国道16号線柏隧道北側が城跡。
隧道北側の側道の途中には「戸張城址」の文化財標識も設置。
文京区の教育施設が建設。
柏市の緊急避難所と指定されているものの、周辺のネットフェンスや掲示物からは関係者以外の立ち入りが難しそうな印象も。
それでも外周道路から、台地先端部の廓とこれに続く廓、そしてさらに西側へと続く台地上に土塁と空堀跡等が未だに現存していることを確認。
また校門脇から続く土塁と空堀の南端部には柏市の文化財説明板も設置。
建物施設の老朽化等の事情により稼働中なのかどうか、どちらかといえば余り人の気配が感じられないようにも。
なお、南西部の帯廓一帯は只今分譲中であることを示す比較的新しい看板が設置されておりました。
凸戸張要害城(同上) 14時15分~14時25分
この個所はあくまでも数稼ぎの帳尻合わせのようなもの。
単に麓の水田側から、「要害」との小字名が残るという地形を遠望したのみ。
あ、たぶん最後となるはずのパジェロミニの雄姿もしっかりと記念撮影を。
あ、正直にいえばこの画像を撮影するために立ち寄ったようなもので(汗)
凸箕輪城(千葉県柏市-旧沼南町) 14時40分~16時05分
右折すべき個所を通り過ぎたついでに、「道の駅沼南」に車を置いて東側遠景を眺めつつアプローチ。
600mほど戻ることとなった市道は、幅員が狭く歩道部分は無いも同然。
その割には車両の往来が顕著。
西側の病院方面から入るのが常道と思いつつも些か危険な歩行。
比高差は20m前後という事情もあり、直接東側の斜面を這い上がることに。
週末までの降雨と従来からの低湿地の名残なのか、台地麓付近は予想以上に地盤軟弱。
すなわち崖線下の湧水部分に足を踏み入れてこれを実証(笑)
さて東側および北側の台地麓部分から続く急斜面。
この地形が近年の土砂の採掘などによるものか、元来の自然地形なのか、或いは城館遺構に関連する地形なのかは何とも判断しかねます。
急斜面に叢生する樹齢などから判断する限りでは些か新しそうにも思われます。
あわせて手持ちの略測図とすぐには地形が符合せず。
取敢えずは病院の建物の位置を目安にして遺構の残存状況を観察。
建物の建設とこれに伴う駐車場の設置になど伴い、遺構の半分以上が消失していることだけは間違いなさそうかと。
また南西部の空堀も、耕作地としてある程度は地形改変が為されている模様。
二の郭南側をめぐる空堀では土橋状地形が確認でき、そのまま小口へと繋がっているような印象も。
なお、主郭部分と考えられる西側の土塁は生憎とフェンス越しの対面に。
主郭から南東方向に細長く張り出した出廓部分は非常に特徴的。
こうした築城技術の観点から観察した限りでは、比較的単純な構成である戸張城と比較するとある程度の年代差がありそうにも思えたのでありました。
今回は久しぶりとなる現地での「概念図」作成の下書き等々を。
思いのほか時の経過は早いもの。
曇天に加えて落葉前の木々に覆われた地形。
午後4時過ぎには早くも夕闇が迫り始める始末。
加えて手賀沼南部という気象条件から、今にも雨粒が落ちてきそうな空模様。
結局6時間近くの手間をかけたものの、以上の3か所(より正確には2か所+α)のみで、今シーズン初日となる城館探訪を終了。
管理人から配偶者へと使用者が変わり、1996年から丸々13年も活躍したダイハツムーブ。
走行距離は7万km弱なので1年間あたりでは5400km弱。
エンジンそのものはそれなりに快調。
一方クラッシュがないとはいえ、車体年齢だけは隠せず。
サスペンションを含む足回りには明らかな衰えが。
車検見積もりでは整備費だけで10万円を超える金額。
先日以来、新車、新古車とディラーめぐりにお付き合い。
配偶者の専用車なので新車や新古車を購入しても、すぐにあちこちに擦りキズが付くことはいままでの実績からほぼ確実。
このような次第で、一昨日の土曜日に5年物の筋金入りという中古車に世代交代を。
ダットサン・ブルーバード1300(中古)、サニー1200デラックス(ただし兄から譲受)、シルビア1300GL、ブルーバード1800SSS-ES、(新車)、アルト(新車、ただし48万円の360CC)、スバル・サンバー(新車600CC)、ライトエース(新車、7人乗り、デーイーゼル2000CC)と続いたあとに、購入したもの。
購入当時には安曇野、北軽井沢などにも出かけて高速道路を走行した記憶が。
お、そういえば上信越道では「神保植松城」の主郭跡を走行していたはず。
また浅間山稜線越えの時、エアコンのスイッチをOFFにして登って行ったという懐かしい思い出も。
走行距離は7万km弱なので1年間あたりでは5400km弱。
エンジンそのものはそれなりに快調。
一方クラッシュがないとはいえ、車体年齢だけは隠せず。
サスペンションを含む足回りには明らかな衰えが。
車検見積もりでは整備費だけで10万円を超える金額。
先日以来、新車、新古車とディラーめぐりにお付き合い。
配偶者の専用車なので新車や新古車を購入しても、すぐにあちこちに擦りキズが付くことはいままでの実績からほぼ確実。
このような次第で、一昨日の土曜日に5年物の筋金入りという中古車に世代交代を。
ダットサン・ブルーバード1300(中古)、サニー1200デラックス(ただし兄から譲受)、シルビア1300GL、ブルーバード1800SSS-ES、(新車)、アルト(新車、ただし48万円の360CC)、スバル・サンバー(新車600CC)、ライトエース(新車、7人乗り、デーイーゼル2000CC)と続いたあとに、購入したもの。
購入当時には安曇野、北軽井沢などにも出かけて高速道路を走行した記憶が。
お、そういえば上信越道では「神保植松城」の主郭跡を走行していたはず。
また浅間山稜線越えの時、エアコンのスイッチをOFFにして登って行ったという懐かしい思い出も。
昨日は頭痛の原因のひとつを解決。
といっても、あくまでも比喩的な話題。
10年近く酷使してきた愛車の買換えを決定。
数年前に娘が車の屋根に登ったために生じた運転席側の明らかな凹み。
この歳になってくると、これはこれで懐かしい思い出のひとつかとも...
しかし現実としては、買取査定で10万円近くのマイナス要因(苦笑)
また、今年の福島遠征時における杉の幼木の痕が残る後部バンパー。
水田へと下る坂道の泥濘から奇跡の生還。
合計にして700kmを記録した山形遠征で大活躍。
これら幾つもの思い出がのこる2000年式のパジェロミニ。
その愛称もアニバーサリー。
走行距離は7万km超。
尤もここ2年ほどで、そのうちの約3万kmを走破。
あの小さな体で、よくぞここまで頑張ってくれたと感謝。
決別までは、あと2週間ばかり。
といっても、あくまでも比喩的な話題。
10年近く酷使してきた愛車の買換えを決定。
数年前に娘が車の屋根に登ったために生じた運転席側の明らかな凹み。
この歳になってくると、これはこれで懐かしい思い出のひとつかとも...
しかし現実としては、買取査定で10万円近くのマイナス要因(苦笑)
また、今年の福島遠征時における杉の幼木の痕が残る後部バンパー。
水田へと下る坂道の泥濘から奇跡の生還。
合計にして700kmを記録した山形遠征で大活躍。
これら幾つもの思い出がのこる2000年式のパジェロミニ。
その愛称もアニバーサリー。
走行距離は7万km超。
尤もここ2年ほどで、そのうちの約3万kmを走破。
あの小さな体で、よくぞここまで頑張ってくれたと感謝。
決別までは、あと2週間ばかり。