本来は中世城館跡めぐりがテーマのはずでありました。もっとも最近は加齢と共に持病が蔓延し本業が停滞傾向に...このためもっぱらドジなHP編集、道端の植物、食べ物、娘が養育を放棄した2匹のネコ(※2019年11月末に天国へ)などの話題に終始しております (2009/05/21 説明文更新)
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本日は運転免許証の更新。
ゴールドなので地元の警察署にて手続・講習。
所要時間は往復時間を含めても合計にして1時間。
前回更新時との最も大きな違いは、明らかに免許証の顔写真が老けたこと。
中型免許表記でも、本籍の記載が無いことでも、ICチップ内蔵により分厚くなったことでもなく、ほんの一瞬の表情なので実年齢は誤魔化せないようなのであります。
午後からは、この夏の8月以来の散髪へ。
乾燥した季節風の中を歩いていて気付いたことがいくつか。
この夏以来のダイエット。
今のところ体重も15Kgオフを維持。
ウエストも15Cmほど縮小。
実に分かりやすい計算で、体重1Kgあたりのウエストサイズが1Cm。
一方体脂肪率の方は約5%ほど減少して14%から17%前後に。
こうした体脂肪の減少に伴い、本日の季節風は些か寒い感じもしたような。
これで漸く世間並みに寒さを感じるようになれたのかも。
そうすると肥満もそれなりに無駄ではなかったようで。
因みにこの部屋の只今の室温は摂氏15度。
ゴールドなので地元の警察署にて手続・講習。
所要時間は往復時間を含めても合計にして1時間。
前回更新時との最も大きな違いは、明らかに免許証の顔写真が老けたこと。
中型免許表記でも、本籍の記載が無いことでも、ICチップ内蔵により分厚くなったことでもなく、ほんの一瞬の表情なので実年齢は誤魔化せないようなのであります。
午後からは、この夏の8月以来の散髪へ。
乾燥した季節風の中を歩いていて気付いたことがいくつか。
この夏以来のダイエット。
今のところ体重も15Kgオフを維持。
ウエストも15Cmほど縮小。
実に分かりやすい計算で、体重1Kgあたりのウエストサイズが1Cm。
一方体脂肪率の方は約5%ほど減少して14%から17%前後に。
こうした体脂肪の減少に伴い、本日の季節風は些か寒い感じもしたような。
これで漸く世間並みに寒さを感じるようになれたのかも。
そうすると肥満もそれなりに無駄ではなかったようで。
因みにこの部屋の只今の室温は摂氏15度。
昨日の荷役作業の筋肉痛が残る最中。
本日は大宮方面までエコ出張。
今年の9月に歩いたのと同じルート。
前回は余りにも時間と体力を浪費。
その反省から、今回は5段ギア付の自転車。
往路は信号・踏切待ち込みで1時間15分(約18km)。
事前の予想では1時間30分。
車・電車よりも確実で迅速。
ここまではまずまずの健闘かと。
しかし、復路は沖積平野から洪積台地へと向かうルート。
荒川に架かる治水橋では、延長約1kmの緩やかな上り坂+北西の向い風。
気温は摂氏6度前後で、体感気温は季節風のため摂氏3度ほど。
当初の予想以上に太股の筋力を消耗し約1時間20分(約16km)。
これに通勤での8kmを合算すると約42km。
帰宅後は徒歩で買物に出かけ往復1km。
さらにそのあと、歯医者にでかけて往復1.5km(ジョギング込み)
帰宅後の体重は本日も75Kg弱を堅持(寒汗)
なお、画像は携帯で撮影したもので、大型車両が通過するたびに橋梁が上下にバウンドし...
本日は大宮方面までエコ出張。
今年の9月に歩いたのと同じルート。
前回は余りにも時間と体力を浪費。
その反省から、今回は5段ギア付の自転車。
往路は信号・踏切待ち込みで1時間15分(約18km)。
事前の予想では1時間30分。
車・電車よりも確実で迅速。
ここまではまずまずの健闘かと。
しかし、復路は沖積平野から洪積台地へと向かうルート。
荒川に架かる治水橋では、延長約1kmの緩やかな上り坂+北西の向い風。
気温は摂氏6度前後で、体感気温は季節風のため摂氏3度ほど。
当初の予想以上に太股の筋力を消耗し約1時間20分(約16km)。
これに通勤での8kmを合算すると約42km。
帰宅後は徒歩で買物に出かけ往復1km。
さらにそのあと、歯医者にでかけて往復1.5km(ジョギング込み)
帰宅後の体重は本日も75Kg弱を堅持(寒汗)
なお、画像は携帯で撮影したもので、大型車両が通過するたびに橋梁が上下にバウンドし...
漸く今シーズン2回目の出陣。
自宅を出発したのは、前回よりも1時間も早い午前9時。
どうにか低下に歯止めのかかった体力に、何故か気力の方が追いつかないという城館探訪(汗)
凸大井追花城(柏市、旧沼南町)11時45分から12時50分
当初の予定通り城跡近くのファミリーマートに駐車し、昼食の「おにぎりとサンドイッチ」を購入。
遺構は北西方向に緩い傾斜がかかる台地先端部で、比高差は水田面からは、目測でおよそ12m前後かと。
考えてみれば戸張城と大津川の谷津田を挟んだ隣同士。
「中近世城館調査」では3/4の遺構が残るとの記述が。
しかし、生憎と宅地化等の影響からか、台地先端部に郭とこれに伴う二重土塁の一部と空堀が僅かに残存。
このほかには竹林の中にひっそりと佇む南北方向に長さにして40mほどの土塁のみ。
この土塁も北側では畑の根切溝による地形改変と交わり、南側では宅地造成により分断消滅。
なお、「東葛飾郡誌」には、「大井城址 風早村大井字追華にあり、城山と称すれど規模、さのみ広大ならず、今は松林なれども空堀、築壁今尚残れり...」と記されている。
この地誌が編纂された大正12年(1923)当時においても、既にそれほど大規模な遺構は残されていは無かった模様なのかとも。
凸箕輪如意城(同上)13時30分から14時05分
路上駐車を避けるべく「道の駅沼南」に駐車。
これ以降はあくまでも徒歩での移動。
先日訪れた箕輪城の東南東約900mの地点に所在。
如意寺の周囲に多少の遺構が残るとのこと。
寺が建立されている台地へと登る坂道。
土塁・切岸のように見えなくもないけれども、これはあくまでも道路拡張によると思われる掘削跡。
中世城館遺構と思われる地形は寺の東側の墓地とこれに続く細長い台地に散見。
墓地東側の竹林には2段?ばかりのやや大きめの腰郭とこれに伴う切岸。
下段の腰郭南側には土塁状の高まりが残存。
また、台地北側には帯郭状の地形も確認。
凸鹿島城(同上)14時25分から15時10分
土取りにより台地ごと消滅した文字通りの城跡。
現在は野球場と資材置場となった辺りに存在していたものと推定。
北側の水路の曲折と僅かに残された台地の稜線が、当時の面影を残すのみ。
なお台地の稜線には道標を兼ねた庚申塔と庚申塚が一基。
西は松戸・流山道、東は金山・○○道と刻印。
昔からの歴史的経緯がある古道には相違がなさそうな印象。
凸星神社・香取大神宮付近(同上)15時15分から15時45分
「東葛飾郡誌」にも、「妙見社を中心とせる高地一帯に古き囲い土堤、また屋敷跡と見るべき地所々に存す」と記されているように、星神社と香取大神宮並びに周辺の民家に土塁状地形が散在。
民家の土塁は長屋門を有する名主階層と思われる屋敷周辺。
なお、香取大神宮への道は途中で完全な行き止まり。
後から考えれば、今一度元来た道へと戻り東進すれば鷲野谷城方面へ直行できた...などと後悔しても始まらず。
しかしその代わりに現用の茅葺古民家に遭遇。
当該建造物は台地中腹に所在していることから、少なくとも幕末以前における手賀沼の氾濫予想水域が推定できそうにも。
凸鷲野谷城(同上)16時00分から16時30分
「東葛飾郡誌」には、「とうかびよう」(※稲荷峠か)として記述。
「城山」と呼ばれた丘陵先端部は概ね「霊園」として開発。
因みにその名称は「城山霊園」と明記されておりました。
そのまま手賀沼南側の市道へと向かい、日没後の夜景を満喫しながら「道の駅沼南」へ。
本日もエコナビ上級者評価はAランク。
何といっても制限速度毎時60kmのところを、毎時55km辺りで早くも速度超過警告のメッセージが表示されるという優れもの(笑)
当分運転の間は、あまり退屈しそうもないという予感も。
ただし難点は文字が小さすぎて良く見えないことで。
せめて12ポイントは欲しいところ。
あ、先月に買換えた中古車に勝手についてきたカーナビの話題であります~
と、3日遅れのブログを更新...
自宅を出発したのは、前回よりも1時間も早い午前9時。
どうにか低下に歯止めのかかった体力に、何故か気力の方が追いつかないという城館探訪(汗)
凸大井追花城(柏市、旧沼南町)11時45分から12時50分
当初の予定通り城跡近くのファミリーマートに駐車し、昼食の「おにぎりとサンドイッチ」を購入。
遺構は北西方向に緩い傾斜がかかる台地先端部で、比高差は水田面からは、目測でおよそ12m前後かと。
考えてみれば戸張城と大津川の谷津田を挟んだ隣同士。
「中近世城館調査」では3/4の遺構が残るとの記述が。
しかし、生憎と宅地化等の影響からか、台地先端部に郭とこれに伴う二重土塁の一部と空堀が僅かに残存。
このほかには竹林の中にひっそりと佇む南北方向に長さにして40mほどの土塁のみ。
この土塁も北側では畑の根切溝による地形改変と交わり、南側では宅地造成により分断消滅。
なお、「東葛飾郡誌」には、「大井城址 風早村大井字追華にあり、城山と称すれど規模、さのみ広大ならず、今は松林なれども空堀、築壁今尚残れり...」と記されている。
この地誌が編纂された大正12年(1923)当時においても、既にそれほど大規模な遺構は残されていは無かった模様なのかとも。
凸箕輪如意城(同上)13時30分から14時05分
路上駐車を避けるべく「道の駅沼南」に駐車。
これ以降はあくまでも徒歩での移動。
先日訪れた箕輪城の東南東約900mの地点に所在。
如意寺の周囲に多少の遺構が残るとのこと。
寺が建立されている台地へと登る坂道。
土塁・切岸のように見えなくもないけれども、これはあくまでも道路拡張によると思われる掘削跡。
中世城館遺構と思われる地形は寺の東側の墓地とこれに続く細長い台地に散見。
墓地東側の竹林には2段?ばかりのやや大きめの腰郭とこれに伴う切岸。
下段の腰郭南側には土塁状の高まりが残存。
また、台地北側には帯郭状の地形も確認。
凸鹿島城(同上)14時25分から15時10分
土取りにより台地ごと消滅した文字通りの城跡。
現在は野球場と資材置場となった辺りに存在していたものと推定。
北側の水路の曲折と僅かに残された台地の稜線が、当時の面影を残すのみ。
なお台地の稜線には道標を兼ねた庚申塔と庚申塚が一基。
西は松戸・流山道、東は金山・○○道と刻印。
昔からの歴史的経緯がある古道には相違がなさそうな印象。
凸星神社・香取大神宮付近(同上)15時15分から15時45分
「東葛飾郡誌」にも、「妙見社を中心とせる高地一帯に古き囲い土堤、また屋敷跡と見るべき地所々に存す」と記されているように、星神社と香取大神宮並びに周辺の民家に土塁状地形が散在。
民家の土塁は長屋門を有する名主階層と思われる屋敷周辺。
なお、香取大神宮への道は途中で完全な行き止まり。
後から考えれば、今一度元来た道へと戻り東進すれば鷲野谷城方面へ直行できた...などと後悔しても始まらず。
しかしその代わりに現用の茅葺古民家に遭遇。
当該建造物は台地中腹に所在していることから、少なくとも幕末以前における手賀沼の氾濫予想水域が推定できそうにも。
凸鷲野谷城(同上)16時00分から16時30分
「東葛飾郡誌」には、「とうかびよう」(※稲荷峠か)として記述。
「城山」と呼ばれた丘陵先端部は概ね「霊園」として開発。
因みにその名称は「城山霊園」と明記されておりました。
そのまま手賀沼南側の市道へと向かい、日没後の夜景を満喫しながら「道の駅沼南」へ。
本日もエコナビ上級者評価はAランク。
何といっても制限速度毎時60kmのところを、毎時55km辺りで早くも速度超過警告のメッセージが表示されるという優れもの(笑)
当分運転の間は、あまり退屈しそうもないという予感も。
ただし難点は文字が小さすぎて良く見えないことで。
せめて12ポイントは欲しいところ。
あ、先月に買換えた中古車に勝手についてきたカーナビの話題であります~
と、3日遅れのブログを更新...