本来は中世城館跡めぐりがテーマのはずでありました。もっとも最近は加齢と共に持病が蔓延し本業が停滞傾向に...このためもっぱらドジなHP編集、道端の植物、食べ物、娘が養育を放棄した2匹のネコ(※2019年11月末に天国へ)などの話題に終始しております (2009/05/21 説明文更新)
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武蔵国入東郷の地下人小頭@和平
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とうとう明日は60回目の誕生日。
いわゆる還暦。
従って本日が50歳代最後の日に相当。

ところで満年齢とは誕生日の到来を指すのか、その前日を指すのかという素朴な疑問が。
いろいろ調べてみると、法律上の満年齢は誕生日前日の午後12時を以てその年齢に到達するとのことらしい。
何れにしても本日が五十歳代最後の日であることだけは間違いが無さそう。

学生時代頃、日本社会の将来像として近い将来には脱工業化社会、高度情報化社会、そして高齢化社会が到来する旨が盛んに喧伝されていたのがついこの間のことのようにも。
厚労省の統計上では、満65歳までは未だ労働人口扱い。
けれども老眼の進行、慢性の腰痛と右膝関節痛などがあり今春からのリタイア(再雇用制度によらない定年退職)を決定。
とはいえ高齢者人口が急増しているので、電車の優先席に平然と腰掛けるまであと10年くらいは持ちこたえねば。

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諸事情により約1年のブランクで漸く山城探訪を再開しました。
城館探訪自体は昨年12月から再開。
しかしある程度の比高差を伴う山城は本当に久しぶり。

茶臼山の砦(群馬県富岡市) 10時20分から12時20分

標高269m、上信越自動車道の南側丘陵地帯に所在する城郭遺構群のひとつです。
丘陵北側麓からの比高差は約100mほどありますが、南麓の公道からは比高差約60m前後に過ぎません。
中世城郭遺構としてよりも、北茶臼山古墳の古代遺跡としての方が有名で、城跡全体は古墳と共に富岡高校の林業関係の演習林となっています。
山崎一氏の調査によれば、古墳が所在する東側の稜線部に郭および腰郭群が存在していたことが判明しています。
しかし四半世紀以前の「中世城館調査報告」当時においても遺構の残存状況は不良と明記。

そうした中で概ね明確な遺構として捉えられるのは北東部稜線の幅の狭い腰郭群が挙げられます。
無論南東の稜線部にも腰郭状の10段近い幅の広い腰郭状地形が認められます。
ただしこれらについては林道の築造や植樹などによる相当の地形の改変も窺えます。
また主郭とも考えられる北茶臼山古墳の南斜面にも複数の大規模な腰郭状の地形が散見されます。
こちらについても、植林或いはその日照条件から耕作地の開墾によるものという可能性も想定されます。

尤も、そうした腰郭状地形を確認するために滑りやすい落ち葉の斜面などを幾度か往復しましたので、実際には比高差にして軽く100m以上は行動していたことになります。
そうした事情もあってか、下り道では右膝関節部に明らかな痛みを発症(苦笑)
この時点で時刻は12時を大きく回り、次の目的地は確実な駐車スペースがないことから、約2.5kmを徒歩で行かざるをえないという事情も重なり、安全面を考慮し即帰還という選択枝も頭に浮かぶ状態でした。

茶臼山の砦
茶臼山の砦(怪しげな腰郭)


浅香入城(群馬県富岡市) 13時00分から14時15分

それでも次の目的地に進むという気力を支えたものは北茶臼山古墳から眺めた浅香入山方面の遠景でした。
遠望する範囲では該当しそうな山容は3か所ほど。
当初はそのまま徒歩で城跡南部の谷筋ルートからのアプローチを想定。
しかし、独立丘陵最北端に所在していた額賀神社への階段を目にして急遽予定変更。
神社へ階段を上がれば確実に比高差を稼ぐとともに初詣も叶うという充実したプラン。

浅香入城方面
浅香入城方面

この方面からの比高差は約110m。
ひたすら城跡方面に向かい南下する稜線ルートは眺望にすぐれないことを除けば快適そのもの。
途中で以前から気になっていた平場状地形(たぶん耕作地跡)、複数の堀切状地形(たぶん里道)、竹林の中の切岸、腰郭状地形(不明)を通過。
この途中で大型哺乳類に遭遇を。
始めはその跳ね跳ぶ姿から野兎のようにも見えたのですが、点在する糞や体格の大きさからカモシカに間違いなく。
なお麓の注意書きによりますと、イノシシの出没も少なくないようでした。

肝心の城跡遺構として目ぼしいものは主郭北部の堀切。
北部に残存している腰郭も自然地形との区分が不明瞭。
主郭とされる部分は山崎氏の縄張り図よりもやや幅広の地形。
予想外のものは城跡南側斜面の岩場。

浅香入城南側の斜面
浅香入城南側の岩場

斜度自体は大したことがないものの、落ち葉で滑りやすく掴まるものもなく...
一度尾根筋を下りかけ、再び城跡南西部の鞍部へと下り、沢沿いの藪の状況を確認。
再び東側の尾根筋方向へと戻り、沢筋の旧道跡まで孟宗竹に掴まり下山。
下山ルートの比高差は約80mほどですが、明確な踏み跡は殆ど消失していました。

浅香入城
浅香入城主郭北側の堀切

下山の間際から右膝関節痛に加えて腰痛も発生。
これに左足親指爪先の痛みも再発。
歩数計上では僅かに1万3千歩足らず。
なお、急斜面などでの慎重な動作は歩数計に反映しないことも判明。

さして比高差のない低山さえも、この疲労困憊ぶりに我ながら茫然自失。
筋力、心肺機能など体力面での衰えは最早確定的といっても過言ではなく。
残るは僅かばかりの気力と余り当てにはならない経験くらいのもの。
ある程度のレベルでの山城探訪が可能なのは、それ程長くも無さそうにも思えるのでありました。

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昨年の夏にあつらえたばかりの遠近両用眼鏡の度が早くもあわなくなってきました。
ここ数年の間に近々、弱近、老眼鏡専用と様々試してきました。
半年ほどで度数が合わなくなったのは記憶する限りでは初めてのこと。
その記憶も最近では余り自信が無く。

近視と遠視と乱視が混在しているので、ある程度は止むを得ないといえばそれまでのことではありますが。
遠近両用眼鏡も現在までで既に通算にして4代目。
先ほどから近々に掛け替えていますが、最大の難点は足元が見えないこと。
文字通り新年早々から先行き不透明となっております(苦笑)

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本日は元旦なので2011年の抱負などを。
といっても今月にはあと僅かで還暦。
かくして3月末にてめでたく定年退職という次第。

城館探訪分野では下総方面は成田市方面の資料を纏めたところで幾分食傷傾向に。
今月以降から3月末頃までは昨年末に続き上野富岡方面を十数か所ばかり。

4月に入り所用で関西方面へ。
けれども日程の余裕は正味一日もあるかどうか。

その後4月上旬頃を目安に積雪状況と天候の如何に左右される出羽最上川周辺遠征へ。
既に最低限の関係資料は準備済。

その後は電車、自転車と徒歩によるエコ探訪を試行。
あわよくばリバウンドした体重の減量も。
と、ここまでは机上の計画策定済。

昨今の気力、体力の大幅な低下現象。
無論更新能力も大きく減退。
何よりも遅れ馳せながら五十肩に。
さすれば新規の城館探訪は年間60か所程度が現実的。

と、自分のブログに明記しておかないとすぐに失念してしまう年代となりました(笑)

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道の駅鬼石に集合はしたものの、本日は天候の推移が読めず、安全策を講じて山間部から丘陵地帯へと急遽予定を変更。

根小屋城(群馬県富岡市) 午前8時50分頃から午前9時40分頃
今月18日に続く再訪

内匠城(同上) 午前10時頃から午後12時頃
今月18日に続く再訪
前回は未確認だった南東部から東側の崖線部にかけて踏査実施

内匠城、東側からの遠景
内匠城、東側からの遠景

八幡山の砦(群馬県甘楽町) 12時10分頃から12時40分頃
2008年に続く再訪
2年前の探訪であるにもかかわらず未だ未更新のまま(恥)

八幡山の砦から俯瞰した内匠城方面
八幡山の砦から俯瞰した内匠城方面

上野屋敷(同上) 12時45分から午後13時00分頃
2008年に続く再訪
ここも未更新
というか甘楽町12か所すべてが未更新(大汗)
方形館西側の見事なまでの土塁遺構は健在でした(嬉)

上野屋敷の西側土塁遺構
上野屋敷の西側土塁遺構

茶臼山城(群馬県高崎市) 13時35分頃から14時50分頃
堀切、横堀を備えた単郭方形のコンパクトな山城
城山団地側から上ると比高差が少なく有難いことこの上なし

茶臼山城の小口
茶臼山城の小口

このあとは本庄市(旧児玉町)のファミレスにて昼食兼夕食兼打上げ兼忘年会を開催。
ご多忙のところをご同行いただいた史進さん(企画運営部門担当)、儀一さん(困難調査、ナビ部門担当)に心より感謝申し上げます。

ん、恒例のスイーツを食べるのを忘れた(笑)

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