本来は中世城館跡めぐりがテーマのはずでありました。もっとも最近は加齢と共に持病が蔓延し本業が停滞傾向に...このためもっぱらドジなHP編集、道端の植物、食べ物、娘が養育を放棄した2匹のネコ(※2019年11月末に天国へ)などの話題に終始しております (2009/05/21 説明文更新)
カレンダー
| 02 | 2026/03 | 04 |
| S | M | T | W | T | F | S |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 |
| 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 |
| 16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 | |
| 22 | 23 | 24 | 25 | 26 | 27 | 28 |
| 29 | 30 | 31 |
カテゴリー
最新CM
中城の歴史の引用について(返信済)
(07/01)
おつかれさまでした(返信済)
(11/09)
無題(返信済)
(12/17)
お疲れ様でした(返信済)
(10/13)
お疲れ様でした(返信済)
(03/22)
最新TB
プロフィール
ブログ内検索
アーカイブ
アクセス解析
フリーエリア
史跡間の移動時間、滞在時間などを考慮し、本来の予定を大幅に縮小変更
凸村井貞勝邸址 6時30分
推定地は三条通商店街のど真ん中。
無論遺構跡の痕跡などは皆無。
日中は人通りも激しいため、朝日に照らされた無人の商店街の風景を撮影。
■本能寺信長廟 6時45分から7時00分まで
複数所在する信長廟のひとつで、現在の本能寺境内本堂の東側に所在。
この地を訪れたのは高校の修学旅行当時なので、たぶん43年ぶりのはず。
当時宿泊した記憶のある本能寺会館の宿泊施設も健在。
信長、信忠父子とともに討死を遂げたとされる家臣名簿を確認。
■京都御所 9時20分から9時45分まで
昨日に続く再訪。
今度は確実に発掘された石垣の復元遺構と対面。
下立売御門よりもひとつ南側の門跡、御苑側から見て向って右側の土塁部分に所在。
石柱にはめ込まれた説明板も所在。
凸花の御所 9時50分から10時10分まで
足利義満の時に栄華を誇った将軍家の御所跡。
現在は理容店のある南西角に石柱が設置されているのみ。
凸淀古城 11時20分から11時30分
京阪本線を利用しての移動。
観光地の喧騒とは無縁の小鳥がさえずる静かな佇まい。
秀吉の側室となった淀君の産所とも。
妙教寺こじんまりとした鐘楼前には、ひっそりと城址碑が設置されておりました。
凸淀城 11時40分から12時00分
今回の遠征?では唯一城郭本などに掲載されているそこそこ著名な城跡。
内濠の一部と天守台などの石垣遺構が残存する城址公園。
周辺は宅地化が進み石垣自体にも各所に痛みが散見されましたが、内桝形などに近世城郭としての雰囲気は残されています。
ここで白ネコの城ネコさんと恒例の御対面。
残念ながら大坂城や山形城ほどには懐いてはくれませんでした。
とはいえ脱兎のごとく逃走もされず、石垣上の植込みの中でじっと気をころしていました。
この時点で昼食や京都駅までの往復時間を考慮し、徒歩往復6kmの勝龍寺城を計画より除外。
単独行ならばそのまま昼食抜きで歩きぬくことも考えておりましたが、同行者もありタクシーも見つからず断念。
凸村井貞勝邸址 6時30分
推定地は三条通商店街のど真ん中。
無論遺構跡の痕跡などは皆無。
日中は人通りも激しいため、朝日に照らされた無人の商店街の風景を撮影。
■本能寺信長廟 6時45分から7時00分まで
複数所在する信長廟のひとつで、現在の本能寺境内本堂の東側に所在。
この地を訪れたのは高校の修学旅行当時なので、たぶん43年ぶりのはず。
当時宿泊した記憶のある本能寺会館の宿泊施設も健在。
信長、信忠父子とともに討死を遂げたとされる家臣名簿を確認。
■京都御所 9時20分から9時45分まで
昨日に続く再訪。
今度は確実に発掘された石垣の復元遺構と対面。
下立売御門よりもひとつ南側の門跡、御苑側から見て向って右側の土塁部分に所在。
石柱にはめ込まれた説明板も所在。
凸花の御所 9時50分から10時10分まで
足利義満の時に栄華を誇った将軍家の御所跡。
現在は理容店のある南西角に石柱が設置されているのみ。
凸淀古城 11時20分から11時30分
京阪本線を利用しての移動。
観光地の喧騒とは無縁の小鳥がさえずる静かな佇まい。
秀吉の側室となった淀君の産所とも。
妙教寺こじんまりとした鐘楼前には、ひっそりと城址碑が設置されておりました。
凸淀城 11時40分から12時00分
今回の遠征?では唯一城郭本などに掲載されているそこそこ著名な城跡。
内濠の一部と天守台などの石垣遺構が残存する城址公園。
周辺は宅地化が進み石垣自体にも各所に痛みが散見されましたが、内桝形などに近世城郭としての雰囲気は残されています。
ここで白ネコの城ネコさんと恒例の御対面。
残念ながら大坂城や山形城ほどには懐いてはくれませんでした。
とはいえ脱兎のごとく逃走もされず、石垣上の植込みの中でじっと気をころしていました。
この時点で昼食や京都駅までの往復時間を考慮し、徒歩往復6kmの勝龍寺城を計画より除外。
単独行ならばそのまま昼食抜きで歩きぬくことも考えておりましたが、同行者もありタクシーも見つからず断念。
