本来は中世城館跡めぐりがテーマのはずでありました。もっとも最近は加齢と共に持病が蔓延し本業が停滞傾向に...このためもっぱらドジなHP編集、道端の植物、食べ物、娘が養育を放棄した2匹のネコ(※2019年11月末に天国へ)などの話題に終始しております (2009/05/21 説明文更新)
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武蔵国入東郷の地下人小頭@和平
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定年を過ぎました~
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「余り遺構の無い城館跡めぐり」と「ネコいじり」並びに「観葉植物の栽培」など数だけは
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昨日というか、実際には本日になりますが、この作業を含めてPC作業が終了したのは本日の午前4時頃でした。
このため本日の起床時間は午前10時を過ぎたころでしたので、朝食は摂取しておりません。
昼食後、18時頃まで食後の腰痛症の痛止めを服用していることもありそのまま爆睡。

一方配偶者の方は、本日は心臓の検査日。
20年ほど前から不整脈の傾向があり、先月の下旬にも、週末の深夜に極度の胸痛が発生。
元々ニトロを処方されてはいましたが、顕著な効果がなく、救急車搬送もしくは第3次救急の夜間外来を受診しようかどうかと思案している内に、次第に胸痛が緩和されてきたので、その日はそのまま就寝させました。
本日の検査は、心臓に対する負荷検査、心臓エコー、ホルター等。
今のところの見通しでは、カテーテル検査までを想定。

ん、まずい。
本日の歩行距離は100メートル足らずだ!
10日の15キロメートル歩行が水泡に帰してしまう!

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小平市の都道3・2・8号線の都市計画道路建設実施の賛否を問う住民投票が5月26日に実施されたが、51010人の投票が行われたにもかかわらず、有権者の過半数に到達しなかったため、住民投票条例に基づき当該投票結果の開票公開は果たされなかった。
このため、「小平都市計画道路に住民の意思を反映する会」では、地方自治の本旨である住民自治の大原則に沿って、1万3千余人の署名を集め、小平市議会に対して住民投票の開票ならびに開票結果の公表を求める請願を提出した。
これにより9月10日(火)午前9時より行われた小平市議会総務員会の請願審査では、同会の共同代表水口和恵氏より同請願に対する趣旨説明が為された。
請願に対する質疑応答を含め約3時間ほどが費やされ、継続審議との意見も出されたが、多数決により同日の採決とされ、採決の結果当該請願は不採択とされた。
なお、賛成委員は小平・生活者ネットワークの1名のみで、他の5名の委員は請願の不採択に回った。
住民投票の投票率は、その成立の要件である50%を下回ることとなったが、その投票率は直近の市長選挙37.28%、都議会議員選挙37.27%を僅かに下回る35.17%であったことからも、その関心の高さが窺われる。
もしも仮の話として、公職選挙法において50%の成立要件が付加されているとすれば、市長選挙および都議会議員選挙も不成立ということになり、成立要件の50%という指標を設定した背景に何某かの作為を感じずにはいられない。
市政への感心を高め、住民参加を促進するという地方自治の潮流の中で、住民投票の結果を開示しないという当局および市議会の消極的な姿勢は、市民の知る権利を侵害し、行政と議会に対する不信感を増大させるものであり、断固として容認すべきものでは無いと考える。
なお、同会はこれとは別に住民投票の結果に対して情報公開請求を実施しているが、小平市側はこれを退け非公開としており、当該行政処分に対する取り消しと公開を求める行政訴訟を東京地裁宛提訴している。(同会HPより抜粋し、一部私見を付加した)

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昨日から大阪にいる長女が帰省しています。
1年以上会わないときもありましたが、今年は年末から正月にも帰省しているので2度目の対面。
昨日は、近所に住んでいる知人の通夜で、本日は告別式。
小生よりも7学年下の56歳という若さで亡くなられました。

中学生の頃は、夏休みなどになると、ほぼ毎日遊んでいた間柄でしたが、お互いに長じるに従い次第に疎遠となってしまいました。
それでも、単なるご近所というわけでも無いので、昨日の通夜だけは焼香に伺いました。
家内の方が、故人の奥様と現在でも親しいこともあり、告別式のほうもあわせて列席。

この年代になってくると、慶事はごく希で、仏事ばかりが目立つようになりました。
当人も、ここ1年ほどの間にめっきりと筋力が衰え、慢性の腰椎症を始めとして幾つかの持病を抱えておりますので、健康寿命はあと数年というところでしょうか。

画像は香典返しのハンドタオルです。
合掌。

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家内の親類筋へ旧盆の挨拶回り。
ついでにブルーベリージャムを購入すべく堂平山へ。
比企方面では有名な「とうふ工房わたなべ」でも販売しているとのこと。
幾度も訪れているため、ここは店の前をそのまま通過。

旧玉川村は家内の母方の実家が。
都幾川沿いには、子どもたちが小さい自分にお世話になった家内の親友宅も。
懐かしの山頂を目指して、一路県道172号線の山道をゆっくりとミニ四駆で上っていった。

山頂を訪れたのは、たぶん35年ぶりかと。
最初に訪れたのは、奥武蔵グリーンラインが完成する遙か以前の、白石峠の林道が工事が開始されはじめた1960年代の中頃だったかと記憶。
早朝から越生の黒山三滝方面から登り、関八州見晴台、刈場坂峠を越えて、白石峠を経て大霧山から粥仁田峠を経て皆谷のバス停まで歩いたこともあったような。

あの頃はたしか中学生か高校生の頃だった。
足腰も元気で、尾根筋にあがると、走るようにして歩いていた。
下り道も、膝のバネを使い走るようにして、坂道を駆け下りていくことが出来た。
今は腰椎ベルトに膝ベルト装着で、よたよたと歩くような年齢になってしまった。
そんなこんなで、錯綜した思い出が走馬燈のように脳裏を駆け巡る。
今は亡き両親も健在。
人生の四分の三を過ぎた自分が、存在していること自体があやふやとなり、まるで長い夢を見ているようにも。

現在は天文台も地元に移管され、山頂付近にはキャンプ場が整備。
個体数は少ないと思われるものの、熊出没注意の掲示がされていた。
標高800メートルを超える場所なので、少しは涼しいかと思いきや、やはり日中の暑さはかなりのもの。

その後は、予定通りに家内の実家、家内の叔母、伯母宅を回り帰宅。
運転所要時間は、延べ約4時間半ほど。
紫外線の影響か、年齢相応の白内障の関係か分からねども、明らかに眼精疲労で目が染みた。

 

 

 

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3.11から2年4ヶ月が経過。
被災地の復興を始めとして、放射能汚染による健康被害などの根本的な問題は一向に解決の兆しさえなく。
汚染水処理、核廃棄物処理、そして福島第一原発自体の廃炉さえも危うい事態に立ち至っているとの情報も。

振り返ってみれば、己自信も3.11で被災していた可能性が無きにしも非ず。
定年後の再就職先で、東北3県方面が候補に挙がっていた時期があり、そのまま順調に事態が推移していれば、ライフワークも兼ねて福島方面へ単身赴任していた可能性は濃厚だった。
あるいは、相手先の都合で岩手の太平洋岸方面だった可能性もあるような。

分かれ目は、2010年頃から次第に心身の体調を崩したことなど。
このため、2011年3月頃に想定していた再就職先の下見が不要となってしまった。
その結果、本日までこうして生きながらえている。
いや、生かしてもらっている。

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