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前日の予報では、この日が最も天候に恵まれるはず。
午前6時前の早朝、ホテル8階のカーテンを開けて外の様子を観察。
すると、ん、何にも見えない...
早朝で日の出前とはいえ、何か様子がおかしい。
歳のせいと眠い目のせいなのかと、目をこすりよくよく観察。
何と草津駅前では物凄い濃霧が発生中。
ためしに午前6時45分からの朝食前にホテルの玄関から外へ。
やはり50m先の駅舎が視認できない状態。
このため、急いで朝食を摂って外出したものの、午前7時24分発の柘植行の電車は乗り継調整で出発遅延。
ようやく発車の後も、単線待合わせ、徐行運転などにより、約70分遅延し油日駅到着。
しかも、IC乗車券不可の改札なので、現金払いに(帰路に草津駅で清算還付)
目的地は己の体力と足の具合を考慮し本格的な山城は皆無。
比高差は高くても40m以内に限定。
目的地間の移動距離も可能な限り短縮した訪城計画に。
凸上野城(滋賀県甲賀市甲賀町上野)
午前9時05分から10時10分 濃霧のため見通し悪し
比高差約40m
土塁、郭、小口、空堀 標柱・説明版なし、案内標識あり
推定探訪可能時期 遺構が見やすいのは11月下旬から4月上旬ころまで
油日駅の改札口から草津線の踏切を渡り南東へ約600m。
その途中油日橋を渡るところから左前方に見える丘陵が目指す上野城です。
この日は生憎の濃霧で上野城付近にいる間はほとんど見通しが効きませんでした。
時折霧が流れるかと思えば小雨がぱらついたりでしたので、また平日ということもあり訪れていたのは小生のみでした。
帰りのルートは北西側から戻りましたが、少し霧が晴れてよくよく周囲を眺めれば登ったところからは僅か100m前後しか離れていない地点でありました。
城跡周辺では最初から最後まで濃霧でしたが、このあと竜泉寺城と木内城に立ち寄った後は少しずつ霧が晴れ30分後にはようやくその遠景を眺めることができました。
視界約50m弱、正面が上野城 登り口
主郭の小口 主郭の土塁
主郭の小口 主郭の土塁
主郭の小口 東側の郭の土塁
西側の郭を南北に分かつ土塁 西側の郭
主郭西側の横堀 同 左
下山口 振り返っても霧が
忍者横断中 上の画像から30分後
凸竜泉寺城(滋賀県甲賀市甲賀町上野)
午前10時45分から10時50分 濃霧
平城
土塁 標柱などは無し
年間を通じて探訪可能
上野城から木内城へ赴くにあたり寄り道をしてみました。
竜泉寺境内の西側に長さ20mほどの土塁の一部が残存し、土塁の北端部は東へとのびていた痕跡を示しています。
こういう状態の平城ばかりが至近距離に点在していれば楽なのですが、そう贅沢もいえず。
この時点で濃霧の方は少しずつ晴れ始める気配を見せ始めてきました。
西側の土塁 竜泉寺城の全景
西側の土塁 土塁の北端部
凸木内城(滋賀県甲賀市甲賀町上野)
10時55分から11時10分 濃霧から薄曇りに
平城
土塁、堀、郭 石柱あり
探訪時期 平地なので何時でも行けそうですが、やはり見通しの良い11月下旬から4月上旬ころまでが相応しそうです
堀跡部分を含めても一辺が40mほどのごく小規模な方形館で、道路拡張により消失した南側を除き土塁と堀跡が残されています。
始めは霧にかすむ遠景から 次第に霧が薄れ
南側に回り込んだら晴れ始め 城址碑
堀跡 郭の内部
凸前山城(滋賀県甲賀市甲賀町)
午前11時20分頃
登り口などの情報不足で遠景のみで終了
下記画像の左側が前山城と岡崎城で、右側が中山城方面だと思います。
凸中山城(滋賀県甲賀市甲賀町)
午前11時20分頃
登り口などの情報不足で遠景のみで終了
凸岡崎城(滋賀県甲賀市甲賀町)
午前11時20分頃
登り口などの情報不足で遠景のみで終了
凸油日城(滋賀県甲賀市甲賀町)
午前11時40分から12時10分
比高約30m
土塁、郭、小口 標柱などは無し
探訪時期 11月下旬から4月上旬
ルートは山麓の西側からと北側からがあるようです。
主郭土塁は小口部分をのぞいてほぼ全周しており、内部での高さも南西側では最大5mを有する個所もありました。
典型的な削り残し土塁であるように見受けられました。
西方からの遠景 懐かしく心落ち着く光景
主郭の土塁 主郭の小口(たぶん)
西側山腹から見上げた主郭
・白鬚神社
歴史の古さを伝える石垣が見事な佇まいを見せておりました。
ここは油日 白髭神社参道
社殿正面の石垣 社殿左側の石垣
社殿右側の石垣 社殿背後の石垣
社殿背後の石垣 社殿内から
凸油日館(滋賀県甲賀市甲賀町)
12時30分から13時05分 晴れ
平城
堀、土塁の一部が竹林の中に残る 石碑等あり
探訪時期 竹林なのでほぼ一年中
油日神社の西側、善應寺境内西側の竹林の中に堀と土塁が残されていることは確認できたのですが、近くで見学することはできませんでした。
県道131号線から 石碑脇のプレート
石碑 たぶんこれです
・油日神社北の遺構
油日館の北、県道131号線の東側山林に県道に沿うような形で長さ約100mで東側に土塁状の盛り上がりを伴った幅3mほどの溝状の地形がありました。
古道などの可能性も含め、今のところその正体は分かりません。
延々と続いていましたが..
凸滝川城(滋賀県甲賀市甲賀町)
13時40分から14時00分 薄曇り
比高約10m
土塁、郭、水の手 現地説明版あり
探訪時期 11月下旬から4月上旬ころまで
有名な滝川一益の故地とされている滝川氏の本拠です。
思ったよりも規模は小さく、それでいて水の手の確保(削り残し土塁などからの湧水か) が明確であるという特徴が感じられます。
県道131号線からの遠景 同 左
ここは櫟野(いちの) しつこいけど遠景
登り口 現地説明版
耕作地か郭か 小口か
民間信仰の石碑 削り残しの土塁(たぶん)
土塁
水の手か 水の手と土塁
凸滝川支城(滋賀県甲賀市甲賀町)
14時15分から14時25分 薄曇り
比高差約15m
土塁、小口、郭、堀 標柱などは無し
探訪時期 11月下旬から4月上旬ころまで
滝川氏の支城と考えられているようです。
草木の繁茂のため、全体として遺構の配置がやや分かりづらい印象がありました。
南側からの遠景 城跡へのルート
同 前 土塁か(削り残し)
堀跡か 耕作地か郭跡か
凸滝川西城(滋賀県甲賀市甲賀町)
14時30分から14時45分 曇り
比高差約15m
土塁、郭、横堀、水の手、腰郭 標柱などは無し
探訪時期 11月下旬から4月上旬ころまで
12月半ば過ぎでしたが、内反小指の具合も芳しくなく、藪がひどいことなどから北側の半分くらいしか見学できませんでした。
全体の配置が掴みにくい印象があります。
この場所はどうも斜面を這い上がるしか方法が無いようですのでストックがあると便利です。
北側からの遠景 同 前
近くの神社跡の石碑 この辺りからなら入れます
たぶん小口かも 水の手
郭内から小口 北側の集落
奥の土塁の向こう側にも遺構が 北側に張り出した腰郭
小口部分の土塁 滝川城と滝川西城(右側)
と、いちおうは城館11か所(+その他2か所)を並べてみましたが、実際に行ってみましたのはこのうちの8カ所だけで、あとは登る個所が分からず、正確な位置も不明でしたので遠景を撮影しただけにとどまりました。
天候次第で南の和田方面を選択するという方法もありましたが、資料収集を兼ねていることから今回は上野城、滝川城方面が中心となりました。
しかし濃霧と電車の遅延などにより誤算が生じ櫟野方面と北野方面へは向かえず仕舞いに。
このあとは当初の予定通りに甲賀図書情報館に立寄り資料収集作業に向かいました。
ところが櫟野の集落から甲賀図書情報館までの道道程約2.5kmが予想外に長く、内反小指の痛みも強まり、さらに途中の道路が工事中のため迂回したことなどから高台にある図書情報館に到着したのは午後3時半を大きく過ぎてしまいました。
資料収集を終えて油日駅に向かうものの左折すべき個所を誤り1kmほど大きく迂回する羽目になり、この道が街路照明がほとんどなく漆黒の闇に。
どうにかして駅には到着しましたが、生憎と草津方面の電車は先ほど出発したので、次の電車の発車時刻までは約40分間の空白。
午後5時を過ぎると無人駅となるらしく、駅舎に明かりは灯れども、ひとりポツンとベンチに腰掛けていても、ホームには乗降客などの人影はなし。
発車時刻の5分ほど前になり、ようやく一人二人と乗客が参集し、自分を含めて4名の乗客に。
よく見れば行きに乗車していた客もいたりして、人そのものの少なさを痛感しました。
さて帰路も濃霧が発生して貴生川駅から草津駅へと向かう電車はまたもや約30分間遅延。
本日も3万歩近い距離を歩行し、足底腱膜炎の方は抑止でき入ましたが、内反小指の方は悪化の一途に。
こうして甲賀の2日目は霧にまかれた一日となりました。