本来は中世城館跡めぐりがテーマのはずでありました。もっとも最近は加齢と共に持病が蔓延し本業が停滞傾向に...このためもっぱらドジなHP編集、道端の植物、食べ物、娘が養育を放棄した2匹のネコ(※2019年11月末に天国へ)などの話題に終始しております (2009/05/21 説明文更新)
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武蔵国入東郷の地下人小頭@和平
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「余り遺構の無い城館跡めぐり」と「ネコいじり」並びに「観葉植物の栽培」など数だけは
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その関係資料は8年ほど前から手元にありました。
これまでに出かけようという気になったのも幾度あったことか。
けれどもその都度体調が思わしくないなどして順延に。
遠方でもあることから、近年ではもはや諦観の域。

計画の決定は先月末のこと。
近年の体調に鑑みて、「いま行かなければ、たぶん一生行けない」などという妙な確信も。
今回の足は当初のプランでは新幹線利用+現地レンタサイクルを検討。
しかし、その後は道路の高低差や利用時間などを考慮し、現地での移動手段は徒歩へと変更。
こうすれば行動範囲の制約と疲労リスクはあっても自己責任の範囲内。

さて、目的地の天気予報はこの一週間の間に目まぐるしく変遷。
「3日間降雨なし」から「3日間雨続き」まで実にさまざま。
最新の当日の天気予報では、降水確率40%(場合により小雨覚悟)という微妙な状況となりました。

ところで今回は自家用車利用ではなく、手荷物の分量には自ずから限度があることから、甲賀市水口町と甲賀町油日および草津市草津駅前周辺にターゲットを限定。
むろん行動の制約となるであろう重たいスーツケース(その大半は約60件ほどの現地城館資料などで、総重量は約15Kg)は、連泊予定の草津の駅前ホテルに預託(甲賀地方には新幹線とセットになった適当な宿泊先が見当たらず)
当日分の資料と県別マップルなどはザックに収納済みで、これにデジカメ、飲み物、雨具、折りたたみ傘など加えると軽く5Kg超えにとなり、これを携行しての電車の乗り換えがきついことこの上なし(笑)



北虫生野城(きたむしょうのじょう、滋賀県甲賀市水口町虫生野字加久戸)
午前10時20分から10時55分 厚曇り
比高約30m
堀切など、標柱・説明版なし
推定探訪可能時期 11月下旬から4月上旬ころまで
堀切見学のためトレッキングシューズとストックがあればなお便利

滋賀県の最初がこの無名に近い城跡です。
その理由は簡単で貴生川の駅から徒歩で廻れる範囲内で、そこそこ有名な水口城と水口岡山城をまわる途中に所在しているというだけのことでした。
しかも下調べ段階で分かっているのは、30年ほど前の中世城館調査報告書の一部情報だけというありさまです。
つまりは所在地も不確かで、果たしてあるかないかもよく分からないという、きわめて曖昧な探訪なのであります。

そのような次第なので、空振り覚悟での数稼ぎなのかともいえます。
この城跡へはJR草津線貴生川駅にて下車し、浄福寺東側の丘陵へと向かいます。
と、いくらも進まぬうちに前方に丁字路が...しかも目の前には川が...??
ここで、「はて」と首をかしげて、ここで地図読みを。
すると、なんと北口に降りるべきところを、南口に降りるという失態。
太陽が出ていればまず間違えるはずもないことなのですが、この日は生憎の曇天で太陽の姿は拝めず方角を取り違えたのでありました。
これも歳のせいかもしれずと自らを納得させて再び跨線橋わたり北口へと向かいました ^_^;

浄福寺までは北東に約300mなので、今度は間違いなく正面に丘陵も見えてまもなく到着。
城跡がありそうに見えるのは、まずは浄福寺境内東側の丘陵とこれに続く南側の小ピークであろうと推定。
浄福寺境内から南にある小さな付属墓地に向かう小道を挟んだ南北両側丘陵が、いかにもそれらしい地形をしていることが窺えます。
とりあえずは、東へと向かう小道から分かれてその墓地へと入り、そのまま草むらの中を南へと進みんでいきます。
そうすると稜線には明らかに人工的な削平地が3か所ほどの段に分かれて南側へと続いていることが分かります。

また、その東西方向にも帯郭ないし腰郭のような細長い中腹の削平地も散見されます。
稜線の先端部には堀切(北側約5m、南側約7m、幅約8m)が確認できます。
その先の地形を確認しようとは思ったのですが、ストックもなく掴まるような枝もなく登攀を断念しました。
なお、城館遺構は東へと向かう小道の北側(浄福寺境内東側)にも残されていることを後から知りましたが、この時期にもかかわらず藪が酷くこのあとの予定を勘案し断念しました。
元々は一体の尾根続きであったものが小道の築造などによる地形改変により、南北に分かれてしまったものなのかも知れません。
遺構が確認できれば勿怪の幸いと考えていたところで、みごとな堀切遺構を目の当たりにして小さくガッツポーズを。
城跡としての規模は小さいのですけれども、コンパクトに纏っているという印象があります。

 
 付属墓地(この道から入る)    南西からの遠景     


 稜線に3か所ほどの郭が続く      浄福寺

 
    堀切の手前から       堀切(西側から)


     郭間の段差       南側遺構の北端部付近

 


内貴殿屋敷(滋賀県甲賀市北内貴字東村)
午前11時00分から11時10分 小雨
比高なし(平地)
土塁、標柱・説明版なし
推定探訪可能時期 年中

北虫生野城からは北西に徒歩3分ほどの福照寺西麓に展開する集落の一角に所在しています。 
旧家の北側に土塁(高さ約3m、長さ約25m)とこれに伴う堀跡状の地形が部分的に残されています。
「城郭大系」には「内貴城」という城館が一覧表に掲載されていますが、相互の関係はよく分かりません。


     南側から           東側から


    東側からの遠景      東側の堀跡状の地形




内貴川田山城(ないきかわだやまじょう、滋賀県甲賀市北内貴字川田山)
午前11時20分から11時45分
比高15mから25m
土塁堀跡標柱・説明版なし
 
内貴殿屋敷から北へ約300mの丘陵先端付近で北麓には川田神社が所在しています。
丘陵南側の細道を東へと入り、畳工場の前あたりから見当をつけて藪をかき分け北側の丘陵に入りました。
比較的見通しの良い尾根筋には人工的な削平地のようなものが散見されるものの、城館との関係を想起させるような印象がありませんでした。
寧ろ北西の稲荷神社の小祠とその背後の削平地の方が、それらしい印象があります。
なお遅きに失した感もありますが、この尾根筋へは下記の川田神社参道脇から南へ分かれる稲荷神社参道を利用すると藪漕ぎをせずに済むことが分かりました。


   南西からの遠景        稲荷神社南東の地形


 前の画像から見下ろした地形     稲荷神社境内


   稲荷神社への参道



・近江鉄道の車両(貴生川~水口城南間で撮影)
運行本数が少ないので、結局乗車する機会のなかった近江鉄道本線でした。






水口城
(みなくちじょう、滋賀県甲賀市水口町本丸)
12時20分から13時30分 小雨
近世平城(御茶屋御殿)
水濠石垣土塁、復興櫓など
櫓を模した水口資料館の休館日は毎週の木曜日、金曜日と年末年始
外部から水濠や石垣などを眺める分には何時でも探訪可能

寛永10年(1633、築城時期については諸説あり)将軍家御茶屋として築城された際に、関ヶ原合戦後に廃城となった水口岡山城(水口古城とも)から石垣が移設転用されたと伝わります。
出丸(枡形)の2層櫓風の資料館は平成3年(1991)に隅櫓を模して建築されたそうです。


  小雨なので少し寂しげ     碧水城ともいうようです


  番所の辺りにある資料館   パンフレットのような構図


  水口資料館と復元御成橋      薬医門形式  


     西側水濠      北側水濠と乾櫓台、岡山城遠望


     南東水濠         南東水濠と資料館


柏木神社遺跡(かしわぎじんじゃいせき、滋賀県甲賀市水口町北脇字藤木)
14時00分から14時20分 時々小雨
土塁、堀
夏季、神社繁忙期を除く日中

日没までの残り時間を推定して、水口城のあと岡山城へ向かうか、こちらに寄るか迷いましたが、そうそう来訪できるということもないことから立ち寄りました。
神社境内北東側の鬱蒼とした林の中に堀と土塁が残されているようなのですが、日没までの残り時間がなくなり始め結局確認できませんでした。


    柏木神社参道         柏木神社南側


    柏木神社北側       国道1号線側からの社叢




里脇北遺跡(さとわききたいせき、滋賀県甲賀市水口町北脇字藤木)
14時15分から14時25分 時々小雨
民家の北側に土塁と堀跡が残る。
通年探訪可能だが、民家脇の屋敷林なのでマナーに留意する。

北脇交差点から国道1号線(現在の東海道)側の農道を南へと目をやれば、こんもりとした屋敷林が目に入ります。
この時には未舗装の農道を北側からアプローチしました。
南の姥塚の方からも入れますが、いずれにしても農道なので作業のお邪魔にならないよう注意が必要です。
土塁、堀とも長さは約25mほどで、屋敷林を兼ねた役割を担っているような印象がありました。
 
  
    北側からの遠景         同  左


     
       堀跡          平行する土塁


 
 
水口岡山城(みなくちおかやまじょう、滋賀県甲賀市水口町水口)
15時05分から16時10分 曇りのち晴れ
堀切土塁石垣小口など、説明版・標柱・縄張図あり
公園化されていることから概ね通年の探訪が可能ですが、麓からの比高差は約100mあるので登るのには徒歩で正味20分はかかります。

中村一氏が築城し関ヶ原合戦時には長束正家が城主でしたが、大阪方の敗北により落城し、そののち廃城になったようです。
日没時刻も迫り、この後の予定もあることから、三の丸方面などへは行けず、当時の城下町の痕跡を訪ねるという時間も無くなり、慌ただしい駆け足の見学となりましたが、足元の痛みは増すばかりで言葉の表現とは裏腹に足を引きずりながらの彷徨となりました ^_^;
公園整備などにともなう地形の改変などが感じられますが、本丸北側の石垣も見学しやすく整備されており、晴れた日には眺望も優れていることもあり、水口を訪れた際には立ち寄っておきたい城跡です。
また城山から下山する最終段階でようやく日没前の西日が差してきましたが、以上の画像からも分かるように全体として発色が薄暗い感じのものになりました。
 

 西ノ丸と本丸の間の堀切      本丸北側の石垣


      同 前            同 前


      同 前            同 前


      同 前         崩落した石垣の一部


     本丸西側           解説版


      竪堀           現地の縄張図


      本丸            本丸東側


   本丸北側の小口跡         同 前


 上記小口跡から西側の石垣        二の丸


     推定大手道





こののち予定が少し遅れましたが水口図書館と資料館に立寄り資料収集。
資料館の方は既に閉館時刻を過ぎてしまいましたが、職員さんのご厚意により市史を購入できました。
お陰様でともに閉館時刻を過ぎるなかでも、ご親切に対応いただき目的を果たせました。
心より感謝を申し上げます。

うして1日目の歩行距離は約26kmと概ね当初の予想通りでしたが持病の内反小指が悪化し翌日以降の行動に支障が出てまいりました。
滋賀県の初日は夕刻を除いて余り天候には恵まれない一日でしたが、この時には2日以降に別の事情も発生するなどとは思いもよりませんでした。
なお、このブログは12月24日に記述しています。

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pass
無題
お疲れ様でした
師匠が山城登れたこと、嬉しかったです
まだまだイケますね

今日はありがとうございましたm(__)m
ししんみちのく 2016/12/26(Mon)00:36:36 編集
Re:無題
おはようございます。

昨日は企画、進行、運営、お疲れ様でございました。
常に後塵を拝して、ご迷惑をお掛けいたしました。
どうにか動けるのも残りあと数年と自覚しております。
今のところはそれなりに足元を固めてストックを使用すれば、道なし比高差40m、道あり比高差100mくらいまでならばどうにかなりそうです。

今年1年も、たいへんお世話になりました。
良いお年をお迎えください。
【2016/12/26 06:29】