本来は中世城館跡めぐりがテーマのはずでありました。もっとも最近は加齢と共に持病が蔓延し本業が停滞傾向に...このためもっぱらドジなHP編集、道端の植物、食べ物、娘が養育を放棄した2匹のネコ(※2019年11月末に天国へ)などの話題に終始しております (2009/05/21 説明文更新)
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この日は家内に付き合い群馬県の富岡製糸場へ。
途中で新町のガトーフェスタハラダに立寄り工事用見学と買い物。
自分の方は国道17号線沿いの反対側にある神流川古戦場の石碑見学へ。


  ガトーフェスタハラダ


■神流川古戦場の石碑(群馬県高崎市新町) 午前10時00分から10時10分
天正10年(1582年)に滝川一益の上州勢と後北条氏が戦ったとされる古戦場に由来する石碑です。
この場所は車の通行量が多く、かつ朝方は逆光気味となることから、この時期に写真を撮るなら午後以降がベターであることが判明しました。


   向かい側の古戦場碑



富岡陣屋(群馬県富岡市富岡1-1) 12時10分から12時40分
次に早めの昼食の後に一応富岡製糸場へ出向き、世界遺産でもある近代工業遺産の工場見学。
ちなみにこの工場敷地はいちおう、「日本城郭全集」によると、中野七蔵が慶長年間(1604頃とも)に築造した(ただし未完とも)富岡陣屋でもありますが、現地は世界遺産関係のガイドはあちこちに見受けられるのですが、富岡陣屋に関する解説は見つかりませんでした。



東側の正門から製糸場に入ると正面に有名な木造レンガ造りの工場だけに目が行きがちですが、目を転じると向かって右側(北側)には東西方向に長さ約30m、高さ約1.5mほどの石塁を下部に付した「土塁」状の人工地形が見えます。
むろん近世初期の陣屋との関係は分かりませんが、火薬工場ではなく防爆壁としてはやや規模の小さい土塁で、仮に爆風を防ぐことが目的ならば石材である河原丸石を使用するというのは理に適わないものも感じます。
その一方で石材としての新しさも垣間見えます ^_^;



そこから家内とは別行動で徒歩にて西側の七日藩陣屋跡へ。




七日市藩陣屋(群馬県富岡市七日市1425-1) 13時05分から13時40分
陣屋の創立は元和2年(1616)に前田利家の五男である前田利孝1万石で入封したことに始まり、藩は幕末まで継承されたという。
陣屋跡といっても現在は県立富岡高校の敷地です。
当時の陣屋門、御殿の表玄関と書院を確認し、陣屋北東部にあたる庭園の築山なのか陣屋の土塁跡なのか分かりにくい盛り土の地形を拝見した後は、南西隅の古墳兼前田家宝篋印塔を見学しに行きました。
そこから南側を流れる鏑川を俯瞰して南東の蛇宮神社へ。
陣屋の桝形のような路地を辿りつつ、日没までの残り時間を考え高瀬陣屋へと移動は断念し、隣接した東郭とも推定されている住宅地を抜けて再び富岡製糸場へ向かい家内と合流。


     旧陣屋門          土塁か築山か


     旧陣屋御殿         玄関(車寄せ)


    土塁か築山か      見落とすことのない表示


  国道254線と陣屋       陣屋西側の小道


   前田家の宝篋印塔          解説版


   古墳の上から俯瞰          古墳


    鏑川沿いの崖



その後は甘楽町のこんにゃくパークと藤岡の道の駅ららんに立寄るという、あたかも日帰り観光バスツアーのような経路を辿り藤岡インター経由で午後6時半前に帰宅。
この週には息子の結婚などの慶事も重なり慌ただしかった。


ららん藤岡のイルミネーション

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