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先日の高校のクラス会でふと気になったことがあり古いアルバムを久しぶりに眺めてみました。
子どもが生まれてからは慌ただしい日々が続いていたことなどもあり、たぶんしっかりと眺めるのは50年ぶりかも知れません。
もともとは修学旅行時の「彦根城」の画像を確認するのが目的でもありました。
すると当時の同級生とのハイキングの画像に目が留まりました。
たぶん高校2年の頃に奥武蔵の低山ハイキングを企画した当時のものです。
写真を見る限りでは参加者は男子8名、女子5名の以上13名でした。
そのなかのセルフタイマーで撮影した男子のみの集合写真に目をやると、忘れていた青春の時代が蘇ってきます。
なおそのうちの一人は開業医でそこそこ成功しましたが、医者の不養生なのか50代の前半で逝去。
もう一人のスポーツマンであった土地家屋調査士の会社を経営していた同級生も還暦を前に亡くなっておりました。
ハイキングに偶々集まった8人の内何と25パーセントが死去・・・そういう年代であることを改めて実感しました。
画像はたぶん52年ほど前に撮影した彦根城です。
写りこんでいる人物は同級生、または同窓生の可能性があります。
だいぶ以前の画像でもありますので、顔のモザイクはかけておりません。
先週15日の土曜日は池袋西口の中華料理店にて高校のクラス会がありました。
出席するのは16年ぶりですが、2011年頃にも開催されたという話もあるようです。
その辺りの記憶が最早明確ではない年代同士の集まりなので余りはっきりとはしませんでした。
この16年の間に担任の教師は元より、同級生が少なくとも開業医を含めて既に4人が他界しており、ほかに「消息不明」の方が数名ほどであることが分かりました。
他界されたうちの一人は比較的親しかったのですが、卒業後は疎遠となってしまい今年の1月に逝去したことをこの日に知ったような次第です。
3年間を通じてクラス替えが無かったということもあり、今でもその当時の元気であった面影が頭の中に浮かんできました。
またそうした同級生がもはやこの世には存命していないという厳然とした事実があるのにも拘らず、哀悼の意も含め一向に頭の方が追い付いていかないというもどかしさも感じました。
さて次のクラス会はいつごろ開催するかという話題も出ておりました。
区切りである古希記念になどという話も出たようでしたが、いずれにしても次回の開催時には確実にまた何人かが他界しているということになるのかも知れません。
会の運営が大手商社役員等が取り仕切るというあまり居心地の良くない感触もありましたが、同級生がどのような終活を迎えようとしているのかということもあり、どうにか存命していれば参加するのも悪くは無いようにも思えました。
こうしてみますと実際のところ次のクラス会まで生きているかどうかが一層不透明な年代に差し掛かってきたことだけは確かなようです。
休憩を含めると実質片道6時間はかかりそうだ。
とくに松本市から先が北アルプスを越えて80km以上もあるのでどうも長そうに思えてしまう。
それに比べればまだ伊那谷方面(伊那市、飯田市方面)の方が正味で約3時間なのでそう遠くは無いのだが、いろいろ調べてみると段丘の田切地形が多いのでいまひとつ盛り上がりに欠けるような感じもしてきた。
当初検討していた恵那方面も悪くは無いのだが、基礎的な資料が決して分では無く更に片道1時間ほどを要し人混みが多そうにも思えたりする。
いずれにしても現下の咳と痰の症状が治まらなければどうにもならないのだが・・・
中世城館跡だけではなく、中世初期頃の用水路とされている「女堀」や古墳、神社、仏閣あるいは野仏の観賞と焦点が定まらないでいる。
尤も当初はこういうスタンスであったので、本人にとってはけっして違和感のあるものでは無い。
城館跡は合計15か所ほど。
うち明確な遺構のあるものは僅かに2か所であった。
足回りの様子が不透明であるとこから、あまり比高差のある個所には赴いていない。
そうはいっても、今のところはどうにか歩けているので、1日当たり2万歩前後であれば対応できている。
桜が咲き春は少しずつ深まりを見せ始めている。
草木の芽吹きが地表観察の障害となるのは来月20日頃からであろう。
現下の体力/気力に鑑みると、この間に出かけられそうな日数はあと3日くらいである。
今後は少しずつ北上するか、西北へと向かうのかただ今考慮中である。