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先月末からパソコンの入替えをしている。
今までのOSがW7なので期限ぎりぎりの移行ではある。
前回の入替えは確か2012年12月であったような。
あれから早くも7年が経過している。
現在は入替え後の機器の接続不良、一部文字化けなどの対応を検討中。
USBキーボードの接続トラブルについてはいろいろと試したものの改善する気配は無さそうだ。
コネクターの抜き差しで対応すれば使えるので当面はそれ以外には方法は無いらしい。
この後はアプリケーションのインストールと使用環境の整理、プリンターの接続等がある。
プリンターケーブルの長さがギリギリなので3メートルの物を買足した。
なおこの間に2匹の親子ネコが息を引き取っている。
今までネコたちの居たスペースを片付けているのだが、よく晴れた日以外にはなかなかそうした作業を行う気にはならないでいる。
とりわけ雨の日は気がふさいでしまい、とても片付けるという気にはならない。
されとて何時までもそのままにしておくのもどうかとも思ったりしている。
短いようでもネコたちと過ごした15年2か月という年月は長いらしい。
冷静に自分の年齢を考えると今後はもうネコを飼うことは無いのかもしれない。
一方で長男には子どもが生まれて些か遅めの初孫となった。
諸事情により8日から11日まで3泊4日の預かりを行った。
以前と比べて言葉も多くなり、ある程度の会話が成立するようになってきたようだ。
今日は運転免許の更新に出かけた。
往復で7キロメートルの道を歩いたのだが、延べ90分もかかっているので明らかに気力/体力が落ちてきていることを痛感した。
片足立ちの動作は右足だけならばかなり回復してはいるのだが・・・
ユーチューブのバイク動画を見ていてふと思い出した。
CB50Sは1980年頃から数年間ほど通勤用に乗っていたと思う。
ちょうど長男が生まれた頃であったと記憶している。
ネットを調べてみると恐らくこのシリーズの最終モデルであったらしい。
現在ではある意味幻の名車でもあったようだ。
車両価格はたぶん13万9千円ほどであったと思う。。
因みに車の方は多分スズキ/アルトからスバルサンバーの頃であったように記憶している。
最終的な走行距離は1万5千kmくらいだったような気がする。
廃車についてはたぶん昭和の終わりか平成の初め頃であったと思われる。
50CCらしい乾いた甲高いエンジン音が特徴で、五段ギアのうちサードでエンジンの回転を上げ4段に移行すると速度メーターでは瞬間的に時速90km前後は出てしまったという記憶もある。
1速目のギア比が重くエンジン音がうるさいことから、通常では2速発進をしていたように思う。
なお流石に3速での発信にはちょっとした要領が必要であった。
あくまでも人家の全くない極めて見通しの良い通行量の少ない直線道路での話である。
殆ど片道7kmほどの通勤用としていたことから遠距離は走ってはいなかったが、唯一家内の実家のある小川町まで往復(片道40km/往復80km)したくらいであったようである。
途中で国道254線のバイパスもあったことから、できるだけ他の車両の邪魔にならないように制限速度を大きく超過することなく路側帯付近を通行し、片道1時間半ほどを要したように記憶している。
元来50CCの原付であることから余りツーリング向きではないことから、続けて1時間も乗車していると尻と股関節が痛くなってきたが、走行性能自体には問題は無かったように思う。
また制動システムもディスクブレーキであり、バッテリーが弱いことを除けば大変乗りやすかった。
尤もバイク通勤はその前に3年ほどは続けており、その際はヤマハメイト50であった。
その原付はクラッチなしの3段変速で、どうあがいても時速は60kmには達することは無かった。
「2019年台風19号に関するメモ」
2歳の孫が住んでいるさいたま市内の長男のアパートでは近くの用水路が逸水したものの、直接の被害は無かったらしい。
さいたま市内でも同地域については比較的降雨量自体が少なかったことも幸いしているものと考えられる。
家内の小川町にある実家方面では町内の数か所で河川の氾濫により一部で住宅地への浸水があったようだが縁戚も含めで被害なしとのこと。
ただし、槻川の下流地域である越辺川では入間川との合流点の手前で堤防破壊により大規模な水害が発生した。
群馬県嬬恋村の縁戚宅では吾妻川の増水が発生したが、幸い首の皮一枚で無事とのことであった。
また、拙宅については武蔵野台地の小河川とは縁遠い立地のため、一時的に道路の冠水が見受けられたのみであった。
なお市内では荒川支流の新河岸川の増水等により一部の低地地域において避難指示が実施され、拙宅近くの小学校体育館が避難所として開放された。
発信元はふじみ野市役所(1)、川越市役所(7)、国交省関東地方整備局(8)、熊谷地方気象台(3)、埼玉県(3)などであった。※( )内はメール受信件数
携帯のメールフォルダーの格納容量が20件までのため現在記録が残るものは以上であるが、実際には恐らくは少なくとも40件前後は送信されてきたものと考えられる。
一部記憶に頼る部分もあるのだが、当初における避難準備情報段階から、河川氾濫情報、避難指示、2階への垂直避難等へと次第に緊迫した送信内容となっていた。
