本来は中世城館跡めぐりがテーマのはずでありました。もっとも最近は加齢と共に持病が蔓延し本業が停滞傾向に...このためもっぱらドジなHP編集、道端の植物、食べ物、娘が養育を放棄した2匹のネコ(※2019年11月末に天国へ)などの話題に終始しております (2009/05/21 説明文更新)
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車で飛騨市内(旧古川町、旧神岡町方面)に行くには中央高速を松本市経由で高山市に抜けるのが最短なのだが、それでも正味で片道5時間以上は必要らしい。
休憩を含めると実質片道6時間はかかりそうだ。
とくに松本市から先が北アルプスを越えて80km以上もあるのでどうも長そうに思えてしまう。
それに比べればまだ伊那谷方面(伊那市、飯田市方面)の方が正味で約3時間なのでそう遠くは無いのだが、いろいろ調べてみると段丘の田切地形が多いのでいまひとつ盛り上がりに欠けるような感じもしてきた。
当初検討していた恵那方面も悪くは無いのだが、基礎的な資料が決して分では無く更に片道1時間ほどを要し人混みが多そうにも思えたりする。
いずれにしても現下の咳と痰の症状が治まらなければどうにもならないのだが・・・
休憩を含めると実質片道6時間はかかりそうだ。
とくに松本市から先が北アルプスを越えて80km以上もあるのでどうも長そうに思えてしまう。
それに比べればまだ伊那谷方面(伊那市、飯田市方面)の方が正味で約3時間なのでそう遠くは無いのだが、いろいろ調べてみると段丘の田切地形が多いのでいまひとつ盛り上がりに欠けるような感じもしてきた。
当初検討していた恵那方面も悪くは無いのだが、基礎的な資料が決して分では無く更に片道1時間ほどを要し人混みが多そうにも思えたりする。
いずれにしても現下の咳と痰の症状が治まらなければどうにもならないのだが・・・
今月は延べ3日間の探訪となった。
中世城館跡だけではなく、中世初期頃の用水路とされている「女堀」や古墳、神社、仏閣あるいは野仏の観賞と焦点が定まらないでいる。
尤も当初はこういうスタンスであったので、本人にとってはけっして違和感のあるものでは無い。
城館跡は合計15か所ほど。
うち明確な遺構のあるものは僅かに2か所であった。
足回りの様子が不透明であるとこから、あまり比高差のある個所には赴いていない。
そうはいっても、今のところはどうにか歩けているので、1日当たり2万歩前後であれば対応できている。
桜が咲き春は少しずつ深まりを見せ始めている。
草木の芽吹きが地表観察の障害となるのは来月20日頃からであろう。
現下の体力/気力に鑑みると、この間に出かけられそうな日数はあと3日くらいである。
今後は少しずつ北上するか、西北へと向かうのかただ今考慮中である。
中世城館跡だけではなく、中世初期頃の用水路とされている「女堀」や古墳、神社、仏閣あるいは野仏の観賞と焦点が定まらないでいる。
尤も当初はこういうスタンスであったので、本人にとってはけっして違和感のあるものでは無い。
城館跡は合計15か所ほど。
うち明確な遺構のあるものは僅かに2か所であった。
足回りの様子が不透明であるとこから、あまり比高差のある個所には赴いていない。
そうはいっても、今のところはどうにか歩けているので、1日当たり2万歩前後であれば対応できている。
桜が咲き春は少しずつ深まりを見せ始めている。
草木の芽吹きが地表観察の障害となるのは来月20日頃からであろう。
現下の体力/気力に鑑みると、この間に出かけられそうな日数はあと3日くらいである。
今後は少しずつ北上するか、西北へと向かうのかただ今考慮中である。
今日は結婚40年であった。
3月でもあり当日はかなり風の強い日で、やたらに砂埃が舞い上がっていたという記憶がある。
始めの頃は別として、子どもが生まれてからはその子育てが生活の中心となり年々この日は忘れがちとなっていったらしい。
その後子どもたちが成人しても、子育て疲れかどうかは分からないのだが、毎年いつの間にか過ぎ去り、どうやら夫婦ともに余り意識してはいなかったように思える。
そして8年前の東日本震災。
ようやく近年になり、家庭的な慶事と社会的な慰霊の日が重なっており、結婚記念日と震災の日が同じであったことにあらためて気がつくような始末なのであった。
還暦時頃はともかく、とうとう古希近い年齢となり記憶力の減退とともに足腰の老化等が進行してきたようだ。
ますます先行きは不透明であり、50周年を迎えるかどうかは全く分からない。
当面は初孫のランドセル姿を見ることが目標のようだ。
3月でもあり当日はかなり風の強い日で、やたらに砂埃が舞い上がっていたという記憶がある。
始めの頃は別として、子どもが生まれてからはその子育てが生活の中心となり年々この日は忘れがちとなっていったらしい。
その後子どもたちが成人しても、子育て疲れかどうかは分からないのだが、毎年いつの間にか過ぎ去り、どうやら夫婦ともに余り意識してはいなかったように思える。
そして8年前の東日本震災。
ようやく近年になり、家庭的な慶事と社会的な慰霊の日が重なっており、結婚記念日と震災の日が同じであったことにあらためて気がつくような始末なのであった。
還暦時頃はともかく、とうとう古希近い年齢となり記憶力の減退とともに足腰の老化等が進行してきたようだ。
ますます先行きは不透明であり、50周年を迎えるかどうかは全く分からない。
当面は初孫のランドセル姿を見ることが目標のようだ。
