本来は中世城館跡めぐりがテーマのはずでありました。もっとも最近は加齢と共に持病が蔓延し本業が停滞傾向に...このためもっぱらドジなHP編集、道端の植物、食べ物、娘が養育を放棄した2匹のネコ(※2019年11月末に天国へ)などの話題に終始しております (2009/05/21 説明文更新)
カレンダー
03 2025/04 05
S M T W T F S
1 3 5
6 7 8 9 10 11
13 14 15 16 17 18
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30
最新CM
(07/01)
(11/09)
無題(返信済)
(12/17)
(10/13)
(03/22)
最新記事
最新TB
プロフィール
HN:
武蔵国入東郷の地下人小頭@和平
性別:
男性
職業:
定年を過ぎました~
趣味:
「余り遺構の無い城館跡めぐり」と「ネコいじり」並びに「観葉植物の栽培」など数だけは
バーコード
ブログ内検索
アーカイブ
最古記事
アクセス解析
フリーエリア
[80] [81] [82] [83] [84] [85] [86] [87] [88] [89] [90]

今月1日の手術から3週間以上が経過し、先週あたりから日常生活には概ね支障はなくなりました。
昨日は近所のディスカウント・ストアへ買い物にも出かけられました。
首の動きにもほぼ支障はないことから、車の運転も問題なさそうです。
傷口の痛みも夕刻から時々発生するだけで、確実に治まっていく傾向にあります。
あとは体力の回復ですが、年齢的に低下している部分だけはどうにもなりません ^_^;

拍手[3回]

退院後早くも8日が経過しました。
お陰様を持ちまして、10日頃から発症した傷口の痛みも痛み止めの効果もあり小康状態に。
車の運転にも短時間ならばそれほどの支障は見られず。
術後は顔面の右半分の感覚が弱っていましたが、現在は右耳と傷口の部分だけというように範囲が縮小中。
術前に懸念された顔面神経への影響も殆ど無さそうな気配。
これで、咽頭炎と花粉症が治まれば申し分が無いのであります、花粉症の方はともかくも咽頭炎の方は治りそうで治らず、完治までにはもう少し時間がかかりそうです。

拍手[1回]

13日(月)は先週2月7日の退院後初めての再診日でした。
結果は当初の予想通り「良性」でした。
耳下腺腫瘍としての区分は「多形腺腫」として確定診断。
しかし、腫瘍は4個ほど摘出され、最も大きなものは長さ5センチ、重さ17グラム超の大物。
今回は結果的に顔面神経温存を優先したことから当面は15センチほどの傷口の回復を含めた経過観察に。
今後において、良性ではなくなる可能性は「15%から20% 」とのことで、年に一度くらいの頻度での画像診断を含めて、いずれにしても長~いお付き合いになるとの主治医の発言。
すでにもうこの歳なので、早い話が一生涯のようにも (苦笑)

拍手[0回]

郡山合戦時に関連していたと考えられる城館の位置関係を古い航空写真に再現してみました。

画像上部の「山王館」(拙サイトでは久保田山王館)は郡山合戦時の伊達氏側援軍の最前線と考えられ、その右の「久保田城」(別名比丘蓮館か)がその出城で、これに比して「稲荷館/郡山城」は伊達氏側に属しているものの敵中に孤立し安い立地であることも明瞭です。
一方従来は郡山城に比定されていた台地に所在している「伝郡山城」(一説には茶臼館とも)の方は逢瀬川の対岸に所在しており、佐竹・蘆名連合軍の陣城説も頷けます。

自分にとっては多少分かり易くはなったのですけど、いちおう関係する文献を可能な限りあたったりしているのでこれを作成するのは結構な手間です。

拍手[1回]

未だに手術した右耳周辺の感覚は戻りませんが、一昨日辺りから少しずつ術後の疼痛がひいてきたようです。
このため午前中に入浴し、傷のない方の髭剃りを敢行しました。
もっとも顔の右側の方はリスクがあることから全体の7割ほどです。
あわせて副作用の多い痛み止めの服用も昨日から中断中で何とか生活できます。

また手術時の気管挿入にともなう咽頭炎も少しずつ回復に向かっています。
加えて花粉症の方も、日々確実に快方に向かってきました。
しかし傷口付近の痒みが出始め、知らないうちに傷口に触れてしまうこともしばしば。
このため睡眠前には小さなガーゼを傷口に当てています。

それでもこのまま状況が推移すれば、来週末頃までには日常生活には支障がなくなるかも知れません。
と、ブログを打ち込んでいると咳が出始め、痛みも再発するというのを何度か繰り返しているようにも思われます ^_^;

拍手[1回]