本来は中世城館跡めぐりがテーマのはずでありました。もっとも最近は加齢と共に持病が蔓延し本業が停滞傾向に...このためもっぱらドジなHP編集、道端の植物、食べ物、娘が養育を放棄した2匹のネコ(※2019年11月末に天国へ)などの話題に終始しております (2009/05/21 説明文更新)
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武蔵国入東郷の地下人小頭@和平
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定年を過ぎました~
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「余り遺構の無い城館跡めぐり」と「ネコいじり」並びに「観葉植物の栽培」など数だけは
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前回日帰りで長野県を訪れたのはもう7年前に
本来の目的は亡父の遺品である戦前の絵葉書等の寄贈
このため寄贈先の軽井沢町と隣の佐久市を訪れただけで帰宅

7年後の今回も家内の美術館見学のついでのようなもの
従って一泊2日とはいえ、城館跡めぐりはあくまでも付足しに


◎生島足島神社(長野県上田市)
午前8時55分から9時30分
武田氏家臣団の起請文で著名な神社
「子育て」祈願もあることから参拝

  水濠に囲まれた境内


◎無言館(長野県上田市)
午前9時45分から
「館」名は付けられていますが、あくまでも「美術館」です
戦没画学生慰霊美術館の本館、別館オリーブの読書館、デッサン館などを順次見学
数多の有為な人材が失われたという事実とその背景を、戦後に生きる人間としてあらためて重く受け止めることとなった

      無言館


◎塩田の館(長野県上田市)
午前11時05分から11時40分

名称が紛らわしいのですが、いわゆる「城館跡」ではなく、あくまでも観光案内所兼休憩所兼蕎麦やさん(北条庵、この塩田の地に鎌倉北条氏一族が居住したことに因む店名)です ^^

     塩田の館

ここで蕎麦と山菜?天ぷらで昼食

    皿蕎麦と天ぷら


女神山城(長野県上田市)

むろん遠景撮影のみ
この時季に比高差200mの急登する気力はなし(^^ゞ
敢えて真田氏の幟旗を避けて、うどんの幟旗を入れて撮影してみた

   女神山城の遠景

 
◎前山寺(長野県上田市)
12時20分頃

当初の予想通り時間に余裕がなくなり山門から参詣して移動

    前山寺山門

門前の「野菜等直販所?」で熟睡していた看板ネコ

      爆睡中


塩田城(長野県上田市)
12時45分から13時15分

石垣の手前まで赴いたのですが、経験上から何やら雰囲気(大型哺乳類?)が怪しく撤退
遺構を前に撤退したのは10年ぶりくらいです(^^ゞ

 公道沿いからも見える城址碑

 空堀の近くで無装備の中年カップル(サンダル履き)の方が、登山道を進もうとされていましたので、お節介ながらご忠告申し上げたところ即座に撤退されました
因みにご忠告の内容は「クマ出没の可能性、云々」(入山装備不十分な方々へのご忠告はこれが一番納得していただきやすいようです)です
この辺りに頻繁に出没するかどうかについての詳細は把握しておりませんが、北方の砥石城近くの太郎山山系ではこの夏の出没事例が頻発しています

このあと実際に谷沿いの登山ルートを登り始めると、異様な雰囲気の景観がつづき、「クマ除け鈴」と「ラジオ」くらいでは効果が無さそうな印象を抱き、小生も石垣遺構の手前付近でUターンを余儀なくされました。

  小口石垣群の手前付近

年齢的に最早この比高差と斜面は登れません(^^ゞ
 
   塩田城付近の山稜


◎龍光院(長野県上田市)

こちらも残り時間の関係で山門前から参詣するに止まりました。

岡城(長野県上田市)
13時50分から14時30分

外郭の堀跡は比較的よく知られているようですが、宮坂氏の著書にも記されているように主郭北西部の堀跡もある程度良好に残存していました。

    北側の外堀跡


    北西部の内堀


浦野城(長野県上田市)

遠景のみの撮影



◎上田原合戦古戦場(長野県上田市)
15時15分から16時50分

上田原古戦場公園


    小島権兵衛墓所


 屋代源吾墓所と須々貴城方面


    屋代源吾墓所


   板垣信方墓所(板垣神社)
  背景の山は虚空蔵山城方面


    雨宮刑部墓所


    無名戦士の墓


   石久摩神社の石碑


     伝・信玄道

の順で徒歩にて探訪して本日の任務完了

以上のように、日をあらためて訪れる際の目安とするために遠景を撮影しただけの城館跡が数か所ほどはあった
しかし加齢に伴う体力の衰え、等高線の混み具合とその比高差、クマとの遭遇の可能性などを勘案すると遠景のままとなる公算は限りなく大きいものがあると感じざるを得なかった

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今日は旧盆の挨拶を兼ねて妻の実家へ
その前に妻の叔母宅を訪問
妻の実母はもう14年前に亡くなり享年71歳
妹であるその叔母もすでに78歳に
小生とはちょうどひとまわり違いの兎年生まれ

一方、家内の実父は満88歳
耳は大分遠くなっているものの未だ基本的に一人で自活中

そろそろ己のことを含め来年のことが予測できない年代へと差し掛かってきたらしい
逢えるうちに遭うべき人々に逢う、そんな日々が続いている

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先月の20日過ぎ頃から毎日10分前後少しずつ庭の草むしりを開始
持病の腰痛に留意し毎回ほんの少しずつの展開
庭といっても正確には家の周りの僅かな隙間
それでも面積は約50平方メートルほど
最後に南天、アオキ、ブルーベリー、ヤツデ類の木本を剪定し漸く先週末に完了

ところが二、三日前から背中から腰にかけて違和感発生
歩くと鈍痛もあるような
このため日課の草むしりはパス
現在背中を冷湿布中
そういえば今朝は腰の辺りの痛みで目覚めたようにも (^^ゞ


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今日は立秋
あくまでも暦の上ですが

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都内23区シリーズ第11弾はまたしても葛飾区(笑)

何時もの通り始発に乗車すべく早朝午前4時20分に自宅出発
夜明けの時刻が夏至の時に比べ少しずつ確実に遅くなってきている
夏至の頃には午前4時過ぎには東の空が白み始めていた

今回のルートは確実に座れそうな東上線―和光市乗換の地下鉄有楽町線―有楽町乗換の地下鉄日比谷線直通で、結果的に往路は全て座席に座れた
JR利用に比べ約20分所要時間が多いが、足への負担を極力軽減することに

前回の7月24日はあちこちに立寄り結果的に歩き過ぎとなりエネルギーが枯渇
このため今回の現地移動はできるだけ京成バスを有効利用
全体の歩行距離も極力抑制


小菅御殿、銭座(東京都葛飾区小菅)
午前6時50分から8時10分

小菅駅が所在するのは足立区で、小菅は足立区との境界に所在している
伊奈氏下屋敷、徳川家御殿跡、幕末期の銭座跡・・・そして現在は小菅拘置所
むろん関係者以外は立ち入り不可で撮影自体にも制限がある
関係者となるのは不本意でもある
正門脇の説明版と石灯籠を柵越しに眺め、すぐ近くの小さな親水公園内(小菅万葉園)に設置されたよく見えない2種類の説明版を見学

  正門脇の説明版と石灯籠


よく見えない小菅御殿の説明版


◎小菅稲荷神社
拘置所南側の道路沿いに所在する神社
伊奈氏下屋敷時代には屋敷神のような存在であったのかも知れず
ただし現在の所在地は当時のものではなく社殿は移座しているらしい

    小菅稲荷神社


◎西小菅小学校
この辺りに銭座が置かれていたと推定されている
東側校門前に設置されている銭座の説明版はしっかりと読むことができる

    銭座の説明版


◎八幡宮
現在では綾瀬川沿いに所在する道端の小祠だが、かつては参詣者により賑いを見せていたという
かつての綾瀬川はこのような直線状の河川ではなく、古隅田川を含めてこの付近では特に大きく蛇行を繰り返していたことが明治初期の迅速図などからも把握できる

    現在の綾瀬川


◎小菅神社
綾瀬川沿いの微高地に所在する神社で低丘陵の先端に所在しているがその由来は不詳
近世以降から現代にいたるまでの間における綾瀬川の河川改修、流路変更などの事情を考慮すると往時の地形を想定するには材料不足が否めず
 
 綾瀬川東岸の小菅神社境内


◎古隅田川
地表部が公園化されている隅田川の旧流路を辿ってみた
恐らく現在の流路は流入する水量の減少などもあり埋め立てられ、その川幅も狭くなっているものと考えられる

     古隅田川

このあと「登記所」バス停から京成タウンバスに乗車し「堀切中学校」バス停まで移動
この付近を散策していると必ずスカイツリーの姿が見えるので、まず方向を誤ることはなさそう



堀切(東京都葛飾区堀切)
午前9時00分から9時15分

「東京都の中世城館」によれば、「いぼとり地蔵」でも有名な真言宗極楽寺とその周辺を示唆していると思われるが、歴史的経緯はおろか、その存在の信憑性についても?となる城館跡

   極楽寺南側の道路



立石(東京都葛飾区立石)
午前10時30分から10時40分

前々回すでに探訪済みの地域
しかし見落としたポイントに気づき再訪
古墳の石窟の一部とも

「立石」地名の語源となった石

中川沿いの道を歩くと何故か足取りが重くなる
今回はデジカメレンズを以前から使用していた18-300mmに戻したせいなのだろうか
あるいは幾分薄日が差しはじめて気温が上昇したことによるものなのだろうか

帰路、京成立石へと向かう際に立石駅前商店街の和菓子屋で「どら焼き」など5品を購入
金750円也


この後は早々と京成立石―青戸―日暮里―池袋経由の東上線にて帰宅
青戸―日暮里間は特急運行でこの間の駅は通過するものの電車の速度は兎に角のんびり
恐らく東上線の急行(時速90km超)と比べ半分くらいの速度で運行していた
地図を参照してみると確かに急カーブが多いので納得

日暮里駅の山手線への乗換ではキャリーケースを引いた主にアジア系外国人観光客で大混雑
池袋駅の階段では視覚障害の方が、そうした雑踏の中を人の流れとは反対方向に白杖をついて階段を上がろうと試み、数人が危うく将棋倒し寸前に
このように今日はいろいろと考えさせられる日でもあった


超早目の撤収故、池袋からの東上線も血眼にならずに座席確保
ただし駅からのバスは本数も少なく予定のダイヤが合わずに徒歩となった
それでも今回は1万8400歩と最少
まだこの歩数程度ならば足への影響はほぼ無いことも確認
あと二三年くらいは動けそうにも思われた

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