本来は中世城館跡めぐりがテーマのはずでありました。もっとも最近は加齢と共に持病が蔓延し本業が停滞傾向に...このためもっぱらドジなHP編集、道端の植物、食べ物、娘が養育を放棄した2匹のネコ(※2019年11月末に天国へ)などの話題に終始しております (2009/05/21 説明文更新)
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武蔵国入東郷の地下人小頭@和平
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定年を過ぎました~
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「余り遺構の無い城館跡めぐり」と「ネコいじり」並びに「観葉植物の栽培」など数だけは
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昨年(2018)9月末のジオシティーズのレンタルサーバ廃止に伴い、1年間だけは移転先案内がなされていました。
統計上からはこの間のアクセス件数は約半分に低下いたしました。
さらに本年(2019)9月末でその移転先案内サービスも終了。
このため今のところでは更にその半分くらいで推移しております (^^ゞ

因みに2017年頃の統計を調べてみますと、曜日別の傾向では土日祝日をピークにして木曜日が最も落ち込むというパターンが特徴でしたが、現在では水曜日と木曜日にピークが発生しています。
それも主に午前中に集中している傾向があるように思われるのですがその原因/理由は不明です。

あくまでもグーグルによる検索システム世界標準となっているネット世界の話なので、いちいち気にするほどでもないのですが・・・

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お陰様でポミの食欲が8割方回復してきました。
ここ1年の間でいえば2度目となる深刻な体調不良でしたが、、食餌の際に発する甘えた鳴き声も戻り足元のふらつきもあまり目立たなくなりました。

そうは言うものの既に満15歳を過ぎました。
15年と言えば、人間では生まれた乳飲み子が高校生に。
元飼い主である長女もちょうど倍の年齢に到達。

家ネコの場合では70歳から80歳くらいなのかと思われます。
いつの間にか自分の年齢を追い越されてしまいましたが、以前にも増して季節の変わり目や気温の変動に気を付けながらしっかりと見守ってて行こうと思います。

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ポミの食欲は相変わらずである。
昨晩のウエットタイプの反応はまずまずであったが、結局半分も食べてはいないようだ。
朝のチュールでは反応は良かったのだが、これも半分ほどしか食べてはいない。
夕食分の高齢ネコ用約20グラムを与えてみたが半分ほどしか食べない。
1年前の食欲不振でも食欲が戻るまで3日ほどを要している。
いまのところ水分摂取については概ね問題は無さそうなので、今しばらくは様子見をするしかないのだろうか。
尤も昨日までは出窓のベッドから出てこないのが、今日は床に下りていつものポジションで待機していたので少しは回復しているように思えなくもない。
不安と安堵を繰り返す日々が続いている。

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母ネコ/ポミの食欲が落ちている。
昨晩の夕食の折、何時もならば直ぐに食べようとするのだが、なかなか食べずにいたので暫く様子を観察。
それでも数分後には食べ始めたのだが、何時ものような食欲は無いらしい。
ちなみに昨晩の分は殆ど残していた。
本日の朝食は半分ほどは食べてはいるが、カリカリの分は殆ど手を付けていない。
朝食からはより食べやすい方のものに変えているので暫くはカリカリを中止してみようと思う。

自分のこのブログを検索してみると昨年の12月にもほぼ同様のことが起きていたが、のべ3日ほどで回復したのだが果たして今回はどうなのだろうか。
動物病院の受診はポミ自身が大の苦手であり、仮に薬を処方されたとしても勘のいいネコであることから好きな餌に混ぜたとしても、まず口にすることはないというのが今までの体験である。
このため今のところは様子を見る以外にないのかも知れないのであろう。
推定でもう満15歳を超えており、息子のイチゴの方が2年半前に虹の橋を渡ってしまっている。
無論、そろそろ・・・などと考えたくはないのだが、万事が手につかない状況が続いている。

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(記憶/バイク通勤)
ユーチューブのバイク動画を見ていてふと思い出した。
CB50Sは1980年頃から数年間ほど通勤用に乗っていたと思う。
ちょうど長男が生まれた頃であったと記憶している。
ネットを調べてみると恐らくこのシリーズの最終モデルであったらしい。
現在ではある意味幻の名車でもあったようだ。
車両価格はたぶん13万9千円ほどであったと思う。。
因みに車の方は多分スズキ/アルトからスバルサンバーの頃であったように記憶している。

最終的な走行距離は1万5千kmくらいだったような気がする。
廃車についてはたぶん昭和の終わりか平成の初め頃であったと思われる。
50CCらしい乾いた甲高いエンジン音が特徴で、五段ギアのうちサードでエンジンの回転を上げ4段に移行すると速度メーターでは瞬間的に時速90km前後は出てしまったという記憶もある。
1速目のギア比が重くエンジン音がうるさいことから、通常では2速発進をしていたように思う。
なお流石に3速での発信にはちょっとした要領が必要であった。
あくまでも人家の全くない極めて見通しの良い通行量の少ない直線道路での話である。

殆ど片道7kmほどの通勤用としていたことから遠距離は走ってはいなかったが、唯一家内の実家のある小川町まで往復(片道40km/往復80km)したくらいであったようである。
途中で国道254線のバイパスもあったことから、できるだけ他の車両の邪魔にならないように制限速度を大きく超過することなく路側帯付近を通行し、片道1時間半ほどを要したように記憶している。
元来50CCの原付であることから余りツーリング向きではないことから、続けて1時間も乗車していると尻と股関節が痛くなってきたが、走行性能自体には問題は無かったように思う。
また制動システムもディスクブレーキであり、バッテリーが弱いことを除けば大変乗りやすかった。

尤もバイク通勤はその前に3年ほどは続けており、その際はヤマハメイト50であった。
その原付はクラッチなしの3段変速で、どうあがいても時速は60kmには達することは無かった。

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