本来は中世城館跡めぐりがテーマのはずでありました。もっとも最近は加齢と共に持病が蔓延し本業が停滞傾向に...このためもっぱらドジなHP編集、道端の植物、食べ物、娘が養育を放棄した2匹のネコ(※2019年11月末に天国へ)などの話題に終始しております (2009/05/21 説明文更新)
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武蔵国入東郷の地下人小頭@和平
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定年を過ぎました~
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「余り遺構の無い城館跡めぐり」と「ネコいじり」並びに「観葉植物の栽培」など数だけは
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先週の菖蒲町に引き続いて上越新幹線沿いの城館跡を探訪。天候は曇りのち晴れ。気温はというと、晴れ間が出たのでやや蒸し暑く感ずる程度。晴れ間が出たついでに堀跡の竹藪ではお馴染みの薮蚊も多数登場し、虫除けグッズの活躍する季節が到来したようです。

 先日自宅近所のドラックエースに赴いたところ、時節柄入り口の正面近くに虫刺よけ対策関係の品々が山積み状態に。お馴染みの「虫除けスプレー」「かゆみ止め」に始まり、「虫除けリング」「虫除けパッド」など数十種類はあるようで、暫しその選定に躊躇を。しかし、結局は順当に「虫除けスプレー」「かゆみ止め」「携帯用かゆみ止め」各1点を購入することに。


春日山館
  岩付太田氏の家臣とされる春日氏の居館のひとつ。現在はニューシャトルの内宿の駅前となっているので、殆どといってよいほどにその面影はありません。堀跡の水路ぐらいは残されているかと微かな期待もあったのですが。地形的には多少微高地であったようにも思えますが、道路の新設や駅前の整備事業などにより以前の状態が全く掴めません。
 そうした中、近くの浄土宗桂全寺に所在する春日氏の墓所に参詣できたことが数少ない収穫の一つに。

 
八幡谷遺跡

 上越新幹線の高架建設により発掘が行われた結果、堀跡などの遺構が検出され中世城館の存在の可能性が明らかにされたという場所。
したがって、地表からそれと分かるような遺構を目にすることはできずじまいに。民家の北側に広がるやや鬱蒼とした屋敷林にかつての面影を辿るのみかと。
 ところがそうした中で高架の北側の竹林の中に南北方向に延びる溝を発見。しかし実際の所では、雨水の流路のような自然地形か土地の境界の目印か、あるいはそれ以外の性格のものか分かりかねました。


北遺跡
  こちらも同様に中世のものと思われる堀跡が検出された遺構。山林部分が比高差1.5mから2mほどの台地を形成しており、伊奈町の第1号の保存樹林に指定されていました。竹林の中に何か目ぼしいものが見つかるかと思い孟宗竹の生い茂った中を蜘蛛の巣を払い、薮蚊を退治しながら見学したものの当然成果はゼロ。北側の細い水路沿いの低地から見上げると、実にいい地形をしているのですが。

細田城
 今も細田山という地名が残され、かつては城跡が存在したという伝承が存在するというだけの場所。水田からの比高差は最大で5mほどの台地。しかし現在は一部の梨畑を除いて細田山団地という住宅地に変貌。外周部分の道路の曲折した形状に何処となく歴史の名残を感じさせるものがあるような。

戸崎前遺跡

  伊奈町の記念公園の北側の堀跡が検出された遺跡。現在は区画整理されており、遺構などが所在していた新しい道路が目立つ住宅地に。記憶容量の関係で本日はここまでのつもりが、これでは余りにも消化不良かと。時刻は午後3時を少しまわった所ということもあり、後日に予定していた伊奈城へ立寄ることに。

伊奈城(伊奈氏屋敷・小室陣屋)
 
 周囲を水田や低湿地に囲まれた島状の広大な丘陵で、当時において細い水田の中の道を辿る以外に城跡に通じる道がなかったとすればこの自然地形はまさに天然の要害の地。代官頭伊奈氏が陣屋を定めるに当たり、当時ここに所在していたといわれている寺院を立ち退かせてさえもその陣屋を築いたという事情が現在の地形からさえも十分に理解可能な状況。
地図上では認識していたものの、実際の所在地と城跡とが頭の中で繋がらず。現地に赴き改めて新幹線の分岐点近くに所在していたことに驚きを。

 埼玉県の指定史跡となっているものの、現地には十数戸の民家が点在。そうしたなか、文化財としての整備保護などについて十分な合意形成が図られていないと思われる掲示が城跡のあちこちに点在。このため詳細な事情の不明な部外者としては、やや緊張の訪城を余儀なくされることに。
 したがって拝見する側としても、デジカメでの撮影を含めてできるだけ遠慮しながら遺構を遠くから眺めるという構図に。けれども土塁・空堀・小口などの遺構について十分に観察するには至らなかったものの、久しぶりに高さ5mを超えようかという土塁群を目の当たりにして本日最大にして唯一の成果となったという次第でありました。


伊奈城(または伊奈氏陣屋などとも)
畝堀が検出されたあたり
2006/06/05 撮影


 本日の訪城はやや離れたところに所在する伊奈城を除いて、伊奈町記念公園の駐車場に車を止めて5ヶ所を徒歩にて反時計回りに回遊。このため、おそらく歩行距離は累計で軽く10kmを超えたあたりかと。路面の固さとも相俟って、秩父方面の山城以来久しぶりに長距離を歩いたため最後はよたよたに。ほとんど平地であるにもかかわらずつくづく足腰の衰えは隠せず...駐車違反の無いように心掛けるのもなかなか疲れるものかと。

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コンサートのため桶川へ。
内容は木管五重奏のコンサート。
会場は音楽専用ではなく、多目的ホール仕様のためやや残響時間が短く硬い印象も。
そんな中で若い演奏家の人たちが熱心に演奏。
司会進行は演奏者がそれぞれコメントしていく方式でより身近な雰囲気が。
昨日まで体調を崩していたのがおかげでようやく回復基調に。

趣味の城館跡めぐりの影響で、埼玉県内も以前に比べ多少は地理を把握できる状態までに。
少し前まで土地勘があったのは、自宅と職場の周辺と国道254号線の沿線ぐらい。
すこし奥に入ると「ここはどこ、私は...」の状態。
埼玉県民を40年以上やっている割にはまさに点と線の範疇での認識かと。
今回も道路地図を一瞥しただけで現地まで直行に成功。
この年になっても人間少しは進歩する場合もあるような。


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自宅の僅かばかりの庭に数年前からドクダミが畳2枚分くらい蔓延っています。
5月下旬から6月下旬に白い大きな花をつけ、潰したときの匂いの酷さを別にすればそれなりの野趣があります。
最近はドクダミ茶というのもあり、また漢方では別名を十薬とも呼ぶ薬草らしいのですが余り口に入れる気にはなりません。

ドクダミ
  2006/05/29 自宅にて

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菖蒲町の中世城館跡を探訪。

天気は時々薄日のさす曇り空。
途中弱い俄雨がポツポツ。
やや蒸暑く感じる無風。

鳩井氏館 午前11時50分~12時、午後13時15分~13時25分
最初に鳩井氏とかかわりのあると推定される正法院へ。
墓地にはざっと見た限りでは、年代の古い五輪塔・宝篋印塔は見当たらず。
さて現地の遺構は限りなく皆無。
北側のパチンコ屋の駐車場から萱間赤堀川の様子を撮影したのみ。
この付近の風景がもっとも館跡に相応しいような印象が。
しかし、この辺りは近世以降に治水や新田開発を目的として新たな用水路が建設されているので早速資料確認をしなくては。
毎度のことながら事前準備不足を露呈。


下萱間陣屋 正午~午後12時50分
菖蒲町の萱間小学校と工場の跡地が陣屋跡。
陣屋の外郭の形状と水路となった堀跡の一部が明確に残存。
一度工場敷地となりながらも外周道路の形状はそのまま。
外郭形状が掲載された資料を睨みながら周囲を一周半。
足取りも軽くまさに至福の時間。
小学校の南側には現地解説板も設置。
現在埼玉県住宅供給公社が所有との立て看板。
開発後、外郭形状は消滅必死であることが残念の極み。

帰路、陣屋跡南側の内藤氏菩提寺である善宗寺へ。
領民の建立した高さ3mほどの宝篋印塔を始めとして内藤氏一族の墓石22基を確認。
地盤の関係からか一部傾きかけた宝篋印塔も所在。
近年、墓参が途絶えているような印象が。


小林氏館 午後13時~13時10分
館跡としての確証は全くなし。
単に「新編武蔵風土記稿」に記された妙福寺過去帳の記述が唯一の手掛り。
当然ながら遺構も不在。
ここでも同様に五輪塔・宝篋印塔などを探したものの見当たらず。


菖蒲城 午後13時20分~14時15分
予想通りまさに水田のど真ん中の城趾。
高齢者事業団のお年寄りの方々が石碑の周辺を整備中。
このため資材・機材が点在。
写真の撮りようが...それでも何とか角度を変えたりして。

城主とされる金田氏の墓石などが所在する永昌寺へ。
後裔の方の墓所は何とか見つけたものの、古い墓石などは見当たらず。
今回はネコには遭遇せず、その代わりにチャボが境内をウロウロ。

永昌寺の帰路再び菖蒲城へ。
雨がポツポツ落ちてきたので、作業中止を期待...
しかし、今度は「軽トラ」が石碑の前に来て作業は本格化の一途...


菖蒲陣屋 午後14時30分~15時
ここも周囲は水田地帯。
長福寺の周辺が陣屋跡の模様。
北西側に堀跡乃至は用水路が所在。
堀跡を用水路として活用しているようにも。
周辺の道路の形状は明らかに堀跡の印象が色濃く残存。
道路の形状からは二重堀の予感が。
しかし、陣屋の主が今のところ全く不明。


萱間氏館 午後15時15分~15時30分
曹洞宗幸福寺が館跡。
元荒川北岸の河岸段丘上に位置し、今回の訪城の中で唯一台地に所在。
古い山門付近では比高5mほどを測る。
遺構は不在。
しかし、周囲が平坦な低地のため思いのほか眺望が優れる模様。
寺院の防犯センサーが作動して、やや懲りたこともあり遥か遠方から参拝。

さて、防犯センサーにも色々なバリエーションが。
ご詠歌の流れるタイプ、照明がついて梵鐘が聞こえるタイプ、ご本尊を拝むため扉を開けるとアラームが作動するタイプ、そして今回は人を感知しただけでアラームが作動するタイプ...人間不信もここまで来るとかなり深刻な社会状況。
しかし、本堂に参詣しようとすると甲高い電子音が響き渡る仕組みの場合心臓の弱い方にとっては一命に関わりかねないような危惧も。

シラン「紫蘭」
「紫蘭」(シラン)
ラン科シラン属の多年草。
寒暖の気候の変動に強く別名をベニランとも。
花期は5月でそろそろ花の終わりかと。
花の名を聞かれたときの「駄洒落のネタ」にはなりそうですが。
菖蒲城近くの永昌寺山門前にて撮影。

往路は国道17号の坂田交差点で渋滞。
恒常的な渋滞らしく愛用の「でか字」の道路地図にも明記。
このため帰路は迂回して北本経由で帰還。
お蔭でこの辺りの道路事情にもそこそこ精通。

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すでに梅雨入りの観。
昨日の土曜日も雨。
にもかかわらず、小学生向けの体験事業に多くの参加者。
おおむね事業として定着の様子。

その影響もあって無償頒布中の観葉植物の小鉢が一度に4鉢頒布。
これで今回は通算で11鉢達成。
品種はトラデスカンチア・セブリナという露草の一種。
土質により葉の色合いに違いも。
元々は自宅で2年ほど前に百円ショップで購入した一株のミニ観葉。
時々水さえ与えていれば成長する頑健な多年草。
越冬の環境がおおよそ掴めたので昨年から鉢植えで増殖中。
増殖しすぎて現在自宅に30鉢ほど。

現在は成長期に入っているので、あと20鉢くらい頒布予定。
これで自宅の部屋の整理が...


従来は10月のイベント時に合計で30鉢ほど配布し「緑のトラスト基金」に2千円程度の間接的協力を。
でも秋では鑑賞期をやや過ぎてしまうので、今のほうがベターかと。

そろそろオリズルランの小鉢を作る時期。
しかしランナーが余り伸びず、今年はパスする可能性が。

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