本来は中世城館跡めぐりがテーマのはずでありました。もっとも最近は加齢と共に持病が蔓延し本業が停滞傾向に...このためもっぱらドジなHP編集、道端の植物、食べ物、娘が養育を放棄した2匹のネコ(※2019年11月末に天国へ)などの話題に終始しております (2009/05/21 説明文更新)
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川越から上尾経由で蓮田市南部の城館跡へ。
当所の予想通り国道17号線の手前でものの見事に1kmを超える渋滞に嵌り、最初の目的地まで2時間近くを要することに。
もっとも渋滞を避けるべく何時ものように国道254線で川島・北本・桶川方面から迂回したとしても、入間川の橋を渡り終えるまでの渋滞が予想されたので今回のルートが最短コースの筈かと。
本日は昨晩の睡眠不足から自宅を出る前から喉の閉塞感があり、この時点ですでに体調不良気味。
しかしこのままでは体力は低下する一方なので、やや強引に訪城へ。
往路の車中では何時もの通り軽い呼吸障害を発症。
もちろん運転中なので副作用のある処方されている薬剤の服用は避けて、メントール系の喉飴で何とか誤魔化すことに。
逆の見方をすれば、この程度の症状のコントロールには自信が。
6月下旬頃には杖が無いと足元が覚束なく、一時は長期の療養と車椅子を覚悟していた状況から思えば体調としては雲泥の差。
凸桑原堀の内(蓮田市)午前11時20分~11時35分
綾瀬川東岸の島状の大宮台地の南部地域に所在。
水田面との比高差は1.5mから2mで、場所によっては3mを超える個所も。
人工的な堀跡や土塁跡などの遺構の存在は自体は確認できないものの、自然地形の台地の存在は中世城館の形跡を髣髴とさせる風情が感じられます。
なお、北側の公道の急カーブはかつての堀跡の名残のようにも見えなくも無いような印象が。
自宅を出る前の虫除けスプレーが不足していたせいか左手を中心に6か所ほど薮蚊の餌食に。
かといって、「じん麻疹」気味のため余り吹き付けすぎるのも如何かと。
でも、薮蚊に刺されると余計「じん麻疹」が酷くなりそうで、そのあたりのバランスが難しく...携行している痒み止めで対処。
ここでも、残念なことに近くの北側の水田跡には高さ6mほどの産廃の山が横たわり恰も壮大な土塁跡のような地形を形成。
凸辻谷堀の内(蓮田市)午前11時45分~12時15分
はじめに通称「寅子石」と呼ばれる高さ4mの延慶年間の板碑を見学。
畑の中の墓地に所在しているので全く迷わずに直行。
長瀞町の仲山城の近くの5mを越える応安の板碑に比べれば幾分小さいものの、周辺が全くの平坦地なので目立つことこの上なし。
正面からよく観察すると幾分右側に傾いている印象が。
しかし「南無阿弥陀仏」の6文字の彫の深さと豪快さを感じさせる字体にはなかなかの見ごたえが。
さて、肝心の遺構はというと事前に所在地そのものがやや曖昧。
およその見当をつけて板碑の西側400m付近に所在する民家の屋敷林の北側になにやらそれらしい気配が。
該当個所に近づくに従い次第に期待が。
現状では幅2間から3間、深さ約1mの規模のものが北側で30mほど、西側で20mほどが鍵の手状に確認できます。
しかし、その時代背景については明確ではないようですが、屋敷の北側から西側を囲む水堀であることは間違いがないようです。
ただ付近は水田に伴う用水路がけっして少なくは無いので、中世城館に関係するものと断定するには資料的な裏づけが不足しているようにも思われその判断に迷いました。
さて、過日の浴室の転倒事故によるムチ打ち症状は概ね改善されたものの、未だ従来からの「軽い脳梗塞の後遺症」(慢性的な左半身の痺れ)「過換気」(自律神経の不調による呼吸障害と手足の痺れ)「アレルギー性の喘息」(最長で半年間咳が続く)「帯状疱疹」(珍しいことに時々再発)「偏頭痛」(春と秋の低気圧の影響)のラインナップに新たに「じん麻疹」(ストレスが原因か)も加わり、四肢には常に軽い痺れが付きまとい、暫し体の複数個所に猛烈な痒みも発症中。
そういえば以前からの「高脂血症」と「大腸のポリープ」の課題も未解決...なとど思案しているうち、天気予報とは異なり巨大な雷雲が発生。このため本日の訪城は予定通り以上の2ヶ所にて撤収。(病気のデパ地下と化しつつあるので、こうして時々確認しておかないと自分でも分からなくなるのであります)
なお本日はこの後、線香の煙が苦手なものの家内の親類宅へお盆のご挨拶へ。
懸念された喘息の発作は発症せず一安心。

ネコの顔をしたスズメ除け
2006/08/14 撮影 蓮田市の水田にて
当所の予想通り国道17号線の手前でものの見事に1kmを超える渋滞に嵌り、最初の目的地まで2時間近くを要することに。
もっとも渋滞を避けるべく何時ものように国道254線で川島・北本・桶川方面から迂回したとしても、入間川の橋を渡り終えるまでの渋滞が予想されたので今回のルートが最短コースの筈かと。
本日は昨晩の睡眠不足から自宅を出る前から喉の閉塞感があり、この時点ですでに体調不良気味。
しかしこのままでは体力は低下する一方なので、やや強引に訪城へ。
往路の車中では何時もの通り軽い呼吸障害を発症。
もちろん運転中なので副作用のある処方されている薬剤の服用は避けて、メントール系の喉飴で何とか誤魔化すことに。
逆の見方をすれば、この程度の症状のコントロールには自信が。
6月下旬頃には杖が無いと足元が覚束なく、一時は長期の療養と車椅子を覚悟していた状況から思えば体調としては雲泥の差。
凸桑原堀の内(蓮田市)午前11時20分~11時35分
綾瀬川東岸の島状の大宮台地の南部地域に所在。
水田面との比高差は1.5mから2mで、場所によっては3mを超える個所も。
人工的な堀跡や土塁跡などの遺構の存在は自体は確認できないものの、自然地形の台地の存在は中世城館の形跡を髣髴とさせる風情が感じられます。
なお、北側の公道の急カーブはかつての堀跡の名残のようにも見えなくも無いような印象が。
自宅を出る前の虫除けスプレーが不足していたせいか左手を中心に6か所ほど薮蚊の餌食に。
かといって、「じん麻疹」気味のため余り吹き付けすぎるのも如何かと。
でも、薮蚊に刺されると余計「じん麻疹」が酷くなりそうで、そのあたりのバランスが難しく...携行している痒み止めで対処。
ここでも、残念なことに近くの北側の水田跡には高さ6mほどの産廃の山が横たわり恰も壮大な土塁跡のような地形を形成。
凸辻谷堀の内(蓮田市)午前11時45分~12時15分
はじめに通称「寅子石」と呼ばれる高さ4mの延慶年間の板碑を見学。
畑の中の墓地に所在しているので全く迷わずに直行。
長瀞町の仲山城の近くの5mを越える応安の板碑に比べれば幾分小さいものの、周辺が全くの平坦地なので目立つことこの上なし。
正面からよく観察すると幾分右側に傾いている印象が。
しかし「南無阿弥陀仏」の6文字の彫の深さと豪快さを感じさせる字体にはなかなかの見ごたえが。
さて、肝心の遺構はというと事前に所在地そのものがやや曖昧。
およその見当をつけて板碑の西側400m付近に所在する民家の屋敷林の北側になにやらそれらしい気配が。
該当個所に近づくに従い次第に期待が。
現状では幅2間から3間、深さ約1mの規模のものが北側で30mほど、西側で20mほどが鍵の手状に確認できます。
しかし、その時代背景については明確ではないようですが、屋敷の北側から西側を囲む水堀であることは間違いがないようです。
ただ付近は水田に伴う用水路がけっして少なくは無いので、中世城館に関係するものと断定するには資料的な裏づけが不足しているようにも思われその判断に迷いました。
さて、過日の浴室の転倒事故によるムチ打ち症状は概ね改善されたものの、未だ従来からの「軽い脳梗塞の後遺症」(慢性的な左半身の痺れ)「過換気」(自律神経の不調による呼吸障害と手足の痺れ)「アレルギー性の喘息」(最長で半年間咳が続く)「帯状疱疹」(珍しいことに時々再発)「偏頭痛」(春と秋の低気圧の影響)のラインナップに新たに「じん麻疹」(ストレスが原因か)も加わり、四肢には常に軽い痺れが付きまとい、暫し体の複数個所に猛烈な痒みも発症中。
そういえば以前からの「高脂血症」と「大腸のポリープ」の課題も未解決...なとど思案しているうち、天気予報とは異なり巨大な雷雲が発生。このため本日の訪城は予定通り以上の2ヶ所にて撤収。(病気のデパ地下と化しつつあるので、こうして時々確認しておかないと自分でも分からなくなるのであります)
なお本日はこの後、線香の煙が苦手なものの家内の親類宅へお盆のご挨拶へ。
懸念された喘息の発作は発症せず一安心。
ネコの顔をしたスズメ除け
2006/08/14 撮影 蓮田市の水田にて
自分の居住地は例のプール事故で全国的に名を知られることとなってしまった「ふじみ野市」。
お盆には一日早いものの、家内と事故の起こった場所の臨時の祭壇にて献花。
子どもたちの小さかった頃は夏になるたびに幾度となくお世話になった施設。
久しぶりに見る市民プールは明らかに施設全体が老朽化したという印象がまざまざと。
それゆえ本来施設の安全管理にはより一層細心の注意を払うべきところ、委託業務管理の杜撰さが次から次へと明るみに。
有権者としてこうした杜撰な行政運営を許容していたことに対する自責の念も。
さてこの後家内は実家へ赴きお盆の支度の手伝い。
併せて「ちゃっぴー」がお世話になった隣家の老婦人にお礼とお悔やみを。
人の命と動物の命を同列に考えることは非常識とは思うものの、身寄りが殆んどいない隣家の方にとっては、まさに「わが子同然」の存在。
お礼とお悔やみを申し述べている最中も、その憔悴した様子が痛々しく。
事故で亡くなられた女の子のご両親の心中は如何ばかりかと。
天国というものが存在するならば、人懐こかった「ちゃっぴー」が亡くなられた女の子と仲良しになってくれればなどと...返す返すも悲しい事件で命の重さというものを再認識した一日。
お盆には一日早いものの、家内と事故の起こった場所の臨時の祭壇にて献花。
子どもたちの小さかった頃は夏になるたびに幾度となくお世話になった施設。
久しぶりに見る市民プールは明らかに施設全体が老朽化したという印象がまざまざと。
それゆえ本来施設の安全管理にはより一層細心の注意を払うべきところ、委託業務管理の杜撰さが次から次へと明るみに。
有権者としてこうした杜撰な行政運営を許容していたことに対する自責の念も。
さてこの後家内は実家へ赴きお盆の支度の手伝い。
併せて「ちゃっぴー」がお世話になった隣家の老婦人にお礼とお悔やみを。
人の命と動物の命を同列に考えることは非常識とは思うものの、身寄りが殆んどいない隣家の方にとっては、まさに「わが子同然」の存在。
お礼とお悔やみを申し述べている最中も、その憔悴した様子が痛々しく。
事故で亡くなられた女の子のご両親の心中は如何ばかりかと。
天国というものが存在するならば、人懐こかった「ちゃっぴー」が亡くなられた女の子と仲良しになってくれればなどと...返す返すも悲しい事件で命の重さというものを再認識した一日。
以前は長男の飼い猫でしたが、事情により家内の実家で面倒を見てもらっていたネコの「ちゃっぴー」(推定年齢5歳)が亡くなりました。
家内の母が亡くなる1年ほど前に長男が車で連れて行ったという記憶がありますので、おそらくもう4年以上お世話になっていたと思います。
約1年後に義母が亡くなったあとは、お隣のネコ好きの方に自分の家のネコのように可愛がられていたので、とても幸せな一生だったと思います。
いまどきの猫にしてはしっかりと鼠を捕まえることもでき、刺身のぶつ切りが大好物のネコでした。
面倒を見ていただいている方がある程度高齢なこともあり、もしもの時には自分が引き取ろうと考えていました。
年にほんの二、三回しか逢っていませんでしたが、のそのそと近寄ってきて膝の上で寝そべるようなとても人懐こい性格でした。
好奇心が強く人懐こい体の大きなネコで、バイクに轢かれて傷だらけになってもやがて元気に回復。
そんな生命力の強いネコでしたので、俄かに信じがたいあまりに早すぎる死でした。
合掌。

2歳頃の「ちゃっぴー」
家内の母が亡くなる1年ほど前に長男が車で連れて行ったという記憶がありますので、おそらくもう4年以上お世話になっていたと思います。
約1年後に義母が亡くなったあとは、お隣のネコ好きの方に自分の家のネコのように可愛がられていたので、とても幸せな一生だったと思います。
いまどきの猫にしてはしっかりと鼠を捕まえることもでき、刺身のぶつ切りが大好物のネコでした。
面倒を見ていただいている方がある程度高齢なこともあり、もしもの時には自分が引き取ろうと考えていました。
年にほんの二、三回しか逢っていませんでしたが、のそのそと近寄ってきて膝の上で寝そべるようなとても人懐こい性格でした。
好奇心が強く人懐こい体の大きなネコで、バイクに轢かれて傷だらけになってもやがて元気に回復。
そんな生命力の強いネコでしたので、俄かに信じがたいあまりに早すぎる死でした。
合掌。
2歳頃の「ちゃっぴー」
「江ヶ崎城」の秋桜の花
2006/07/31 撮影 晴れ
1ヶ月以上も体調を崩してしまったことと梅雨時でもあったため、6月19日以来の事実上今月初めての訪城を敢行。
この1月以上の間は、運転時間はせいぜい片道40分が限界という情けない状況。
しかし、合計4時間近いと思われた運転自体は目出度く何とかクリア。
凸閏戸吹上遺跡 11時30分~正午
老人保健施設の建物建設に伴い堀跡と井戸跡などが発掘により確認された中世城館跡とのことのようで、「埼玉の中世城館跡」などにも掲載されていません。
不勉強のためそれ以上の詳細な情報は入手していません。
この場所も東北新幹線の高架橋から僅か150メートルも離れていない見沼代用水が直ぐ西側を流れる綾瀬川の低地をのぞむ台地の西端に所在しています。
現在の台地と水田面との比高差は最大で5mほど。
施設の南側に続く平地林の中が気になり、至る所に張り巡らされた蜘蛛の巣をかき分けて人工的な地形の有無を確認しようとしたものの特にこれといった成果は得られず仕舞いに。
この付近は古墳時代中期の住居跡も検出された複合遺跡らしく、確かに西側に広がる低地の見晴らしは頗る良さそうでした。
凸馬場堀ノ内 12時15分~12時35分
蓮田市立黒浜小学校の南側の谷津を挟んだ対岸に所在すると思われる城館跡。
別名を野口氏館、新井堀の内などとも呼ばれているようです。
近くのファミリーマートで「午後の紅茶レモンティー500ml」と「ジューシーハムサンド」を購入。
徒歩にて黒浜小学校の南側の細い公道を西へと向かい、途中舗装道路と別れを告げて低地へと下る細道にすすんで行きました。
すると目の前にいかにもそれらしい約比高5mほどの差鬱蒼とした平地林の台地が出現。
さらに堀跡かどうかは全く定かではありませんが規模の大きな水路跡も台地の右手に現存。
これで土塁跡の痕跡でも確認できれば喜び倍増なのですが、残念ながらそれほどものごとは都合よく展開するには至らず。
台地手前の近年のものと思われる盛り土が気になるものの中世初期頃の館跡の立地条件には相応しい環境を備えているようでした。
凸江ヶ崎城 12時45分~13時50分
城趾近くのセブンイレブンで「濃い目の伊右衛門500ml」とツマミを購入。
駐車した場所の近くには「江ヶ崎城」の看板と立派な石碑が所在。埼玉県知事に就任する以前の参議院議長だった某政治家の揮毫によるもののようでした。
上部には蔦がかなり絡んでいたので、流石にこれでは一見何の石碑か分からない状態。
そっと石碑に絡み付いている数本の蔦を取り除かせていただくことに。
城跡の外郭部のそのまた外側の道を時計回りに一周して、東側の水田地帯の低地部分からその遠景を撮影。
北側の造園業を営んでいると思われるお宅の道路沿いに見方によっては土塁跡のようにも見えなくもない地形が所在。
流石に撮影するのは憚られましたが、脇の方から拝見すると竹林の中に平行して堀跡状の溝のような地形も見え隠れ。
外郭部分の遺構にしてはやや北側に寄りすぎているので、近世の名主階層の屋敷の構堀のように年代的には新しいものである可能性もあるような。
地形的には比高差は3mに満たないものの北側と東側に低地が広がり、南側には用水路が流れるという半ば独立した大宮台地の一部となっていました
体調は概ね回復しているものの体力自体が相当低下していることが予想されたので、訪城した城館数も3ヶ所に抑えて炎天下とはいうものの合計の歩行距離は僅かに5km足らず。
それにも拘らず、最後の方はやや歩き方も覚束なく息も絶え絶えに(^^;
この後、近くの久伊豆神社に出向く予定でしたが、後日のことを考えて断念を。
暑さには特に弱い性質、当面は一日当たりの訪城数をできるだけセーブしながら、気長に体力の回復を目指さなくてはと感じた「城館めぐりの復活」なのでありました。