本来は中世城館跡めぐりがテーマのはずでありました。もっとも最近は加齢と共に持病が蔓延し本業が停滞傾向に...このためもっぱらドジなHP編集、道端の植物、食べ物、娘が養育を放棄した2匹のネコ(※2019年11月末に天国へ)などの話題に終始しております (2009/05/21 説明文更新)
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武蔵国入東郷の地下人小頭@和平
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男性
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定年を過ぎました~
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「余り遺構の無い城館跡めぐり」と「ネコいじり」並びに「観葉植物の栽培」など数だけは
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以前は長男の飼い猫でしたが、事情により家内の実家で面倒を見てもらっていたネコの「ちゃっぴー」(推定年齢5歳)が亡くなりました。
家内の母が亡くなる1年ほど前に長男が車で連れて行ったという記憶がありますので、おそらくもう4年以上お世話になっていたと思います。
約1年後に義母が亡くなったあとは、お隣のネコ好きの方に自分の家のネコのように可愛がられていたので、とても幸せな一生だったと思います。
いまどきの猫にしてはしっかりと鼠を捕まえることもでき、刺身のぶつ切りが大好物のネコでした。
面倒を見ていただいている方がある程度高齢なこともあり、もしもの時には自分が引き取ろうと考えていました。
年にほんの二、三回しか逢っていませんでしたが、のそのそと近寄ってきて膝の上で寝そべるようなとても人懐こい性格でした。
好奇心が強く人懐こい体の大きなネコで、バイクに轢かれて傷だらけになってもやがて元気に回復。
そんな生命力の強いネコでしたので、俄かに信じがたいあまりに早すぎる死でした。
合掌。


2歳頃の「ちゃっぴー」
2歳頃の「ちゃっぴー」

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江ヶ崎城のコスモス
「江ヶ崎城」の秋桜の花
2006/07/31 撮影 晴れ

1ヶ月以上も体調を崩してしまったことと梅雨時でもあったため、6月19日以来の事実上今月初めての訪城を敢行。
この1月以上の間は、運転時間はせいぜい片道40分が限界という情けない状況。
しかし、合計4時間近いと思われた運転自体は目出度く何とかクリア。

凸閏戸吹上遺跡 11時30分~正午
 老人保健施設の建物建設に伴い堀跡と井戸跡などが発掘により確認された中世城館跡とのことのようで、「埼玉の中世城館跡」などにも掲載されていません。
不勉強のためそれ以上の詳細な情報は入手していません。
この場所も東北新幹線の高架橋から僅か150メートルも離れていない見沼代用水が直ぐ西側を流れる綾瀬川の低地をのぞむ台地の西端に所在しています。
現在の台地と水田面との比高差は最大で5mほど。
施設の南側に続く平地林の中が気になり、至る所に張り巡らされた蜘蛛の巣をかき分けて人工的な地形の有無を確認しようとしたものの特にこれといった成果は得られず仕舞いに。
この付近は古墳時代中期の住居跡も検出された複合遺跡らしく、確かに西側に広がる低地の見晴らしは頗る良さそうでした。


凸馬場堀ノ内 12時15分~12時35分
 蓮田市立黒浜小学校の南側の谷津を挟んだ対岸に所在すると思われる城館跡。
別名を野口氏館、新井堀の内などとも呼ばれているようです。
近くのファミリーマートで「午後の紅茶レモンティー500ml」と「ジューシーハムサンド」を購入。
徒歩にて黒浜小学校の南側の細い公道を西へと向かい、途中舗装道路と別れを告げて低地へと下る細道にすすんで行きました。
すると目の前にいかにもそれらしい約比高5mほどの差鬱蒼とした平地林の台地が出現。
さらに堀跡かどうかは全く定かではありませんが規模の大きな水路跡も台地の右手に現存。
これで土塁跡の痕跡でも確認できれば喜び倍増なのですが、残念ながらそれほどものごとは都合よく展開するには至らず。
台地手前の近年のものと思われる盛り土が気になるものの中世初期頃の館跡の立地条件には相応しい環境を備えているようでした。


凸江ヶ崎城 12時45分~13時50分
 城趾近くのセブンイレブンで「濃い目の伊右衛門500ml」とツマミを購入。
駐車した場所の近くには「江ヶ崎城」の看板と立派な石碑が所在。埼玉県知事に就任する以前の参議院議長だった某政治家の揮毫によるもののようでした。
上部には蔦がかなり絡んでいたので、流石にこれでは一見何の石碑か分からない状態。
そっと石碑に絡み付いている数本の蔦を取り除かせていただくことに。
城跡の外郭部のそのまた外側の道を時計回りに一周して、東側の水田地帯の低地部分からその遠景を撮影。
北側の造園業を営んでいると思われるお宅の道路沿いに見方によっては土塁跡のようにも見えなくもない地形が所在。
流石に撮影するのは憚られましたが、脇の方から拝見すると竹林の中に平行して堀跡状の溝のような地形も見え隠れ。
外郭部分の遺構にしてはやや北側に寄りすぎているので、近世の名主階層の屋敷の構堀のように年代的には新しいものである可能性もあるような。
地形的には比高差は3mに満たないものの北側と東側に低地が広がり、南側には用水路が流れるという半ば独立した大宮台地の一部となっていました


体調は概ね回復しているものの体力自体が相当低下していることが予想されたので、訪城した城館数も3ヶ所に抑えて炎天下とはいうものの合計の歩行距離は僅かに5km足らず。
それにも拘らず、最後の方はやや歩き方も覚束なく息も絶え絶えに(^^;
この後、近くの久伊豆神社に出向く予定でしたが、後日のことを考えて断念を。
暑さには特に弱い性質、当面は一日当たりの訪城数をできるだけセーブしながら、気長に体力の回復を目指さなくてはと感じた「城館めぐりの復活」なのでありました。

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お蔭様で7月27日推定時刻午後11時15分ごろに累計のアクセス件数が8万件に到達しました。
今までにご覧いただいた皆様に深く感謝申し上げます。

実を言えば夏休みに入ってアクセス件数の減少がやや目立ち始めていた所です。
そんな訳で、心機一転HPの更新に励みたい所でありますが、何分体調不良で服用中の薬の副作用のためパソコンの前で作業ができるのは1時間が限度のようです。
現在「伊奈城」(伊奈氏陣屋)を編集中ですが、結果的に居眠りをしている時間の方が長いようで遅々としてなかなか捗りません。

こんな怠惰なサイトではありますが、蝸牛の歩みを手本にしてあまり焦らずにじっくりと構えていこうと決意したのでありました。

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説明が難しい三毛猫
2006/07/22 撮影

昨日見舞いに出かけた病院にはどうやら数匹の猫が住み着いている様子。
このネコは体も小さく動作も幼さが残っていたので、おそらく生後半年以内かと。
それにしても白を基調に黒と茶が複雑に入り混じり、言葉ではなかなか説明が難しい柄をしていました。
駐車している車の後ろからこちらの方をじっと見つめていたので、あまり驚かさないようにゆっくりと近づいてご挨拶を。
前足を少しだけ立てて逃げ出せる用意をしつつも、大人しくこちらを眺めていました。
その距離は約2mほど。
帰りがけに違う所でまた出会った時には、先ほどよりも心なしか安心しているような表情に見えました。

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2年ぶりの「月輪館」
「月輪館」埼玉県滑川町
2006/07/22 撮影

家内の運転で江南町の県立病院に入院中の親類の病気見舞いへ。
その途中で約2年ぶりに滑川町の「月輪館」(通称大堀とも)に寄り道を。

この間付近を通過したときに駅に近い地理的条件のため、北側の宅地開発がかなり進行している印象が。
ある程度の遺構の消滅が懸念されたものの、平地林の中に所在している南北方向に延びている延長およそ80m、幅2間から3間、深さ1mから1.5m程度の堀跡そのものは以前同様に健在。
改めて2年ぶりの感動的な再会を果たしたのでありました。

しかし、時節柄薮蚊の大群にも再会。
ある程度予想はしていたこともあり長袖のシャツを着用。
しかし敵は顔面を集中攻撃してきたので、合計10個所以上の被害に遭遇。
それでも小雨にぬれた蜘蛛の巣を払いながら周囲を20分ほど探査。
やはりいずれ11月下旬頃に予定している再再訪城館リストに追加。

「有名メーカーの」虫除けスプレーは常備しているものの、呼吸器と皮膚のアレルギー体質というような事情もあるので使用を躊躇したのが甘かったのでありました。
そのような次第で車に戻り、すぐさま常備している痒み止めの軟膏をぺたぺたと。

人の病気も舞いもさることながら、自分の体調はといえば完全復活には程遠い状態。
職場への送迎の手を煩わせるという必要がなくなったのはせめてもの幸い。
しかし近距離は別としても片道で1時間以上の距離となると、未だに家内の運転でなければ殆ど身動きがとれないという始末。

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