本来は中世城館跡めぐりがテーマのはずでありました。もっとも最近は加齢と共に持病が蔓延し本業が停滞傾向に...このためもっぱらドジなHP編集、道端の植物、食べ物、娘が養育を放棄した2匹のネコ(※2019年11月末に天国へ)などの話題に終始しております (2009/05/21 説明文更新)
カレンダー
01 2025/02 03
S M T W T F S
1
3 4 5 6 7
9 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28
最新CM
(07/01)
(11/09)
無題(返信済)
(12/17)
(10/13)
(03/22)
最新記事
最新TB
プロフィール
HN:
武蔵国入東郷の地下人小頭@和平
性別:
男性
職業:
定年を過ぎました~
趣味:
「余り遺構の無い城館跡めぐり」と「ネコいじり」並びに「観葉植物の栽培」など数だけは
バーコード
ブログ内検索
アーカイブ
最古記事
アクセス解析
フリーエリア
[318] [319] [320] [321] [322] [323] [324] [325] [326] [327] [328]
交際費関係の経費が慢性的に不足気味。
社会的儀礼に伴う経費は限りなくゼロ予算。
現実問題として誰が負担するかといえば、立場上自分以外には...

そのような次第で今月は少ない方とはいえ、それでも4万円ほどの出費が。
当然何れも仕事がらみで、葬式1件、職場のある地元の祭礼の寄付が1件、これに加えて依頼事に関しての謝礼が3件、来客用の茶菓子代が数件。
来月はイベントがらみで、多分この倍以上となる公算が...
このまま定年まで試算すると、どうやらドイツ製の某高級車が買えそうな勢いに迫っているような。

拍手[0回]

28日の昼食は久しぶりに本格的な川島町のお蕎麦屋さんで「ざるそばの大盛」を。
並盛が600円で、大盛が100円増し。
野菜の可愛らしい天ぷら3品をつけて、〆て800円。

営業時間が午前11時30分から午後2時30分で売り切れ終了という営業方針。
このため近くまで来ていたものの、今までは訪城優先で行動していたのでなかなか訪れる機会がありませんでした。
体調を崩したお蔭で、のんびりと訪城する方針に変更しましたので午後1時過ぎに伺うことができました。

体調を崩していた間、各種のアレルギー検査もしましたが「蕎麦」には問題がなく一安心。
秋に収穫される新そばの季節にはまだ早いのですが、「石臼挽き」「ひきたて・打ちたて・茹でたて」の蕎麦はアットホームな店内の雰囲気と相俟って味わいを引き立てるようです。

落ち着いた座敷の店内もりそば大盛+野菜の天ぷら
比企郡川島町の「琴正庵」にて 2006/08/28 撮影


拍手[0回]

川越市の老袋城の推定地近辺を彷徨中に晩夏の様々な花々に出会いました。
写真の花はその一つで、畑の端に咲いていた通常何処にでも見かける種類の「槿」(ムクゲ)です。
種類によっては早いものでは6月下旬から、遅いものでは10月上旬まで咲いているものもよく見かけます。
一般には「一日花」といわれることも多いようです。
しかし、よく観察していると夕方に一度閉じますが、翌日にはまた開いてどうやら二、三日は咲いているようです。
夏というと向日葵の花を連想する場合が多いと思いますが、城館跡を彷徨していると色々な種類の槿の花に出会うことのほうが多く、こうした季節の花との出会いもまた城館めぐりの楽しみの一つとなってきました。


2006/08/28 撮影 曇り

拍手[0回]

午前中は所用のため用件が済んだのは11時過ぎ。
訪城の用意はしておいたので、そのまま川島町の田んぼの蛙に会いに行きました。

老袋城(川越市)午前11時40分から午後1時まで

先週訪れたばかりですが、北側の氷川神社の辺りしか探索していなかったので、今回は南側の消防団の小屋・集会所・墓地(天台宗玉泉寺跡)などの所在する南側から主に川越運動公園の東側を中心にじっくりと1時間以上歩き回ることに。

実際に歩き回ってみると、自然堤防の形成した微高地とそれ以外の低地部分の比高差を含む地形の違いがより明確になりました。
「城館址探訪記」さんの情報によれば、玉泉寺跡周辺が城館跡との伝承があるようです。
確かに全体としてかなり広範囲な微高地を形成していますので、当所想定していた1kmほど北側に所在する氷川神社の辺りよりも、かなりそうした可能性が高そうな印象でした。

実は前回もこの場所に車を停めてそれなりに辺りの様子を窺っていたのですが、地形状の痕跡が見出せないために、そのまま氷川神社の方に向かってしまったという経緯がありました。
「新編武蔵風土記稿」において村の南西に所在する旨が記されていることとも符合しています。

さて、墓地の近くのお地蔵さんの写真などを撮影している最中に、地元の年配の方少しだけお話を伺うことができました。
それによれば以前はこの一帯は度重なる入間川などの氾濫により常に水害の被害を受けていたとのこと。
最近堤防を2mほど嵩上げするなどの治水対策が整備されてからは、水害の心配は無くなったとの事。(尤も最近といっても昭和27年頃の話でしたが)
道理で現在でもある程度古い民家は道路より1.5m前後の嵩上げ造成をしているのが目立つわけです。
現状の地形からでは具体的な所在地の特定ができなかったものの、地元の方から色々と参考になる情報を得ることができたことが大きな収穫でした。

しかし、農薬などの影響かどうかは定かではありませんが、肝心の田んぼの蛙とは逢えず仕舞いに。


道祖土氏館(川島町)午後1時50分から2時30分まで

「道祖土家文書」の所有者のお宅で、約150mほど先の宅地へと至る一本道の県道沿いに「道祖土家文書の文化財の標柱」が設置されていました。
埼玉の中世城館跡などでは城館跡としては収録されていませんが、多数の戦国期の古文書を所蔵されていた旧家なので、地形的に何かそれらしい痕跡は絶対にありそうだとの確信のもとに訪問を。
こちらでもたまたま庭掃除をされていた年配のご婦人に少しだけお話を伺うことができ、「大分以前には構堀が屋敷の四方を取巻いていた」というような事情なども判明しました。

さて肝心の遺構については、東側に所在する善福寺との境に草木に隠れてやや確認しづらい状況もありますが、延長約100m、幅3mから5m、深さ1m以上の一部水を湛えた堀が明確に存在し、屋敷の北東部で直角に曲がって屋敷の西側へと続いていました。
勿論近世以降の用水路などとの関係もあるかもしれないので、あくまでも時代背景などについては断定などはできませんが、一定の歴史的な屋敷の構堀の一部であることはほぼ間違い無いように思われました。
ことによると、南北の用水路などと併せて二重堀のような景観を呈していたのかもなどと、勝手な想像が広がる予想外の見事な堀跡なのでありました。

なお、近くの用水路には今年オタマジャクシからかえったばかりのトノサマガエルがうじゃうじゃと百匹以上棲息中。
何を隠そう自分は40年以上も前の子ども時代には、トノサマガエルを4年間近く金魚の水槽で飼育していたこともある大の蛙好き。
とはいうものの、まさかこの歳で用水路に入り込んで蛙と戯れるわけにも行かず、まずはこれ幸いと蛙の写真撮影に専念。
しかし傍目にはいい年をした人間が、ただひたすら田んぼのトノサマガエルの姿を連写しているというのは相当に不気味な光景かと。


小見野氏館(川島町)午後14時40分から15時10分まで

周囲を用水路で囲まれた市野川が大きく蛇行する右岸の自然堤防の微高地が館跡と推定されており、現在では真言宗の明光山法鈴寺が所在しています。
寺院の方は現在はおそらくは無住の様子で、湧水を利用した大きな池も干上がり、かつては涼しげな光景を呈したと思われる周囲の竹林はものの見事に伐採され殺風景を通り越して侘しさが漂っていました。
遺構らしい存在は強いていえば周辺の用水路あたりかと思われます。
かつての竹林との間の溝は多分張出してくる竹の根切りと雨水排水のためのもののようです。
北側には造成の盛り土が施されているようで地形が大分改変されている印象でした。

さて、水が枯れかかり最早水溜りと化しているどろりとした池の底をじっと観察していると、保護色で見分けがつきにくいものの数匹のトノサマガエルが棲息しているのを発見。
ここでも暫し蛙たちの様子を観察しつつデジカメ撮影を敢行。


日没までの時間には未だ十分な余裕があるものの、諸般の事情により午後4時ごろまでには帰宅していたほうが良さそうな家庭環境が介在。
夕方からの天候も気になっていたこともあり、蛙たちと別れを告げて直ちに撤収を開始。
本日の訪城は心ゆくまで晩夏の草花を撮影し、久しぶりに蛙たちの生態をじっくりと観察し、果たして一体何をしにいったのか分からないような城跡めぐりなのでありました。


道祖土氏館付近のトノサマガエル
2006/08/28 撮影 曇り

拍手[2回]

気分転換と総括をかねて、HPに掲載している期間の違い、トップページへの画像掲載の有無、名称としての普遍性などの違いにより単純な比較はできませんが、HP開設後約2年間の個別の城館についてのおよそのアクセス傾向をまとめてみました。
2006年8月27日午前11時現在での、埼玉県内収録城館306ヶ所の拙サイト内でのアクセス順位は概ね次のとおりです。

第1位 鉢形城(寄居町)1581 
国の指定史跡で全国的にも有名なため納得の首位。

第2位 円良田城(美里町)1532 
小規模な山城ですが、収録している山野草との関係でこの位置にのぼりつめてしまったのでした。

第3位 腰越城(小川町)1131 
各種遺構の保存状態もよく、トップページに画像を掲載していた影響も大。

第4位 岡城(朝霞市)873 
掲載一覧の一番上に位置しているせいかも。

第5位 別府城(熊谷市)866 
トップページに画像を掲載した影響と名称の普遍性が影響しているのかも。

第6位 寺尾城(川越市)799 
原因不明、リンクの関係かも...それにしても遺構の状態からは、とても考えられないような位置。

第7位 滝の城(所沢市)739 
掲載期間が長く比較的有名からかこの位置を確保。

第8位 根古屋城(飯能市)678 
トップページに画像を掲載した影響と呼称の普遍性が影響した模様。

第9位 河越氏館(川越市)629 
国の史跡であることに加え、大河ドラマの影響もあったような。

第10位 大堀山(川越市)597 
保存状態の良い平地の城館ですが、名称の普遍性に影響されているようにも。

第11位 花園城(寄居町)594 
石塁の遺構の存在で著名な山城で、この位置はなかなか健闘している模様。

第12位 小倉城(ときがわ町)568 
石積みの遺構を含む保存状態の良い山城ですが、検索ではたぶん福岡の小倉城との兼ね合いがありそうです。

第13位 北秋津城(所沢市)554 
遺構の状態や歴史的経緯があまり明確でないことから考慮すると、この位置に来るというのは全く意外な結果です。

第14位 高見城(小川町)553 
埼玉では比較的著名な古文書にも記されている急峻な山城。

第15位 猪俣城(美里町)536 
収録している山野草との関係が大きそうな山城。

第16位 青山城(小川町)531 
埼玉では比較的著名な山城。

第17位 五十子陣(本庄市)514 
埼玉では古河公方と上杉氏の抗争に際して歴史的に有名な地帯。

第18位 寺山砦(秩父市)506 
小さな物見程度の規模なので、トップページに画像を掲載した影響が大。

第19位 東方城(深谷市)501 
東西らのびた奇妙な形態の平城ですが、トップページに画像を掲載した影響も。

第20位 越畑城(嵐山町)496 
競合するサイトが少ないとしても、遺構の寂しさから考慮するとこの位置に来るというのは大きな謎のひとつ

第21位 菅谷館(嵐山町)494 
「名称」等のせいか、遺構状態の素晴しさの割にはいまひとつ人気が不足気味。(「埼玉県立嵐山史跡の博物館」が所在)

第21位 杉山城(嵐山町)494 
拙HPの出来具合に大いに問題がありそう。(反省)


やはり「城」という名称の付されている遺構の方が、「館」「陣屋」「屋敷」「堀の内」「遺跡」などと称される遺構と比較すると、現実の遺構状態の如何にかかわらず圧倒的にアクセス件数が多いという結果が出ました。
「菅谷館」以外のものとしては「畠山重忠館」(深谷市)「入間川御所」(狭山市)あたりが40位から50位あたりに顔を出すだけでした。
しかし、この作業に3時間近くもかかってしまうという自己の作業能力のあまりの低下に暫し呆然となったのでありました。

拍手[0回]