本来は中世城館跡めぐりがテーマのはずでありました。もっとも最近は加齢と共に持病が蔓延し本業が停滞傾向に...このためもっぱらドジなHP編集、道端の植物、食べ物、娘が養育を放棄した2匹のネコ(※2019年11月末に天国へ)などの話題に終始しております (2009/05/21 説明文更新)
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武蔵国入東郷の地下人小頭@和平
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男性
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定年を過ぎました~
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「余り遺構の無い城館跡めぐり」と「ネコいじり」並びに「観葉植物の栽培」など数だけは
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マラソンにたとえるならば、人生の折り返し地点はいつの間にか通過してしまいました。
人生を季節にたとえるならば、はや初秋を過ぎてそろそろ秋たけなわの時期に向かいつつあるようです。(見方によっては「晩秋」かも)
いわゆる団塊の世代に比較すれば、ほんの少しだけ若い世代に所属。
このため、一般的に現在の日本人の平均寿命などから推定すれば、上手くいくと25年近くはまだ人類として棲息できる可能性もあるような。

しかし、大正期や昭和初期に生まれた頑健な方々とは異なり、食生活などの違いから各種の成人病の発症と相俟って、心身ともに虚弱・脆弱性の色合いが目立つ年代。
最近とみに身近な方々の不幸を耳にすることが多くなり、3ヶ月ほど前には家内の叔母(元看護師)が、この4日にはその配偶者の伯父がいずれも所謂三大疾病にて60歳代で急逝。
一方家内の妹たちの配偶者は自分よりも年下であるにも拘らず、それぞれが心臓疾患、重篤な糖尿病、C型肝炎などのかなり深刻な持病を抱えているという実情も。

さて、自分はというと当面生命には別状のない「過呼吸」「軽度の脳梗塞」「慢性のアレルギー性気管支喘息」に「慢性の両膝関節障害」程度ですので、それらの親類の病状に比べれば最年長者とはいえどもこれでも取り敢えずは健康な部類に。
とはいえ、これ以上の体調の悪化については、そろそろこの辺りで防ぎとめねば、それこそ年金受給年齢までの到達が危惧されるような事態も発生しかねない状勢かと(笑)
お蔭様で未だ実母が健在なので、せめて順序が逆転しないように、日々の適度な運動(「城館跡めぐり」)を含めた健康管理(併せて「蕎麦」の食べ歩き-ルチンの効果で血液サラサラ-)の弛まぬ努力が極めて切実な課題となってきました(笑)

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本日の午前中は、所用時間僅か2分間の説明のためだけに休日出勤の憂き目に。
説明そのものは午前11時前にはすんなりとけりがついたものの、その後事情により、職場に戻りイベントの連絡調整を急遽実施せざるを得ない破目に。
相手先とのコンタクトがなかなかつかず、結果的に体が空いたのは漸く12時半過ぎ。
さて予想外に日中は気温が上昇し始め、訪城の是非に際してやや迷いが...
それでも念のため水分補給だけは抜かりなく用意してあったこともあり、結局は先日に引き続いて予定通り川島町の城館跡へ。
目星を付けていた県道76号線の「道場橋東詰」と如何にも中世城館と関わりのありそうな信号付近のローソンにてお茶と軽食を購入して、まずは「上伊草堀ノ内」へ。

上伊草堀ノ内(川島町)午後1時30分から午後2時まで
 越辺側の左岸地域で県道76号線の両側は元々規模の大きな用水路が存在する地域。
目当ての埼玉県信用金庫側の東側に所在する住宅の道路沿いにも用水路があちこちに。
現在でも大きく蛇行を繰り返す越辺川は、近代に入り治水対策が完備する以前には、大雨が降ると少なからず洪水が発生するといわれた水量の多い暴れ川であったという経緯があり、その後の治水対策や耕地整理により農業用水、排水路などが整備されていった模様で、東西南北方向に規模の大きな用水路が現存。
このためにひたすら目移りのしっぱなしで、「堀ノ内」の地名の語源となったと推定される堀跡の末裔となる用水路は、はてさて何処の辺りにおいでになるのやら全く見当もつかず。
ほとんどの地域が水田上の低地に宅地造成されているらしく館跡としての痕跡を辿ること自体がきわめて難しい状況。

その中で自然堤防上の微高地と推定される、現在は無住の西福寺の墓地周辺が、唯一最もそれらしい雰囲気が残されているような印象をもちました。
辺りの墓石を拝見すると「F氏」という姓がかなり目立ちましたので、この一帯の有力者階層に繋がる一族であったのかも知れません。
もっとも「堀ノ内」という地名が残るというだけで、その伝承・由来などについては全く不明なあくまでも多分に希望的城館跡推定地なのでありました。


このあと、北西に3㎞ほど車を走らせ県道76号線沿いのヤオコーに駐車させていただき、徒歩にて「中山陣屋」と隣接の「比企氏館」へ。

中山陣屋(川島町)午後2時05分から午後2時35分まで
中山地区の中山小学校の校庭付近が川越藩から出羽山形藩へ移封後もこの地域に6千石の所領を有していた秋元氏陣屋跡とされているようです。
校庭の周囲を一周半した限りでは陣屋址に関連しそうな堀跡などの遺構の形跡は皆無に近いような状態。
それでも北側の道路沿いの校庭の隅には、大正期に建立された「陣屋址」の石碑が所在。
尤も道路沿いとはいえ学校の正門の内側なので、一礼して敷地内に入ったのち、速やかに碑文を斜め読みしてデジカメで撮影後に即座に退散。
おりしもタイミングよく「怪しい人を見かけたら、警察や役場に連絡してください」という例の防災無線放送が流れていました。

さらに、小学校敷地の西側の戦没者の慰霊碑付近にも、見かけは実に侘しげな「秋元氏陣屋跡」と記されていたと推定される文化財標柱を発見。
あらかじめ何と記されているのかを知らないとまず読めそうもない、風化の進んだそれ自体が文化財といっても過言ではないような木製の標柱。
長年の風雨に晒され朽ち果てる寸前の、まさしく侘寂の世界を垣間見たような風合いでした。
先ほどデジカメで撮影してきた画像を拡大して、よくよく観察すると「秋元陣屋跡」と記されていた模様です。
また、陣屋の遺構とは恐らく無関係とは思われますが、小学校の東側の民家脇には構堀とも思われる堀跡風の溝が屋敷林に沿う形で所在していました。
しかし、これもよくよく考えれば畑の根切りのための溝(畦堀)かも知れません。


比企氏館(川島町)午後2時40分から午後3時10分まで
中山陣屋の東側に所在する金剛寺周辺の自然堤防上の微高地が「比企氏館」の跡とされています。
鎌倉初期に2代将軍頼家の外戚として大きな勢力を誇った比企氏の後裔の館跡とされている模様です。
その後戦国時代の比企左馬助政員は、岩付城主太田資正に仕えて坂戸の西光寺の所領等を安堵され比企郡代となったとされています。
さて、境内の東側には比企氏一族の近世の宝篋印塔が建立されており、加えて墓所の手前には空堀跡とも見えなくもないような深さ1.5m、幅2間、延長30メートルほどの溝も残されていました。
堀跡といえば確かに堀跡には違いないのですが、中世城館としての遺構の一部かどうかについてはややその判断に迷うところです。
その規模から考えると、頻発した越辺川の洪水などの災害から墓所を守るための溝跡のようなものにも見えてしまうのですが。
しかし、鐘楼などの建立に際して寄付をされた方々の名前が刻まれた石碑に「比企○○」の姓名を見つけたときには思わず、その歴史的な系譜に対して率直に尊敬の念を懐いてしまいました。

しかし本日は仕事先からの訪城のため、虫除けスプレーなどの用意はなく、このためものの見事に竹林の中の墓所にて薮蚊のゲリラ攻撃に晒され、何故か左手の甲だけがボコボコに刺されまくりました。
幸いにして、痒み止めだけは何故か3種類も常備していたので、この際ベタベタに塗りまくって事なきを得たのでありました。


モミジアオイ
「比企氏館」の付近に咲いていた幾分盛りを過ぎた「モミジアオイ」
2006/09/04 撮影


この日は日中は湿度はそれほど高くはなかったものの、予想以上に暑さが戻り、極めて暑さに弱い体質の自分としては僅か4km程度を彷徨していたにもかかわらず、ほぼ完璧なバテバテ状態に突入。
ここまで体力が低下しているとは自分でも茫然自失...
加えて駐車中の締め切った車中の室温は軽く摂氏60度を突破。
このためさらに一層、予定外の疲労困憊の仕儀と相成りました。

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ハイドロボールにてポトスを栽培中。
ついでに試しにセブリナも。
単純な水耕栽培でも良いのでが、容器の汚れや水の濁りが気になるので現在この方法で試行中です。
ちなみに容器は100円ショップのアクリル製。
既に2ヶ月近くになりますが、成長期にも拘らず様子が変わったのは背丈が2センチほど伸びて葉が少しだけ大きくなっただけ。

いずれにしても冬越しの時の保温と保湿・水やりが大切なポイントになりそうです。
ポトスの場合園芸関係の本では、ほぼ例外なく摂氏8度以上で無いと冬越しができないと書かれています。
しかし、経験的には摂氏10度以上を保持したほうが良さそうで、また肥料も余り与えないほうが寧ろ元気でした。

ハイドロポトス
2006/09/03 撮影


だらしなく伸びた穂先この辺りで穂先をカット支柱に園芸用のビニタイで固定して少しだけ格好をつけました先ほどカットしたものなどでとりあえず完成
伸びすぎたポトスの取り扱い 2006/09/04 撮影


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ここのところ体調は「軽度のじん麻疹」以外には、概ね良好な状態のはずでした。
しかし、数日前から右ひざにやや違和感が...一年半ほど以前に痛めた関節付近に時折痛みが発生。
おそらくは半月板周辺の炎症か軟骨の磨耗によるものかと。
長い距離や悪路などでなければ、当面において支障はないものの本当に弱ったものです。
取り敢えず常備している湿布とサポーターで対処してたので小康状態を維持。

あちらが治れば、こちらが痛むという虚弱体質に移行しつつあります。
おまけに昨日は椅子ごと後ろにひっくり返って後頭部が壁と激突するというドジ。
幸い石膏ボード製の内壁だったので大事には至らず。
コンクリートの壁だったら、今年3度目のMRI撮影の仕儀に。
一見骨太で頑丈そうな外見のため、一時騒がれた「耐震強度不足の建築物」そのものです。

さて、下の観葉植物はこの話題とは全く関係のないもので、自宅で増えすぎたので先日から無償配布を開始した「ポトス」。
ホームセンター辺りだと特売でも500円以上の値がつくかも知れません。
「ポトス」はセブリナに比べると、挿し穂の生育率がやや落ちるので、差し上げられる数も10点ほどしかありません。
3日ほど前に差し上げたポトスは、大きさはこの2倍ほど。
竹のバスケットの鉢カバー付で、2年ほどかけて形を整えたものでした。

無償配布中のポトス
現在無償配布中のポトス
2006/09/02 撮影


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もうじき推定年齢で満2歳となるはずの「母ネコのポミ」。
親子ともどもこの階段は大好きな遊び場ですが、夕方になると行儀よくお座りをして飼い主の娘の帰りを待っています。
自分にはそれほ懐いている訳でもありませんが、機嫌の良いときは時々こんなポーズもしてくれて、いわゆる完全なカメラ目線となっています。

1歳4ヶ月の子どもの「いちご」のほうが、遥かに体が大きくなりました。
しかし、二匹とも鳴声は未だに「みにゃー」という子ネコのような鳴き方をしています。
母ネコの「ポミ」が、ずっと長い間「ミィ」としか鳴かなかったこともあり子どもたちのほうも、未だに同じようななき方をします。
「にゃーご」「にゃーお」「ごろにゃーん」などと鳴いたような記憶は全くありません。
よくよく考えれば不思議な親子です。

母ネコのポミ
推定年齢満2歳の「ポミ」
2006-09-01 撮影

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