本来は中世城館跡めぐりがテーマのはずでありました。もっとも最近は加齢と共に持病が蔓延し本業が停滞傾向に...このためもっぱらドジなHP編集、道端の植物、食べ物、娘が養育を放棄した2匹のネコ(※2019年11月末に天国へ)などの話題に終始しております (2009/05/21 説明文更新)
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「余り遺構の無い城館跡めぐり」と「ネコいじり」並びに「観葉植物の栽培」など数だけは
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ここ2日ほど、ネコの給餌係の仕事は概ね順調。
今週の一週間、本来の飼主は地球の反対側の方に滞在中。

漸くネコたちも少しずつ環境に慣れてきた気配。
食欲も回復してきたようで、「いちご」の場合には給餌の時に擦り寄ってくることも。

少し前までは大好きな「パッ缶」を持っていっても、ろくに見向きもしなかったことを思えば先ずは一安心というところ。

しかし母ネコの「ポミ」の方は、あくまでも「気を許していないオーラ」を発し続けているのでありました。

「母ネコのポミ」
気位の高い「母ネコのポミ」
2006/11/07 撮影

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昨日出かけるときに、車の下に「いちご」(推定体重5キロ)が潜入。
追い出すまもなく、すばやく瞬間移動して車庫前の道路の反対側で当方の様子を窺う姿勢。
珍しく腹ばいになって可愛い仕草をしていたので、デジカメに収めようとドアを開けたところよその家の塀の影に隠れる始末。
これでは他所のネコか、飼猫か分からない..(汗)

さて、本日の朝食時は珍しく2匹で尻尾を立ててお出迎え。
「いちご」は昨晩はベランダで寝ていたようで、一晩中娘の帰りを待っていた模様。
食事の前に親子で少しだけ唸り合いごっご。
そのうち次第に慣れてくるとは思われるものの、まだ「餌をくれるだけの人」というレベルの評価の模様。
本来の飼主の不在という事情があるにせよ、これでは少し寂しいような気も。
もっとも半年前にとても人懐こかった「あんみつ」のように、ふっと姿を消されても当方のショックが大きいので、当分は付かず離れずの関係もそう悪くはなさそうな。

「いちご」(1歳半のオス)
「いちご」(1歳半の雄ネコ)
2006/11/07 撮影


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本日は予定通り訪城へ。
ところが久しぶりの出張り故、携行品の確認などでもたもたしているうちに早くも時刻は午前10時半。
出だしからこんなことでは、果たして白岡町まで辿り着けるのかどうかとの懸念が。

中山陣屋南東側の堀跡(川島町)11時35分~11時45分

手始めは9月はじめに訪れた川島町の中山陣屋東側の屋敷林沿いの用水路状の溝から。
近世以降の「構堀跡」か「畔堀」とも想定。
時代背景は不詳であるものの、気になる堀跡風の地形なので再訪した次第。
幅は広いところでは約2間、深さ1mくらい。
東側部分の延長距離は目測でおよそ80mほどかと判断。
部分的に湾曲しながら北側の用水路に接続し堀跡そのものは工場などを含む宅地を取り囲むように西方へと続いて消滅している模様。
「中山陣屋」「比企氏館」などに関連するものか、当地の屋敷の構堀なのかは何とも判断が付かず。

天気予報では朝から晴天のはずが、このときは分厚い雲に覆われて時々雨が落ちてくるという不安定な空模様。
近くの畑で保育園の子どもたちが、にぎやかな歓声を上げながらやや時期遅れの芋ほりの真っ最中。
自分との年齢差を考えると、明らかに孫の世代に相当...改めて己の加齢を痛感。


中山陣屋南東側の堀跡
中山陣屋南東側の堀跡
2006/11/07 撮影


比企氏館(川島町)11時50分~12時05分

「左馬助殿」のサイトを拝見していたところ、北側の堀跡状の溝が未確認であったことに気づき再訪。
中央付近でやや屈曲しも規模は幅約1間、深さ0.8mから1.2mで総延長は70mほど。
比企氏の墓域を取り巻く様子にも見え、その時代背景がとても気にかかる次第。

改めて館跡の範囲を想定してみると、北側に所在する住宅地を含む不整形の多角形のようにも思えなくもないような。
金剛寺南側の細く湾曲した公道が堀跡だと仮定すると正泉寺の南側を抜けて上記の中山陣屋南東側の堀跡状の地形に接続していることとなり..と何時もの如く妄想は果てしなく広がっていくのでありました。


比企氏館
比企氏館
2006/11/07 撮影


このあと40分ほど蓮田市の郷土資料館にて、発掘調査報告書を購入するなどの情報収集。
蓮田市立郷土資料館との名称がありながらも、臨時職員の方を中心に熱心に運営努力されている模様。
正規職員での運営をするということの役割と意味を改めて再考。

閏戸吹上遺跡(蓮田市)13時50分から14時10分

以前の訪城にて、明らかに所在地を勘違いしていたことに気づき再訪。
東北新幹線の高架橋の西側が正解で以前のときは東側と勝手に目星をつけていたことが原因。
電話にて所在地を確認していたことと、「吹上橋」などという名称も所在し、老人介護施設も所在していたので..などと往生際の悪い言い訳を。

正しい所在地には、老人介護施設と風格のある門構えの旧家が所在。
しかし、発掘により中世の館跡と見られる堀跡が検出されている程度で地表上から判断できるような遺構は殆んど存在していない模様。
見沼代用水の土木事業や耕地の整理により、当時の地形は大きく改変されていることは疑いようの無い事実。

付近の沼地では平日にもかかわらず、のんびりと釣り糸をたれている人々が十数人ほど。
もっとも、当方も平日にもかかわらず、殆んど遺構のなさそうな無名の中世城館跡をうろついている暇人ではありますが。


閏戸吹上遺跡
閏戸吹上遺跡
2006/11/07 撮影


新屋敷(白岡町)14時25分から14時35分

「埼玉の中世城館跡」など白岡八幡神社の南西の公道沿いに所在する「八幡公園」が、該当地の模様なれども委細不明。
台地の先端部分に所在し南側の低地との比高差は最大3mから4mほど。東側に所在する「陣屋」(「白岡氏館」とも地理的に重複している可能性が)との関わりも不明。
時代背景や人物との繋がりも不明で、地元に残る伝承地名の一つと推定される程度で他のことは全く..(汗)


新屋敷
新屋敷
2006/11/07 撮影


陣屋(白岡町)14時55分~15時20分

「ふるさと白岡」(1984/白岡町)では鬼久保氏の系統である「白岡氏館」を継承して近世陣屋として普請し直したとの説を掲載。
所在地自体が重複していることと「陣屋」と呼ばれている場所が、丘陵地帯のほぼ中央部分に位置していることなどから、現在の地形から考慮してもその説に従うのが妥当なような印象も少なからず。
丘陵地帯は特に水路が所在する南側との比高差が最も大きく、目測では最大で約5mほど。

南側以外の三方は比較的緩やかな下り坂を形成している程度で多少注意しなければ、微高地であるということが判別しにくい地形。
陣屋址とされる一帯のやや西側に所在する旧家の一本の大欅が目印で周辺のどこからでも目立つ存在。

また白岡八幡宮の参道南側の平地林の地形の一部も気になるところ。
しかし、日没までの時間も無いので次なる目標へ移動。

陣屋(白岡氏館か)
陣屋(白岡氏館か)
2006/11/07 撮影


南鬼窪氏館(白岡町)15時30分~15時45分


鬼窪八幡の祠を南限とした市街地一帯で現在は病院やマンションが立ち並ぶ殺風景な景色。
古い鬼窪八幡の写真が掲載されている「白岡町史」からは屋敷林などの光景が広がっていることを期待していたものの、その西側は宅地開発の分譲中、東側はアスファルトの駐車場に変貌。
わずかに残されたご神木と思われる1本の銀杏の木と小祠だけが当時の様子を伝えているという侘しさ。


南鬼窪氏館
南鬼窪氏館
2006/11/07 撮影


こうしているうちに次第に日没も迫り帰路に着き愛車に戻ると、何やら懐かしい奇妙な異臭が社中に充満..
事の真相は白岡八幡神社のギンナンが、折からの強風にあおられてパラパラと落下。
ギンナンを踏みしめつつ、その参道を4往復もうろついていたので至極当たり前の話(笑)

なお、桶川方面に戻る途中にて、途中蓮田市の以前からとても気になっていた高虫地区の氷川神社付近の平地林脇に所在する「委細不明の堀跡状地形」を吹きすさぶ北風にめげず探索開始。(16時50分~17時00分)
夕方5時前という日没寸前の時刻のため、概ね地形の確認自体はできたもののデジカメの方は全く訳の分からない仕儀と相成候似而、以他日可再訪致所存御座候(都合が悪くなると、こうした表現で誤魔化すのであります)

高虫の堀跡
高虫の堀跡
2006/11/07 撮影


さらにその後、荒川の堤防上から夕闇迫る富士山のシルエットを撮影するも、余りの強風のため体90キロ近い体もふらつく始末
このため、町の灯りがナメクジのようにのたうつ「心霊写真」のような画像が完成(笑)

富士山のシルエット
富士山のシルエット
2006/11/07 撮影

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「わーい」、明日は代休の消化予定日。
天候も晴天を確信。
とはいえ、日高市や鳩山町にも小熊が出没。
ということは、近くには母熊がいるという可能性も十分に。
こうなると圏央道および関越道より西側の丘陵地帯は危険区域。

予想通りの展開となってきたので、やはり当分は県東部の水田地帯をウロウロしているほうがリスクが少なそう。
かような次第で川島町経由で白岡町方面へ足を伸ばす算段。

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昨日都内へ戻る予定の娘が、気が変わってもう一日滞在。
2匹のネコは2日間とも娘の顔の両脇で丸くなってスヤスヤと熟睡していたとのこと。
やはり本来の飼主の姿が見えないので、ここ数日ネコなりに不安な日々を送っていたように思えたのはどうやら正鵠を得ていたらしい。
しかし、その飼主も昼過ぎにはようやく汐留へと戻っていったので、また再びネコたちにとって寂しい日々が始まるのでありました。

夕方、家内と二男を連れて暫定的に介護施設に入所している老母の面会へ。
二男とは半年振りの対面。
このため二男の名前は直ぐには思い出せなかったものの、喜色満面の笑顔で出迎えてくれた。
小生の名前を確認した所、直ぐに正しい返答。

先日、長女を連れて行ったときには、全く誰だか分からず家内の名前も分からなくなっていた時とは大違い。
人にとって歳を重ねるということは、このような日々を繰り返しつつ少しずつ記憶が朧気になっていくことなのだろうか。

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