本来は中世城館跡めぐりがテーマのはずでありました。もっとも最近は加齢と共に持病が蔓延し本業が停滞傾向に...このためもっぱらドジなHP編集、道端の植物、食べ物、娘が養育を放棄した2匹のネコ(※2019年11月末に天国へ)などの話題に終始しております (2009/05/21 説明文更新)
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「余り遺構の無い城館跡めぐり」と「ネコいじり」並びに「観葉植物の栽培」など数だけは
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滑川町の丘陵地帯にて見かけた民家脇の「土塁」状の地形。

とりあえず城館に関連する可能性はまずなさそうな、近世以降の風避けのためのもののようなものと推定。
高さ約1m、幅約2m、長さおよそ15mほどの規模にて。
緩やかな南側斜面の北西から南東方向にかけてに所在し、北風を防ぐために大きな常緑樹が根を張っていました。
やや困ったことに東側の道が恰も堀跡状の地形を呈している様に見えるものの、冷静に観察すればこちらの通路兼畑の根切りのようなものかと思われる次第にて..すべては「遺構の病」を原因とした気の迷いということにして次の目的地へ移動せり。


「土塁もどき」のある風景
2006/12/01
 滑川町中尾内野地区にて撮影

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滑川町の丘陵にて見かけたネコ。
こちらが近寄った分、すこし後ろへ移動..またこちらが近づくと..となかなか距離が縮まらずに結局は遠距離ズーム撮影となった次第にて。

脱兎の如く逃げ出すわけでもなく、また大人しくじっとしているわけでもなく、常に一定の距離を保つというその絶妙な平衡感覚は実に見習うべき社会学的示唆に富んだ行動かと(笑)
このややタヌキ乃至レッサーパンダに似た愛嬌のある顔つきの視線から受ける印象では、少なくとも敵視されていたという訳ではなかった模様です。

平衡感覚のよいネコ
平衡感覚のよいネコ
2006/12/01 滑川町中尾内野の無人の丘陵地帯にて

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本日は大安。
「特養」に入所が決定した老母の引越しの日。

半年前から既に入所していた一時的な入所施設である「老健」からの転居。
もともと入所していたので荷物の整理などは簡単。
転出予定の手続きも既に終えてあり、加えて隣町への転居であるためさほどの手間もかからぬと思っていたのが大間違いにて..

①まず午前9時過ぎに「老健」へ赴き母の退所。
②退所の挨拶諸手続のあと、午前10時に隣町の「特養」へ。
③入所手続ききなど一連のセレモニーの後に早めの昼食を摂りつつ本日の行動予定を反芻。
④町役場へ赴き転入の手続きと印鑑登録申請。および「老健」の保険証の手続きと住民票の交付申請。
⑤この時点で「老健」の本人の所得区分に関する認定書が必要なことが判明し、F市役所の担当課へ。
⑥「特養」の個室に置く箪笥の購入のため近所のホームセンターへ赴き、現品値下げ交渉並びに個室までの配送などの手配の確認。
⑦ 再び役場に立ち戻り「老健」の保険証の手続き。
⑧このあと「老健」指定の病院に赴き、退所時間の関係で後回しとなった母の処方薬を受領。
⑨再び「特養」もどり健康保険証、「老健」の保険証、処方薬などを預託し、施設入所証明書の申請などの後、老母の様子を窺って夕方5時過ぎに帰宅..(疲)

しかし、介護保険認定書の住所地が更新されていないので、後日F市役所の担当課にて対処することに..前もって転出時に一連の諸手続きを明示してくれればこれほどの手間はかからない筈にて。

現在居住しているF市の急速な合併という事象は、未だに行政組織の混乱をもたらす一因となっていることを痛感。
例のプール事故も起こるべくして起きたものなのかも知れず。
加えて「転出入の手続き」などは別としても、「健康保険」(勤務先)「老人健康保険」(現在の住所地)「介護保険」(従前の住所地)を所管する機関が異なるため余計にややこしい仕組みと相成候。
一日中動き回ってくれた妻の「町役場のほうが遥かに親切丁寧」との感想..逐一尤もにて御座候。

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城跡めぐりをしていると、しばしば出会う石造物。

元来は道教の教義により平安の貴族たちによって行われていた干支でいう正月庚申の日の行事。
「庚申の日の夜になると日頃人の腹の中にいる三戸(さんし)が、天帝にその悪事を告げに行く。このためにその人が早死にをするので、長生きをしたいならば徹宵せよ。」との教えだそうで。
その後、日待ち、月待ちの習俗と結びつき、近世には「庚申講」として全国的に流行したとされています。

密教の流れを汲む複数の腕をもつ鬼神青面金剛(しょうめん-こんごう)が本尊とされ、足元の3匹のサルや頭上の月と日輪などがその特徴。
この元禄期の年号が刻まれた庚申塔は、鬼神とは思えぬ穏やかな表情と共に何処かぎこちない観のある3匹のサルの仕草がとても印象的でした。

庚申塔
庚申塔
2006/12/01 滑川町水房地区にて撮影


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滑川町には現在でも200ヶ所近くの大小の沼地が所在しています。
元来は田畑に水を引く農業用のため池ですが、その歴史は中世以前に遡るものも多いとのこと。
従って沼沢地を濠代わりとしたと推定される中世城館跡も少なからず所在していたものと思われる次第。
このため丘陵地帯とその付近に所在する主だった沼沢地を訪れることにより、何がしかの「遺構もどき」に遭遇する可能性もあるのではと考えた由にて。
しかし、そうそう「新発見」などがあろうはずもなく、「遺構紛い」「遺構もどき」「不詳の遺構」などの思い込みや憶測によるものにたまに出会うのみというのが現実。
規模の大きな沼沢地の水質は現在でも比較的きれいで、フナ・コイなどの淡水魚も棲息している所も多いようです。

羽尾の中沼
羽尾中沼の紅葉
206/12/01 滑川町羽尾にて撮影

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