本来は中世城館跡めぐりがテーマのはずでありました。もっとも最近は加齢と共に持病が蔓延し本業が停滞傾向に...このためもっぱらドジなHP編集、道端の植物、食べ物、娘が養育を放棄した2匹のネコ(※2019年11月末に天国へ)などの話題に終始しております (2009/05/21 説明文更新)
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昨日の金魚事件の被害者は、今のところ洗面器の中で健気に棲息中。
ご覧の通り、鱗は剥がれ落ち胸鰭は一部損傷の重症の模様。
さすがに2度目の悪戯の時には床にへばりついた状態にて。
無念!最早これまでかと思いきや、意外としぶとく生命の危機と格闘している様子。
尤も小さな池の中で15年前後も棲息していたので、案外生命力は旺盛なのかも知れず。
また何時までも洗面器というわけにも行かないので、そのうちに水槽などを求めに近くのホームセンターへも参らねば。
家内が都内で自活しているネコの元飼主の娘に事の次第をメールした所、娘から加害者の「いちご」の身を案ずる電話が...
一方事件の加害者は、再度の説諭に些かも動ずることも無く何食わぬ顔をして朝食のおねだりを...

二度の惨劇に遭遇した推定年齢15歳の「金魚」
2006/12/20 撮影
ご覧の通り、鱗は剥がれ落ち胸鰭は一部損傷の重症の模様。
さすがに2度目の悪戯の時には床にへばりついた状態にて。
無念!最早これまでかと思いきや、意外としぶとく生命の危機と格闘している様子。
尤も小さな池の中で15年前後も棲息していたので、案外生命力は旺盛なのかも知れず。
また何時までも洗面器というわけにも行かないので、そのうちに水槽などを求めに近くのホームセンターへも参らねば。
家内が都内で自活しているネコの元飼主の娘に事の次第をメールした所、娘から加害者の「いちご」の身を案ずる電話が...
一方事件の加害者は、再度の説諭に些かも動ずることも無く何食わぬ顔をして朝食のおねだりを...
二度の惨劇に遭遇した推定年齢15歳の「金魚」
2006/12/20 撮影
昨日の午後のこと。
週に一度はネコ部屋の掃除の掃除にて候。
2匹のネコは外出中。
母ネコの「ポミ」はベランダの端の陽だまりでのんびりと日向ぼっこ。
子どもの「いちご」は何時ものように近所を徘徊中のため所在不明。
掃除機をかけながら何気なくダンボール製の爪とぎ用のボードの上に目を遣ると何やら赤い小さな物体が。
視力が悪いので、始めは何か分からず。
近寄ってよくよく眺めると何としたことか体調10センチほどの金魚が一匹。
他所のネコに食われて小さな池の畔に頭だけ残っていたことは今までにも。
しかし、これはどう見ても「いちご」の仕業にて。
加えてこの金魚は4年近く前、83歳で亡くなった父の形見にて候。
然もろくに餌も与えない中、プランクトンやボウフラなどのみにて棲息していた健気な長老のにて候由。
世代交代している可能性もあるものの10年以上、或いは15年近くは小さなプラスチック製の池の中を棲家と心得し独り身の池の主にて候!
恐れ多くもこの長老様に対して新参者のネコ風情が何とした振る舞いにて候!!
厳しく仕置致すべく所存にて候!!!
さてどうしたものかと金魚の様子を観察していると、まだ尻尾が動くではないか。
鱗が10枚ほど剥離しているものの、強くは咬まなかったらしく遊んでいただけなのかも知れず。
とはいえ金魚は半ば虫の息。
とりあえず池の傍に行って水の中に放してやることに。
始めは酸欠のため横になって遺体同然に。
池の傍に埋葬することを思いつき、改めて池に目を遣ると何やら泳ぎ始めている様子が。
そういえば40年ほど前に、凍結して仮死状態となった池の鯉を浴槽の生温いお湯にて蘇生させたことを思い出した次第にて。
かような次第で池の周りは金魚だの、鯉だの、蛙だの四十数年間の間に飼っていた魚たちの墓だらけにて御座候。
ぎりぎり間に合ったものの、池の主はかなりの高齢なのでこの冬を越せるかどうかは全くの未知数。
冬は金魚自身も動きが鈍いので、また「いちご」がおもちゃにする可能性も大にて。
と、3時間ほどのちに何となくいやな予感が。
暗い中池の様子を探りに行くと、どうも先ほどの金魚の気配が全く無し。もしやと再び夕餉の支度にネコ部屋に出向くと、何やら床に赤いものが..目が悪いので危うく踏みそうに...
今度こそ間違いなく正真正銘の虫の息にて候。
せっかく自分が獲ってきたお魚がまた池に戻っている..今度は、もっと分かりやすい所において褒めてもらおうというネコの心理。
ネコの習性とは知りつつも、腹立たしきこと甚だしき由にて御座候。
このためきつく叱り置いた所、犯人は驚愕の表情にて脱兎の如く逃走。
「池の主」は胸鰭が半分ほど消失し、再び池に戻しても明日まで持つかどうかという様子。
三度目の可能性も十分に想定されるため、池の水ごと洗面器に移動して暫く様子を見ることに...多分9割方駄目かと存候。
さて、訳も分からず叱られた「いちご」は現在も逃走中。
真っ暗な中で、「ポミ」が心配そうに「いちご」の帰りを待つという構図にて候。
かくて金魚にとっては、深刻な「金魚迷惑」(近所迷惑)な話にて候( この駄洒落に辿り着くまでの前置きの長きこと甚だ遺憾に御座候 )
週に一度はネコ部屋の掃除の掃除にて候。
2匹のネコは外出中。
母ネコの「ポミ」はベランダの端の陽だまりでのんびりと日向ぼっこ。
子どもの「いちご」は何時ものように近所を徘徊中のため所在不明。
掃除機をかけながら何気なくダンボール製の爪とぎ用のボードの上に目を遣ると何やら赤い小さな物体が。
視力が悪いので、始めは何か分からず。
近寄ってよくよく眺めると何としたことか体調10センチほどの金魚が一匹。
他所のネコに食われて小さな池の畔に頭だけ残っていたことは今までにも。
しかし、これはどう見ても「いちご」の仕業にて。
加えてこの金魚は4年近く前、83歳で亡くなった父の形見にて候。
然もろくに餌も与えない中、プランクトンやボウフラなどのみにて棲息していた健気な長老のにて候由。
世代交代している可能性もあるものの10年以上、或いは15年近くは小さなプラスチック製の池の中を棲家と心得し独り身の池の主にて候!
恐れ多くもこの長老様に対して新参者のネコ風情が何とした振る舞いにて候!!
厳しく仕置致すべく所存にて候!!!
さてどうしたものかと金魚の様子を観察していると、まだ尻尾が動くではないか。
鱗が10枚ほど剥離しているものの、強くは咬まなかったらしく遊んでいただけなのかも知れず。
とはいえ金魚は半ば虫の息。
とりあえず池の傍に行って水の中に放してやることに。
始めは酸欠のため横になって遺体同然に。
池の傍に埋葬することを思いつき、改めて池に目を遣ると何やら泳ぎ始めている様子が。
そういえば40年ほど前に、凍結して仮死状態となった池の鯉を浴槽の生温いお湯にて蘇生させたことを思い出した次第にて。
かような次第で池の周りは金魚だの、鯉だの、蛙だの四十数年間の間に飼っていた魚たちの墓だらけにて御座候。
ぎりぎり間に合ったものの、池の主はかなりの高齢なのでこの冬を越せるかどうかは全くの未知数。
冬は金魚自身も動きが鈍いので、また「いちご」がおもちゃにする可能性も大にて。
と、3時間ほどのちに何となくいやな予感が。
暗い中池の様子を探りに行くと、どうも先ほどの金魚の気配が全く無し。もしやと再び夕餉の支度にネコ部屋に出向くと、何やら床に赤いものが..目が悪いので危うく踏みそうに...
今度こそ間違いなく正真正銘の虫の息にて候。
せっかく自分が獲ってきたお魚がまた池に戻っている..今度は、もっと分かりやすい所において褒めてもらおうというネコの心理。
ネコの習性とは知りつつも、腹立たしきこと甚だしき由にて御座候。
このためきつく叱り置いた所、犯人は驚愕の表情にて脱兎の如く逃走。
「池の主」は胸鰭が半分ほど消失し、再び池に戻しても明日まで持つかどうかという様子。
三度目の可能性も十分に想定されるため、池の水ごと洗面器に移動して暫く様子を見ることに...多分9割方駄目かと存候。
さて、訳も分からず叱られた「いちご」は現在も逃走中。
真っ暗な中で、「ポミ」が心配そうに「いちご」の帰りを待つという構図にて候。
かくて金魚にとっては、深刻な「金魚迷惑」(近所迷惑)な話にて候( この駄洒落に辿り着くまでの前置きの長きこと甚だ遺憾に御座候 )
昨日訪れた滑川町の二ノ宮山山頂に所在する展望台からは滑川町周辺の丘陵地帯が一目瞭然。
4台ほど据付けられている雨ざらしの双眼鏡は、12年の風雨と歳月にも拘わらず概ね現役として稼動していることに感心。
然し従来よりの極度の近眼と近年進行する一方の老眼という事情を抱えているため、事実上使用することができず以誠遺憾存居候。
北東側から眺めた杉山城は特徴がなく、寧ろ手前の近年発掘調査が行われた谷津城の方が判別しやすい景観です。
①独立した丘陵、或いは舌状台地の先端部に所在。
②概ね20m以上の比高差を有する。
③付近に沼池が所在し特定の方角からの防御機能が推定されること。
よくよく最近の「城館遺構まがい」の一連の探索行動を振り返ってみると、この谷津城をモデルとした小規模な砦(いわゆる「村の城」)地形を彷徨していることを改めて確認した次第。

杉山城と谷津城
2006/12/18 撮影
4台ほど据付けられている雨ざらしの双眼鏡は、12年の風雨と歳月にも拘わらず概ね現役として稼動していることに感心。
然し従来よりの極度の近眼と近年進行する一方の老眼という事情を抱えているため、事実上使用することができず以誠遺憾存居候。
北東側から眺めた杉山城は特徴がなく、寧ろ手前の近年発掘調査が行われた谷津城の方が判別しやすい景観です。
①独立した丘陵、或いは舌状台地の先端部に所在。
②概ね20m以上の比高差を有する。
③付近に沼池が所在し特定の方角からの防御機能が推定されること。
よくよく最近の「城館遺構まがい」の一連の探索行動を振り返ってみると、この谷津城をモデルとした小規模な砦(いわゆる「村の城」)地形を彷徨していることを改めて確認した次第。
杉山城と谷津城
2006/12/18 撮影
最近は篠竹の藪に侵入を阻まれることもしばしば。
そろそろいい加減に滑川地域の「城館遺構まがい」にけりをつけねば...
と勇んで出かけてみたものの、まず始めの伊古神社周辺で6ヶ所ほど当りをつけていたためかなりのロスタイム。
続いて城館遺構とは何の関係もないと思われる「二ノ宮山」へ向かい、滑川周辺の丘陵地帯を俯瞰..
凸伊古神社(滑川町)12時20分~13時00分
比企郡の総社ともいわれた伊古神社の所在する丘陵は水田からの比高差はおよそ10m近くに及ぶ。
しかし、北側の竹林およびその北側の舌状台地先端部分を含めて城館跡に関連しそうな目立った地形は確認できず。
直径1.5mほどの井戸跡が境内の参道脇に所在。
深さが明確でない所がやや不気味にて。
また、神社北側の資材置き場のような整地された平坦地がかつてどのような地形であったのか興味がもたれるところにて候。

「伊古神社」北側の舌状台地
2006/12/18 撮影
人様の畑なれど「郭」などには如何にも相応しき地形にて
凸伊古谷沼(滑川町)13時00分~13時50分
伊古神社南西に所在する「谷沼」(やつぬま)周辺の確認作業にて。
地形の条件として相応しそうな個所が3ヶ所ほど所在。
沼の北側の部分は建設会社の資材置き場のような状況。
南側の部分に農道を通したときのものと思われる斜面の切落としを確認。
かつて多くの板碑が出土したといわれ、古井戸も所在する「新田坊沼」は現在は渇水期のためか泥濘の底なし沼状態。
北東方向に開けた谷津の上部のため陰鬱な佇まいにて。
沼池の水源と思われる谷津を登りつめて「おおむらさきゴルフコース」の北側の丘陵に這い上がり、暫し丘陵上の細道を進みつつ周囲の地形を確認。
「上沼」(うわぬま)の上部辺りと思われる個所から、斜面に僅かばかり残された踏みあとに従い北側斜面を降下。
勢いをつけすぎると沼池の先端部に嵌ることになるので、途中で減速して沼池東方の側道を北上して無事帰還せり。
以上3か所の沼池めぐりを敢行すれども、当然のことなれども城館遺構に該当しそうな地形には遭遇せず。

「谷沼」
2006/12/18 撮影
凸二ノ宮山(滑川町)14時00分~14時30分
最近、比高差の少ない場所しか出かけておらず、著しい運動不足の我が身にとっては滑川町の最高地点である標高131.8mの山頂に辿り着けるか些か不安に存知居候(汗にて候)
しかし案ずるほどのこともなく、徒歩にて僅か10分ほどで無人の山頂に到着致候。
我が「心肺機能」は「心配無用」に御座候(冗句にて候)
ところが展望台の鉄骨製の階段を登っていくに従って眩暈が..
あわせて何処か言いようのない気持ち悪さも。
神社にはきちんとお参りした由にて御座候。
けっして悪霊の祟りなどにはあらぬことと存知居候。
按ずるに、強風のため展望台自体が僅かに揺れていた可能性もある哉も知れず。
加えて、同じ方向に曲がりつつ階段を登っていたため目が回っていた模様にて候。
12年前の1億円プレゼントとして話題を振りまいた「ふるさと創生・・」という懐かしい文言が展望台の解説に記述。
やや塗装が剥離し酸化第二鉄が顕著と化しつつあることに確実な時の流れを感じた次第にて。
そういえば、自分の町は確か地域振興券だったように記憶を。
さて、展望台の上はまさに360度の絶景にて御座候。
しかし、比高差100mの展望台から眺める杉山城、谷津城を始めとする城館群は視線の遥か下方に候。
予め地図を片手に丘陵地帯の詳細な確認を致すべく訪れたものの、折からの北西の強風がまともに吹きつける環境に御座候。
しっかり持っていても飛ばされそうな状況にて、当初の計画は頓挫致居候にて候。
風速15メートル超のためデジカメの焦点が定まらず、螺旋階段の支柱にもたれて何とか撮影...ううっ、寒い..ので御座候。

二ノ宮山の展望台
2006/12/18 撮影
このあと、日没までの時間が半端なことも有之候由にて、美里町方面の林道等の偵察へと潜行。
夕闇迫る猪俣城の景観はなかなかのものにて候。
まさしく自画自賛に御座候(汗)

「猪俣城」(児玉郡美里町)の夕景
2006/12/18 撮影
そろそろいい加減に滑川地域の「城館遺構まがい」にけりをつけねば...
と勇んで出かけてみたものの、まず始めの伊古神社周辺で6ヶ所ほど当りをつけていたためかなりのロスタイム。
続いて城館遺構とは何の関係もないと思われる「二ノ宮山」へ向かい、滑川周辺の丘陵地帯を俯瞰..
凸伊古神社(滑川町)12時20分~13時00分
比企郡の総社ともいわれた伊古神社の所在する丘陵は水田からの比高差はおよそ10m近くに及ぶ。
しかし、北側の竹林およびその北側の舌状台地先端部分を含めて城館跡に関連しそうな目立った地形は確認できず。
直径1.5mほどの井戸跡が境内の参道脇に所在。
深さが明確でない所がやや不気味にて。
また、神社北側の資材置き場のような整地された平坦地がかつてどのような地形であったのか興味がもたれるところにて候。
「伊古神社」北側の舌状台地
2006/12/18 撮影
人様の畑なれど「郭」などには如何にも相応しき地形にて
凸伊古谷沼(滑川町)13時00分~13時50分
伊古神社南西に所在する「谷沼」(やつぬま)周辺の確認作業にて。
地形の条件として相応しそうな個所が3ヶ所ほど所在。
沼の北側の部分は建設会社の資材置き場のような状況。
南側の部分に農道を通したときのものと思われる斜面の切落としを確認。
かつて多くの板碑が出土したといわれ、古井戸も所在する「新田坊沼」は現在は渇水期のためか泥濘の底なし沼状態。
北東方向に開けた谷津の上部のため陰鬱な佇まいにて。
沼池の水源と思われる谷津を登りつめて「おおむらさきゴルフコース」の北側の丘陵に這い上がり、暫し丘陵上の細道を進みつつ周囲の地形を確認。
「上沼」(うわぬま)の上部辺りと思われる個所から、斜面に僅かばかり残された踏みあとに従い北側斜面を降下。
勢いをつけすぎると沼池の先端部に嵌ることになるので、途中で減速して沼池東方の側道を北上して無事帰還せり。
以上3か所の沼池めぐりを敢行すれども、当然のことなれども城館遺構に該当しそうな地形には遭遇せず。
「谷沼」
2006/12/18 撮影
凸二ノ宮山(滑川町)14時00分~14時30分
最近、比高差の少ない場所しか出かけておらず、著しい運動不足の我が身にとっては滑川町の最高地点である標高131.8mの山頂に辿り着けるか些か不安に存知居候(汗にて候)
しかし案ずるほどのこともなく、徒歩にて僅か10分ほどで無人の山頂に到着致候。
我が「心肺機能」は「心配無用」に御座候(冗句にて候)
ところが展望台の鉄骨製の階段を登っていくに従って眩暈が..
あわせて何処か言いようのない気持ち悪さも。
神社にはきちんとお参りした由にて御座候。
けっして悪霊の祟りなどにはあらぬことと存知居候。
按ずるに、強風のため展望台自体が僅かに揺れていた可能性もある哉も知れず。
加えて、同じ方向に曲がりつつ階段を登っていたため目が回っていた模様にて候。
12年前の1億円プレゼントとして話題を振りまいた「ふるさと創生・・」という懐かしい文言が展望台の解説に記述。
やや塗装が剥離し酸化第二鉄が顕著と化しつつあることに確実な時の流れを感じた次第にて。
そういえば、自分の町は確か地域振興券だったように記憶を。
さて、展望台の上はまさに360度の絶景にて御座候。
しかし、比高差100mの展望台から眺める杉山城、谷津城を始めとする城館群は視線の遥か下方に候。
予め地図を片手に丘陵地帯の詳細な確認を致すべく訪れたものの、折からの北西の強風がまともに吹きつける環境に御座候。
しっかり持っていても飛ばされそうな状況にて、当初の計画は頓挫致居候にて候。
風速15メートル超のためデジカメの焦点が定まらず、螺旋階段の支柱にもたれて何とか撮影...ううっ、寒い..ので御座候。
二ノ宮山の展望台
2006/12/18 撮影
このあと、日没までの時間が半端なことも有之候由にて、美里町方面の林道等の偵察へと潜行。
夕闇迫る猪俣城の景観はなかなかのものにて候。
まさしく自画自賛に御座候(汗)
「猪俣城」(児玉郡美里町)の夕景
2006/12/18 撮影
さて、「城館遺構紛い」のものを暫定的に1件だけUPしてみたものの、今までの訪城先の中にも1割前後は「怪しい」内容が含まれており、
それらの取り扱いをどうするのか。
また、全体のサイト構成の中でどのような位置づけをするのかなど課題だらけとなっています。
今までに訪れた中世城館跡を「信憑性の根拠・要素」(歴史的根拠)でとりあえず分類すると、
①国や地方公共団体の史跡・旧跡等の文化財指定のあるもの
②遺構の如何は問わず、城館跡として一般的に認知されているもの
③「新編武蔵風土記稿」などの近世地誌類に記されたもの
④歴史的経緯が不明だが明確な遺構が現存するもの
⑤発掘調査により遺構が確認されたもの
⑥伝承のみのもの
などというところでしょうか。
と、ここまで打ち込んでいてふと思ったのですが、これらの根拠・要素に従い分類した資料があると実に便利ではないのかと。
然しこれに、⑦それ以外の管理人の憶測によるもの、すなわち「城館遺構紛い」という性格のものが加わって、愈々サイトポリシーが一段と混迷していくのでありましょう...はは(冷笑)
それらの取り扱いをどうするのか。
また、全体のサイト構成の中でどのような位置づけをするのかなど課題だらけとなっています。
今までに訪れた中世城館跡を「信憑性の根拠・要素」(歴史的根拠)でとりあえず分類すると、
①国や地方公共団体の史跡・旧跡等の文化財指定のあるもの
②遺構の如何は問わず、城館跡として一般的に認知されているもの
③「新編武蔵風土記稿」などの近世地誌類に記されたもの
④歴史的経緯が不明だが明確な遺構が現存するもの
⑤発掘調査により遺構が確認されたもの
⑥伝承のみのもの
などというところでしょうか。
と、ここまで打ち込んでいてふと思ったのですが、これらの根拠・要素に従い分類した資料があると実に便利ではないのかと。
然しこれに、⑦それ以外の管理人の憶測によるもの、すなわち「城館遺構紛い」という性格のものが加わって、愈々サイトポリシーが一段と混迷していくのでありましょう...はは(冷笑)