本来は中世城館跡めぐりがテーマのはずでありました。もっとも最近は加齢と共に持病が蔓延し本業が停滞傾向に...このためもっぱらドジなHP編集、道端の植物、食べ物、娘が養育を放棄した2匹のネコ(※2019年11月末に天国へ)などの話題に終始しております (2009/05/21 説明文更新)
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最近は篠竹の藪に侵入を阻まれることもしばしば。
そろそろいい加減に滑川地域の「城館遺構まがい」にけりをつけねば...
と勇んで出かけてみたものの、まず始めの伊古神社周辺で6ヶ所ほど当りをつけていたためかなりのロスタイム。
続いて城館遺構とは何の関係もないと思われる「二ノ宮山」へ向かい、滑川周辺の丘陵地帯を俯瞰..
凸伊古神社(滑川町)12時20分~13時00分
比企郡の総社ともいわれた伊古神社の所在する丘陵は水田からの比高差はおよそ10m近くに及ぶ。
しかし、北側の竹林およびその北側の舌状台地先端部分を含めて城館跡に関連しそうな目立った地形は確認できず。
直径1.5mほどの井戸跡が境内の参道脇に所在。
深さが明確でない所がやや不気味にて。
また、神社北側の資材置き場のような整地された平坦地がかつてどのような地形であったのか興味がもたれるところにて候。
![「伊古神社」北側の舌状台地](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/ac5753c9702574db964179e226359c97/1166455523?w=200&h=132)
「伊古神社」北側の舌状台地
2006/12/18 撮影
人様の畑なれど「郭」などには如何にも相応しき地形にて
凸伊古谷沼(滑川町)13時00分~13時50分
伊古神社南西に所在する「谷沼」(やつぬま)周辺の確認作業にて。
地形の条件として相応しそうな個所が3ヶ所ほど所在。
沼の北側の部分は建設会社の資材置き場のような状況。
南側の部分に農道を通したときのものと思われる斜面の切落としを確認。
かつて多くの板碑が出土したといわれ、古井戸も所在する「新田坊沼」は現在は渇水期のためか泥濘の底なし沼状態。
北東方向に開けた谷津の上部のため陰鬱な佇まいにて。
沼池の水源と思われる谷津を登りつめて「おおむらさきゴルフコース」の北側の丘陵に這い上がり、暫し丘陵上の細道を進みつつ周囲の地形を確認。
「上沼」(うわぬま)の上部辺りと思われる個所から、斜面に僅かばかり残された踏みあとに従い北側斜面を降下。
勢いをつけすぎると沼池の先端部に嵌ることになるので、途中で減速して沼池東方の側道を北上して無事帰還せり。
以上3か所の沼池めぐりを敢行すれども、当然のことなれども城館遺構に該当しそうな地形には遭遇せず。
![「谷沼」](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/ac5753c9702574db964179e226359c97/1166455522?w=200&h=132)
「谷沼」
2006/12/18 撮影
凸二ノ宮山(滑川町)14時00分~14時30分
最近、比高差の少ない場所しか出かけておらず、著しい運動不足の我が身にとっては滑川町の最高地点である標高131.8mの山頂に辿り着けるか些か不安に存知居候(汗にて候)
しかし案ずるほどのこともなく、徒歩にて僅か10分ほどで無人の山頂に到着致候。
我が「心肺機能」は「心配無用」に御座候(冗句にて候)
ところが展望台の鉄骨製の階段を登っていくに従って眩暈が..
あわせて何処か言いようのない気持ち悪さも。
神社にはきちんとお参りした由にて御座候。
けっして悪霊の祟りなどにはあらぬことと存知居候。
按ずるに、強風のため展望台自体が僅かに揺れていた可能性もある哉も知れず。
加えて、同じ方向に曲がりつつ階段を登っていたため目が回っていた模様にて候。
12年前の1億円プレゼントとして話題を振りまいた「ふるさと創生・・」という懐かしい文言が展望台の解説に記述。
やや塗装が剥離し酸化第二鉄が顕著と化しつつあることに確実な時の流れを感じた次第にて。
そういえば、自分の町は確か地域振興券だったように記憶を。
さて、展望台の上はまさに360度の絶景にて御座候。
しかし、比高差100mの展望台から眺める杉山城、谷津城を始めとする城館群は視線の遥か下方に候。
予め地図を片手に丘陵地帯の詳細な確認を致すべく訪れたものの、折からの北西の強風がまともに吹きつける環境に御座候。
しっかり持っていても飛ばされそうな状況にて、当初の計画は頓挫致居候にて候。
風速15メートル超のためデジカメの焦点が定まらず、螺旋階段の支柱にもたれて何とか撮影...ううっ、寒い..ので御座候。
![寒風吹きすさぶ「二ノ宮山の展望台」](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/ac5753c9702574db964179e226359c97/1166455524?w=200&h=132)
二ノ宮山の展望台
2006/12/18 撮影
このあと、日没までの時間が半端なことも有之候由にて、美里町方面の林道等の偵察へと潜行。
夕闇迫る猪俣城の景観はなかなかのものにて候。
まさしく自画自賛に御座候(汗)
![「猪俣城」(児玉郡美里町)の夕景](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/ac5753c9702574db964179e226359c97/1166455525?w=200&h=132)
「猪俣城」(児玉郡美里町)の夕景
2006/12/18 撮影
そろそろいい加減に滑川地域の「城館遺構まがい」にけりをつけねば...
と勇んで出かけてみたものの、まず始めの伊古神社周辺で6ヶ所ほど当りをつけていたためかなりのロスタイム。
続いて城館遺構とは何の関係もないと思われる「二ノ宮山」へ向かい、滑川周辺の丘陵地帯を俯瞰..
凸伊古神社(滑川町)12時20分~13時00分
比企郡の総社ともいわれた伊古神社の所在する丘陵は水田からの比高差はおよそ10m近くに及ぶ。
しかし、北側の竹林およびその北側の舌状台地先端部分を含めて城館跡に関連しそうな目立った地形は確認できず。
直径1.5mほどの井戸跡が境内の参道脇に所在。
深さが明確でない所がやや不気味にて。
また、神社北側の資材置き場のような整地された平坦地がかつてどのような地形であったのか興味がもたれるところにて候。
「伊古神社」北側の舌状台地
2006/12/18 撮影
人様の畑なれど「郭」などには如何にも相応しき地形にて
凸伊古谷沼(滑川町)13時00分~13時50分
伊古神社南西に所在する「谷沼」(やつぬま)周辺の確認作業にて。
地形の条件として相応しそうな個所が3ヶ所ほど所在。
沼の北側の部分は建設会社の資材置き場のような状況。
南側の部分に農道を通したときのものと思われる斜面の切落としを確認。
かつて多くの板碑が出土したといわれ、古井戸も所在する「新田坊沼」は現在は渇水期のためか泥濘の底なし沼状態。
北東方向に開けた谷津の上部のため陰鬱な佇まいにて。
沼池の水源と思われる谷津を登りつめて「おおむらさきゴルフコース」の北側の丘陵に這い上がり、暫し丘陵上の細道を進みつつ周囲の地形を確認。
「上沼」(うわぬま)の上部辺りと思われる個所から、斜面に僅かばかり残された踏みあとに従い北側斜面を降下。
勢いをつけすぎると沼池の先端部に嵌ることになるので、途中で減速して沼池東方の側道を北上して無事帰還せり。
以上3か所の沼池めぐりを敢行すれども、当然のことなれども城館遺構に該当しそうな地形には遭遇せず。
「谷沼」
2006/12/18 撮影
凸二ノ宮山(滑川町)14時00分~14時30分
最近、比高差の少ない場所しか出かけておらず、著しい運動不足の我が身にとっては滑川町の最高地点である標高131.8mの山頂に辿り着けるか些か不安に存知居候(汗にて候)
しかし案ずるほどのこともなく、徒歩にて僅か10分ほどで無人の山頂に到着致候。
我が「心肺機能」は「心配無用」に御座候(冗句にて候)
ところが展望台の鉄骨製の階段を登っていくに従って眩暈が..
あわせて何処か言いようのない気持ち悪さも。
神社にはきちんとお参りした由にて御座候。
けっして悪霊の祟りなどにはあらぬことと存知居候。
按ずるに、強風のため展望台自体が僅かに揺れていた可能性もある哉も知れず。
加えて、同じ方向に曲がりつつ階段を登っていたため目が回っていた模様にて候。
12年前の1億円プレゼントとして話題を振りまいた「ふるさと創生・・」という懐かしい文言が展望台の解説に記述。
やや塗装が剥離し酸化第二鉄が顕著と化しつつあることに確実な時の流れを感じた次第にて。
そういえば、自分の町は確か地域振興券だったように記憶を。
さて、展望台の上はまさに360度の絶景にて御座候。
しかし、比高差100mの展望台から眺める杉山城、谷津城を始めとする城館群は視線の遥か下方に候。
予め地図を片手に丘陵地帯の詳細な確認を致すべく訪れたものの、折からの北西の強風がまともに吹きつける環境に御座候。
しっかり持っていても飛ばされそうな状況にて、当初の計画は頓挫致居候にて候。
風速15メートル超のためデジカメの焦点が定まらず、螺旋階段の支柱にもたれて何とか撮影...ううっ、寒い..ので御座候。
二ノ宮山の展望台
2006/12/18 撮影
このあと、日没までの時間が半端なことも有之候由にて、美里町方面の林道等の偵察へと潜行。
夕闇迫る猪俣城の景観はなかなかのものにて候。
まさしく自画自賛に御座候(汗)
「猪俣城」(児玉郡美里町)の夕景
2006/12/18 撮影
さて、「城館遺構紛い」のものを暫定的に1件だけUPしてみたものの、今までの訪城先の中にも1割前後は「怪しい」内容が含まれており、
それらの取り扱いをどうするのか。
また、全体のサイト構成の中でどのような位置づけをするのかなど課題だらけとなっています。
今までに訪れた中世城館跡を「信憑性の根拠・要素」(歴史的根拠)でとりあえず分類すると、
①国や地方公共団体の史跡・旧跡等の文化財指定のあるもの
②遺構の如何は問わず、城館跡として一般的に認知されているもの
③「新編武蔵風土記稿」などの近世地誌類に記されたもの
④歴史的経緯が不明だが明確な遺構が現存するもの
⑤発掘調査により遺構が確認されたもの
⑥伝承のみのもの
などというところでしょうか。
と、ここまで打ち込んでいてふと思ったのですが、これらの根拠・要素に従い分類した資料があると実に便利ではないのかと。
然しこれに、⑦それ以外の管理人の憶測によるもの、すなわち「城館遺構紛い」という性格のものが加わって、愈々サイトポリシーが一段と混迷していくのでありましょう...はは(冷笑)
それらの取り扱いをどうするのか。
また、全体のサイト構成の中でどのような位置づけをするのかなど課題だらけとなっています。
今までに訪れた中世城館跡を「信憑性の根拠・要素」(歴史的根拠)でとりあえず分類すると、
①国や地方公共団体の史跡・旧跡等の文化財指定のあるもの
②遺構の如何は問わず、城館跡として一般的に認知されているもの
③「新編武蔵風土記稿」などの近世地誌類に記されたもの
④歴史的経緯が不明だが明確な遺構が現存するもの
⑤発掘調査により遺構が確認されたもの
⑥伝承のみのもの
などというところでしょうか。
と、ここまで打ち込んでいてふと思ったのですが、これらの根拠・要素に従い分類した資料があると実に便利ではないのかと。
然しこれに、⑦それ以外の管理人の憶測によるもの、すなわち「城館遺構紛い」という性格のものが加わって、愈々サイトポリシーが一段と混迷していくのでありましょう...はは(冷笑)
トップページのメニュー配列などをマイナーチェンジしました。
ここ1年ほどレイアウト自体に大きな変更がなく、たいぶ見飽きてきたことも一因ですが、近々メニュー追加の予定のあることから変更したものです。
メニューの追加といってもそれほど大層なものではなく、「城館遺構紛い」のジャンルを新たに設置しようというだけのことであります。
最近、滑川町を中心に「かなり怪しげな城館遺構紛い」の画像が増えてしまいました。
今後新たに編集するもののうち、城館に関する伝承などの全くないものについては暫定的にこちらに纏めておこうなどと考えております。
下の画像は孟宗竹の林と杉林の境に所在する高さ1mほどの塚のようなものですが、まず「滑川町史」を調べた限りでは少なくとも古墳ではないようです。
第一自然地形か、人工のものか全く区別がつきません。
第二に何のためのものかも分かりませんので、遺構かどうかも分かりません。
強いていえば物見台くらいにはなるのかも知れませんが、さほど眺望の利くような場所でもありません。
このような全く「遺構」とも呼べないようなものから、もしかすると「遺構の可能性があるかもしれない」と憶測を呼ぶようなものまでをコンテンツとしていく予定であります。
そのうちこのジャンルがメインとなる恐れがあるやも知れず...(笑)
![不詳の「遺構」?](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/ac5753c9702574db964179e226359c97/1166102772?w=200&h=132)
不詳の「遺構」?
2006/12/01
比企郡滑川町羽尾地区の山中にて
ここ1年ほどレイアウト自体に大きな変更がなく、たいぶ見飽きてきたことも一因ですが、近々メニュー追加の予定のあることから変更したものです。
メニューの追加といってもそれほど大層なものではなく、「城館遺構紛い」のジャンルを新たに設置しようというだけのことであります。
最近、滑川町を中心に「かなり怪しげな城館遺構紛い」の画像が増えてしまいました。
今後新たに編集するもののうち、城館に関する伝承などの全くないものについては暫定的にこちらに纏めておこうなどと考えております。
下の画像は孟宗竹の林と杉林の境に所在する高さ1mほどの塚のようなものですが、まず「滑川町史」を調べた限りでは少なくとも古墳ではないようです。
第一自然地形か、人工のものか全く区別がつきません。
第二に何のためのものかも分かりませんので、遺構かどうかも分かりません。
強いていえば物見台くらいにはなるのかも知れませんが、さほど眺望の利くような場所でもありません。
このような全く「遺構」とも呼べないようなものから、もしかすると「遺構の可能性があるかもしれない」と憶測を呼ぶようなものまでをコンテンツとしていく予定であります。
そのうちこのジャンルがメインとなる恐れがあるやも知れず...(笑)
不詳の「遺構」?
2006/12/01
比企郡滑川町羽尾地区の山中にて
吉見町の御所地区の北端に所在する式内社横見神社の南側と東側には深さ2メートル、幅約2間ほどの水堀が廻っています。
然しこの遺構の歴史的経緯がきわめて不明。
地元教育委員会の担当者の見解によれば、「神社の祭祀に伴うもの」「神社と同居する稲荷塚古墳、横見神社古墳などの周濠」などとの考え方もあるとのことですが、その役割を含めていまひとつ決め手を欠くようです。
また個人的には神域を水害から守るための排水路とも考えられますが、それでは南側と東側を取り巻いているという形態の意味が説明できません。
それはさておき神社の周辺は城館としての佇まいも感じさせる雰囲気が濃厚。
但し難点は神社部分の領域が狭いために現存する濠跡遺構を以ってして、そのまま中世城館の中心部に関わるものとは考えにくい側面もあります。
![横見神社南側の堀跡 画像クリックで拡大します](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/ac5753c9702574db964179e226359c97/1166091755?w=200&h=132)
横見神社南側の堀跡
2006/12/12
比企郡吉見町御所地区にて小雨模様の中を撮影
然しこの遺構の歴史的経緯がきわめて不明。
地元教育委員会の担当者の見解によれば、「神社の祭祀に伴うもの」「神社と同居する稲荷塚古墳、横見神社古墳などの周濠」などとの考え方もあるとのことですが、その役割を含めていまひとつ決め手を欠くようです。
また個人的には神域を水害から守るための排水路とも考えられますが、それでは南側と東側を取り巻いているという形態の意味が説明できません。
それはさておき神社の周辺は城館としての佇まいも感じさせる雰囲気が濃厚。
但し難点は神社部分の領域が狭いために現存する濠跡遺構を以ってして、そのまま中世城館の中心部に関わるものとは考えにくい側面もあります。
横見神社南側の堀跡
2006/12/12
比企郡吉見町御所地区にて小雨模様の中を撮影