本来は中世城館跡めぐりがテーマのはずでありました。もっとも最近は加齢と共に持病が蔓延し本業が停滞傾向に...このためもっぱらドジなHP編集、道端の植物、食べ物、娘が養育を放棄した2匹のネコ(※2019年11月末に天国へ)などの話題に終始しております (2009/05/21 説明文更新)
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先日行方不明となっていた眼鏡は職場の机の中から先週の金曜日に発見。
然し今度は現在修理中のニコンD70のメモリーカードが見当たらず。
娘の餞別代りに飼い猫たちの画像をデジカメプリントしようと思い立ち、作業を始めようとしたところ512MBのメモリーカードが行方不明であることに気付いた次第。
ひとつ見つかると、ひとつ紛失。
あ、D70のレンズキャップは未だ不明のままでありました。
このため一眼デジカメのレンズキャップは、全て紐付きのものに交換した経緯が。
そういえばPCのメールの受信が不調で...パスワードが印刷された書類を捜すのに足掛け2日も。
このようにして、人は確実に老いてゆくものなのかとしみじみ実感を。
然し今度は現在修理中のニコンD70のメモリーカードが見当たらず。
娘の餞別代りに飼い猫たちの画像をデジカメプリントしようと思い立ち、作業を始めようとしたところ512MBのメモリーカードが行方不明であることに気付いた次第。
ひとつ見つかると、ひとつ紛失。
あ、D70のレンズキャップは未だ不明のままでありました。
このため一眼デジカメのレンズキャップは、全て紐付きのものに交換した経緯が。
そういえばPCのメールの受信が不調で...パスワードが印刷された書類を捜すのに足掛け2日も。
このようにして、人は確実に老いてゆくものなのかとしみじみ実感を。
厳冬期を迎えて植物は完全に休眠状態。
植物にとっては、この時の水遣りの加減が最も難しいのであります。
多すぎると根腐れ、少なすぎると立ち枯れ。
当然種類・品種により異なり、ポトス、ドラセナ類、シャムオリズルランは少なめに、クロトン、パキラはやや少なめに、ピレア、オリズルラン、イレシネ、セブリナはやや多目に、テーブルヤシはいい加減に...全体としてカラテア・マコヤナとペペロミア以外は「葉水」はこまめに朝方に欠かさず、全体として室温15度を下回らないように温度管理を徹底。
![ハイドロカルチャー](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/ac5753c9702574db964179e226359c97/1169474642?w=200&h=132)
ハイドロカルチャー
19種類150鉢の一部
2007/01/24 撮影
尤も今のところではドラセナの一種であるパープルコンパクタやオリズルランは摂氏5度程度でも問題なし。
150鉢ほど製作して今のところ失敗事例は6鉢ほど。
コンシンネ・レインボーの水の遣りすぎによる根腐れ2鉢、ポトスの紫外線焼け3鉢(もっとも11月下旬の葉挿しでありますが)、クロトンの枯れ死1鉢(原因不明)...というような次第で結果的に成功率は96%ほど。
しかし、春先に急に元気がなくなる事例もあるはずなので、最終的には85%くらいの越冬成功率を想定しております。
植物にとっては、この時の水遣りの加減が最も難しいのであります。
多すぎると根腐れ、少なすぎると立ち枯れ。
当然種類・品種により異なり、ポトス、ドラセナ類、シャムオリズルランは少なめに、クロトン、パキラはやや少なめに、ピレア、オリズルラン、イレシネ、セブリナはやや多目に、テーブルヤシはいい加減に...全体としてカラテア・マコヤナとペペロミア以外は「葉水」はこまめに朝方に欠かさず、全体として室温15度を下回らないように温度管理を徹底。
ハイドロカルチャー
19種類150鉢の一部
2007/01/24 撮影
尤も今のところではドラセナの一種であるパープルコンパクタやオリズルランは摂氏5度程度でも問題なし。
150鉢ほど製作して今のところ失敗事例は6鉢ほど。
コンシンネ・レインボーの水の遣りすぎによる根腐れ2鉢、ポトスの紫外線焼け3鉢(もっとも11月下旬の葉挿しでありますが)、クロトンの枯れ死1鉢(原因不明)...というような次第で結果的に成功率は96%ほど。
しかし、春先に急に元気がなくなる事例もあるはずなので、最終的には85%くらいの越冬成功率を想定しております。
本日は飯能の「平野砦」を強引に搦手から攻略。
所在地が尾根筋の中腹にあるという程度の極めて曖昧な情報のため、大高山との地形上の関係も気になることから、敢えて正味3時間半(延べ合計4時間40分)をかけて南側の大高山山頂(標高493m、比高差約300m)から北東方向の標高400m前後の尾根筋を目指して不明確な踏跡経由で迂回する作戦を決行。
このため本日の装備は久々の重装備にて。
飲料水2リットル、救急用品一式、非常食料5食分、高カロリーのキャラメル2箱、地形確認のための双眼鏡、岩場突破用ロープ一式、雨露除けシート、地形図2種類、方位磁石2個、懐中電灯、防寒着、藪突破用のゴーグル、荊対策の作業用安全手袋など〆て総重量8kg(笑)
凸りゅうがい山 (飯能市) 午前10時30分~正午まで
途中前回に訪れた判断の難しい「堀切」「竪堀」状地形の所在する「りゅうがい山」に立ち寄り、これでもかとばかりにその都度ASAなどの細かい設定を行いつつデジカメ撮影。
今回は何とかピンボケと露出不足の解消には成功。
然しやはり叢生する樹木と地形上の問題から決定的な構図を得られず仕舞いなのでありました。
三脚も持参したものの、ASAの設定で1/30程度のシャッター速度が得られるので結局は未使用のままにて。
![堀切まがい](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/ac5753c9702574db964179e226359c97/1169897629?w=200&h=132)
これは明確な
堀切まがい
2007/01/27 撮影
この山頂西側の「堀切」「竪堀」などの一連の遺構についての判断は実に難しいところです。
然し、「遺構」らしき地形の存在と
①秩父と飯能市街を結ぶ高麗川沿いの往還を眼下に見下ろせる地理的条件
②尾根続きの麓に近い中腹に所在する「岡部屋敷」との関係
③「りゅうがい山」という地名の存在すること。
などの諸点を総合すると、ある程度「中世城館」との関連を想定することも可能であるように思いたいものなのでありました(苦笑い)
![堀切状地形](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/ac5753c9702574db964179e226359c97/1169897677?w=200&h=132)
堀切状の地形
を南側の竪堀から
2007/01/27 撮影
勿論具体的な時代背景、歴史上の人物とのつながりについては岡部氏などとの関連が憶測されるほかには、伝承も含めて殆んど手がかりがありません。
![南側の竪堀状の地形](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/ac5753c9702574db964179e226359c97/1169897643?w=200&h=132)
南側の竪堀状の地形
2007/01/27 撮影
![堀切状地形](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/ac5753c9702574db964179e226359c97/1169897693?w=200&h=132)
堀切状地形
2007/01/27 撮影
凸平野砦 (飯能市) 正午~午後15時10分まで
肝心の「遺構」は西側で約2,500㎡(東西60m、南北40mほど)、一段下方の北側で約1,200㎡(東西30m、南北40mほど)という上下2か所ほどの平場のみでありました。
人工的に削平されていることは理解できますが、尾根続き部分の「堀切」はほぼ現存していないものと思われ、平場先端部分の「切岸」などもあるようなないような誠に微妙な印象でありました。
![尾根筋西側の平場](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/ac5753c9702574db964179e226359c97/1169897373?w=200&h=132)
尾根筋西側の平場
2007/01/27 撮影
![尾根筋北側の平場](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/ac5753c9702574db964179e226359c97/1169897394?w=200&h=132)
尾根筋北側の平場
2007/01/27 撮影
一方尾根下りの途中にて「りゅうがい山」の南東側からの姿をデジカメに納めることに成功。
また下山ルートの関係で北側の林道から直接登る最短コースも明確になりましたが、結論から申せばわざわざ行くほどのものかと問われると、何とも答えようのない「砦跡」なのでありました。
![りゅうがい山](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/ac5753c9702574db964179e226359c97/1169897329?w=200&h=132)
りゅうがい山
標高354m
2007/01/27 撮影
いずれにせよ林道側から這い上がるルートの方が遥かに分かりやすく安全のようです。
大高山から尾根筋に沿って下山してくるコースは踏跡程度の道があるようなないような悪路にて。
加えて予定通りの地点にて平場を見つけて喜んだ所までは良かったのですが..当然の結果として下山ルートも消失(大汗)
下方の林道までの直線距離が最短で僅か200mであることが頭の中で分かっていても、岩場などが出現しないことを祈りつつ些か焦った心境に陥った次第にて。
地形図と方位磁石を頼りに、所々荊の生えた尾根筋を忠実に辿りつつ無事林道へ到達して何とか生還。
少しくらい道に迷ってもさほど困らない、平地の城館跡が懐かしいのでありました(苦笑)
午前10時30分にスタートし駐車場所の辿り着いたのは午後15時10分。
実態としては、大高山岩尾根難コースハイキングなのでありました。
大高山までのルートは小学生でも歩ける十分に整備されたコース。
然し多少のアップダウンがあるために、実質的な比高差は400m近くとなる計算。
途中大高山へのハイキングルートでは小学生1名を含む合計3組4人のハイカーと遭遇し、恒例の「ちわーす」との挨拶を交わすことに。
大高山の山頂では、食事も摂らずに地形図と方位磁石を見つめてぶつぶつ独り言を言いながら、薄暗い杉木立の斜面に消えていくという怪しい人物に変身(自分のこと)。
明らかにハイキングルートから外れた北側の斜面を下ってゆく五十男の姿は、親子連れのハイカーから見るとさぞかし異様な光景であったかも知れず(汗)
![北側斜面から眺めた大高山](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/ac5753c9702574db964179e226359c97/1169897327?w=200&h=132)
北側斜面から眺めた大高山
標高493m
2007/01/27 撮影
大高山の西側には絶壁の岩場が2ヶ所ほど所在
向かって左側はほぼ垂直に近い20mほどの断崖を形成。
平野砦へ向かう尾根筋でこんな地形に遭遇したらとても突破は不可能にて。
幸い、踏跡の消失、荊などの棘のある植物の出現程度で済みましたが。
![大高山西側の岩場](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/ac5753c9702574db964179e226359c97/1169897330?w=200&h=132)
大高山西側の岩場
2007/01/27 撮影
この付近は大高山の標高500m前後が最高峰あると共に、あくまでも1時間も歩けば人家に辿り着く低山の領域。
このため強いて言えば選択可能なルートであるに過ぎず。
これが標高1千m前後の山岳地域となると、滝や断崖の存在とともに渓谷自体も深く、無謀かつ遭難の危険性も内在することは必定と肝に銘じて居る次第。
所在地が尾根筋の中腹にあるという程度の極めて曖昧な情報のため、大高山との地形上の関係も気になることから、敢えて正味3時間半(延べ合計4時間40分)をかけて南側の大高山山頂(標高493m、比高差約300m)から北東方向の標高400m前後の尾根筋を目指して不明確な踏跡経由で迂回する作戦を決行。
このため本日の装備は久々の重装備にて。
飲料水2リットル、救急用品一式、非常食料5食分、高カロリーのキャラメル2箱、地形確認のための双眼鏡、岩場突破用ロープ一式、雨露除けシート、地形図2種類、方位磁石2個、懐中電灯、防寒着、藪突破用のゴーグル、荊対策の作業用安全手袋など〆て総重量8kg(笑)
凸りゅうがい山 (飯能市) 午前10時30分~正午まで
途中前回に訪れた判断の難しい「堀切」「竪堀」状地形の所在する「りゅうがい山」に立ち寄り、これでもかとばかりにその都度ASAなどの細かい設定を行いつつデジカメ撮影。
今回は何とかピンボケと露出不足の解消には成功。
然しやはり叢生する樹木と地形上の問題から決定的な構図を得られず仕舞いなのでありました。
三脚も持参したものの、ASAの設定で1/30程度のシャッター速度が得られるので結局は未使用のままにて。
これは明確な
堀切まがい
2007/01/27 撮影
この山頂西側の「堀切」「竪堀」などの一連の遺構についての判断は実に難しいところです。
然し、「遺構」らしき地形の存在と
①秩父と飯能市街を結ぶ高麗川沿いの往還を眼下に見下ろせる地理的条件
②尾根続きの麓に近い中腹に所在する「岡部屋敷」との関係
③「りゅうがい山」という地名の存在すること。
などの諸点を総合すると、ある程度「中世城館」との関連を想定することも可能であるように思いたいものなのでありました(苦笑い)
堀切状の地形
を南側の竪堀から
2007/01/27 撮影
勿論具体的な時代背景、歴史上の人物とのつながりについては岡部氏などとの関連が憶測されるほかには、伝承も含めて殆んど手がかりがありません。
南側の竪堀状の地形
2007/01/27 撮影
堀切状地形
2007/01/27 撮影
凸平野砦 (飯能市) 正午~午後15時10分まで
肝心の「遺構」は西側で約2,500㎡(東西60m、南北40mほど)、一段下方の北側で約1,200㎡(東西30m、南北40mほど)という上下2か所ほどの平場のみでありました。
人工的に削平されていることは理解できますが、尾根続き部分の「堀切」はほぼ現存していないものと思われ、平場先端部分の「切岸」などもあるようなないような誠に微妙な印象でありました。
尾根筋西側の平場
2007/01/27 撮影
尾根筋北側の平場
2007/01/27 撮影
一方尾根下りの途中にて「りゅうがい山」の南東側からの姿をデジカメに納めることに成功。
また下山ルートの関係で北側の林道から直接登る最短コースも明確になりましたが、結論から申せばわざわざ行くほどのものかと問われると、何とも答えようのない「砦跡」なのでありました。
りゅうがい山
標高354m
2007/01/27 撮影
いずれにせよ林道側から這い上がるルートの方が遥かに分かりやすく安全のようです。
大高山から尾根筋に沿って下山してくるコースは踏跡程度の道があるようなないような悪路にて。
加えて予定通りの地点にて平場を見つけて喜んだ所までは良かったのですが..当然の結果として下山ルートも消失(大汗)
下方の林道までの直線距離が最短で僅か200mであることが頭の中で分かっていても、岩場などが出現しないことを祈りつつ些か焦った心境に陥った次第にて。
地形図と方位磁石を頼りに、所々荊の生えた尾根筋を忠実に辿りつつ無事林道へ到達して何とか生還。
少しくらい道に迷ってもさほど困らない、平地の城館跡が懐かしいのでありました(苦笑)
午前10時30分にスタートし駐車場所の辿り着いたのは午後15時10分。
実態としては、大高山岩尾根難コースハイキングなのでありました。
大高山までのルートは小学生でも歩ける十分に整備されたコース。
然し多少のアップダウンがあるために、実質的な比高差は400m近くとなる計算。
途中大高山へのハイキングルートでは小学生1名を含む合計3組4人のハイカーと遭遇し、恒例の「ちわーす」との挨拶を交わすことに。
大高山の山頂では、食事も摂らずに地形図と方位磁石を見つめてぶつぶつ独り言を言いながら、薄暗い杉木立の斜面に消えていくという怪しい人物に変身(自分のこと)。
明らかにハイキングルートから外れた北側の斜面を下ってゆく五十男の姿は、親子連れのハイカーから見るとさぞかし異様な光景であったかも知れず(汗)
北側斜面から眺めた大高山
標高493m
2007/01/27 撮影
大高山の西側には絶壁の岩場が2ヶ所ほど所在
向かって左側はほぼ垂直に近い20mほどの断崖を形成。
平野砦へ向かう尾根筋でこんな地形に遭遇したらとても突破は不可能にて。
幸い、踏跡の消失、荊などの棘のある植物の出現程度で済みましたが。
大高山西側の岩場
2007/01/27 撮影
この付近は大高山の標高500m前後が最高峰あると共に、あくまでも1時間も歩けば人家に辿り着く低山の領域。
このため強いて言えば選択可能なルートであるに過ぎず。
これが標高1千m前後の山岳地域となると、滝や断崖の存在とともに渓谷自体も深く、無謀かつ遭難の危険性も内在することは必定と肝に銘じて居る次第。