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先週の反省を生かすべく、この日は午前6時に自宅を出発。
辺り一面真っ暗な高速道路を走行するのに比べれば、白々と夜が明け始め朝日が差し込み始める時間帯。
睡眠時間も十分、いちおう体調管理もまずまずのばずではありますが。
途中で横川PAにて小休止したものの、ほぼ予定通り無事車酔いにも見舞われることなく午前8時頃に佐久PA/ETCに到着。
なお途中妙義山が間近に眺められる辺りから、天気予報通り辺り視界が一面の朝霧に遮られるというような事態ではありましたが、恐らくは日が高くなればある程度は晴れてくるであろうという希望的観測に浸っておりました。
凸平尾富士砦/長野県佐久市
午前8時30分から11時30分
ハイキングコースとはいっても比高差280メートルとそこそこの測ることから、現下における自分の体力が試されるという山城でした。
ハイキングにしては早朝の行動であることから、竜神池から南西の尾根筋を登攀するというルートには人影は皆無。
この時期のクマ出没は決して侮れないものがありますので、最低限の措置としてクマ鈴2個+ラジオにて人の存在と接近をアピール。
その後2人ほどの女性ハイカーに追い抜かれました。
悔しいと感じるよりも、最早そういう年代の高齢者となったことを納得。
主郭部土塁の形跡
林道の建設やハイキングコースの整備などにより、遺構の残存状況は芳しくはありませんが、佐久平を俯瞰し浅間山、八ヶ岳などの山並みを遠望するには絶好のポイントでした。
そういう山城探訪もいいものだなあ、などと思ってみたもののこの程度のハイキングでへたばってしまうという典型的な高齢者世代なのでありました。
その結果は火を見るよりも明らかな重篤な体力欠乏であることを思い知らされました。
浅間山方面の絶景
凸白山砦/長野県佐久市
11時30分から12時45分
平尾富士砦から一度佐久スキーガーデンパラダというスキー場の中に下り、西側のリフトの発着地の背後に見える比高差にして僅か20メートルほどの小山を目指します。
この入口は些か分かりにくいのですが、よく見ると茂った藪の間から東屋風の古い建物が垣間見えます。
そのために設置されたと思われる東屋への階段を登ればそのまま尾根筋へと繋がっています。
以降の様子に関しては下記画像のように少なくとも3か所ほどの明確な堀切遺構のほかに複数の削平地も確認できます。
白山砦の堀切
ただし尾根筋は見通しもなく、仮にクマと遭遇した場合には絶体絶命という状態に陥る可能性も想定されます。
また、平尾城の脇を通る林道へと下る道筋については、この林道の建設に伴い事実上は消失しているため、少なくとも比高差4メートル以上の急崖を垂直下降しなければなりません。
人工的な崖上からより安全なルートで林道へと下山するべく、木の枝などにしがみつけそうなポイントを探すこと約10分ばかり彷徨する羽目に・・・
このように崖線部を歩き回ってみたものの、結局そのように上手くいきそうなポイントを発見するには至らず仕舞いでありました。
こうなると最後の手段を発動。
まず比高差にして約2メートルほどを手前の木の枝にしがみつき、その下に生えている細い木の根元を目指してその木が折れないことを祈りつつ下降。
次にその個所から生えている蔓状の植物の束を頼りにして90キログラム超の全体重を預けて下りるという方法を取りました(苦笑)
そういった事柄を別にすれば、ほぼ無名に近いような城跡ではありますが寧ろ平尾富士砦よりも遺構としての残存状況は良好となっておりました。
尤も帰宅後にじっくりと電子国土の地形図を確認してみたところでは、慎重に藪漕ぎをしつつ東側スキー場側の林道のフェンス辺りを目指せばより安全に下山できる可能性のあるということに気が付きました。
凸平尾城/長野県佐久市
12時50分から13時15分
さて当初の予定時刻よりも約1時間遅れとなった、漸くこの日の本命ともいうべき城跡です。
ひとつ前の白山砦からの下降で気力と体力をほぼ喪失している中で、加えて昨日から違和感を感じていた腰痛が深刻化、これに加え咽頭部の痛み(車のフロントガラスの曇り止めの暖気によるものか)を感じ始めました。
またさらに運の悪いことに「怪しげな物音」(たぶん大型哺乳類)をしきりに耳にするようになりました。
平尾城の堀切
このため大堀切に設置されているトラロープを眺めたところで苦渋の撤退を決意しました。
前の2か所についてはあくまでも平尾城のついでに立ち寄るという意味合いでありましたが、本命を目前にして断念するというのは何ともやりきれないものを感じました。
というような事情なので、今まで以上に今後は可能な限りさらに一層比高差の少ない個所を選んでいくということになるものと思われます。
先週の勢いが残っている内にというような次第で、今回は長野県御代田町(みよた/まち)を訪問。
気力だけを頼りにして、すでに午前3時前には関越道を一路北西に。
と、ここまではまずまずというべき順調な出足のはずが、暫く高速走行している内に少しずつ奇妙な浮遊感と違和感/不安感を感じ始めた。
この現下の状況を記憶をたどりつつ冷静に分析し、少なくとも狭心症などの症状ではなく、やがて「車酔いの症状」であることを確認するに至った。
今までにも自分の運転であるにもかかわらず車酔いしたことはあるものの、とりわけ今回の状態はかなり深刻な状態であることを認識。
このため手あたり次第7か所のPA、SAに立ち寄り小休止。
なおシフトを「D」ではなく「S」に切り替えたほうが、多少は車の乗り心地自体は改善されるように感じた。
このような次第で、結局のところ本来であれば1時間半ほどで到着すべきところを目的地である佐久インターに着いたのは3時間半後という始末に。
思いおこせば2017年晩秋の岩手北部、青森東部の遠征時。
あの折は車酔いではなく、風邪をこじらせた気管支喘息症状のためにSA、PAを各駅停車し、片道8時間を要しヘロヘロ状態で現地到着。
傾眠作用のある風邪薬は服用不可のため、「龍角散」と「龍角散のど飴」で凌ぐという荒業。
3年前となるあの時のような気力・体力は最早望めず。
凸頭槌城(ずづちじょう)/長野県御代田町
午前6時40分から7時40分
現地到着までには時間を要してしまったものの、時刻は未だ午前7時前であったこともあり、地元の大星神社で早朝参拝を行い時間調整。
車は面替(おもがえ)の集落には駐車可能なスペースが見当たらないことから、できるだけご迷惑とならないように集落外れの大星神社前の広場のような個所に駐車させていただきました。
なお歩き回るにつれて次第に車酔いの症状は薄れていきましたが、帰路の問題にどのように対処すべきかを考えながらの訪城となってしまいました。
北側の崖線部分
標高は約800メートルと高い方ですが、舌状台地ともいえそうな南北を谷川に挟まれた地形となっています。
湯川の流れにより分断されているように感じるものの、湯川の源流が隣接の軽井沢町の山岳地帯に所在していることを勘案すれば、広く見れば碓氷峠や浅間山の山麓とも言えなくもない立地であると思われます。
マレットゴルフ場の堀跡
堀幅は8メートルから10メートルほどで、郭内側(画像の右側)の方が浅い状況となっています。
概ね確実な遺構が所在しているのはこの辺りだけのようにも思われ、城跡の一帯はマレットゴルフ場、別荘のような宅地、元々からの宅地、作業小屋などが所在していることもあり、余りジロジロと拝見するのはいかがかと感じる次第なのでありました。
特に北側崖線部に平行する土塁の痕跡については宅地裏手となっていることもあり確認できておりません。
なお城域の一帯がこの地域に散見される別荘地のような景観を醸し出しておりましたが、特に通行自体の制限が為されているようには見受けられない公道ないしはこれに準じた感じの林道が概ね南北方向に通っています。
また林道とはいえ生活道路という印象もありましたので、車での侵入は控えて徒歩で拝見させていただきました。
凸梨沢城館/長野県御代田町
午前8時30分から9時00分
こちらも梨沢の集落外れに所在するかつての地域集会所跡の空き地のようなところに駐車させていただき、こちらを起点させていただき基本的に徒歩で歩き回ることとしました。
境内地を含む集落が城館跡
城址であること示す貴重な標柱ではありますが、郭を隔てている堀跡の名残を示すような地形を除きますと、集落内の宅地化などにより明確な遺構は失われている模様でした。
北側崖線部
湯川沿いの地形に多く散見される急傾斜の断崖地形ですが、その地質と構造のため崩落のリスクもあるようです。
比高差は15メートルほどしかありませんが、ほぼ垂直に近い崖線部の地形は這い上がることさえ不可能です。
沿道花壇のダリア
クサキョウチクトウ
凸向城(むかいじろ)/長野県御代田町
午前9時20分から10時00分
下記画像中央やや左の露岩付近が主郭部分の断崖に相当するものと考えられます。
なお主郭部分を中心として概ね耕作地化されておりますので、あくまでも農道沿いから拝見するのみとなります。
なお、途中の林道は沢筋にかかる橋梁が陥没のため当分の間通行不能となっておりましたが、北側のルートを通行すれば車で行けなくもないように思われました。
とはいえ幅員の狭い農林業のための作業道であることもあり、先ほどの所から徒歩にて赴きました。
西側対岸から
北東角から眺めた主郭と堀跡
この角度から拝見するのが主郭と堀跡の形状と規模が分かりやすく最も城跡らしく見えるように感じます。
なお主郭部については耕作中でもあり、関係者以外の立ち入りを規制すべく木戸が設けられていたことから外側から拝見をさせていただくに止まりました。
凸宮平城(みやだいらじょう)/長野県御代田町
午前10時30分から12時30分
初めに宮平遺跡の標柱や説明版が所在する東側からアプローチいたしました。
しかし害獣除けのフェンス工事により、現在では事実上城跡へと近づくことができないということが分かりました。
事前に反対の西側の方から登ることが可能なことは知ってはおりましたが、可能ならば斜面を登り藪漕ぎをすることは避けたいという年代なので、つい楽をしようと思ったのが判断を誤るという結果につながることとなりました。
なお偶々地元の地主さんの方が農作業中でしたのでご挨拶申し上げましたところ、この近辺でもクマの目撃事例が発生しているという貴重な情報をいただきました。
このためこの時点で恐らくクマが最も出没しそうに思われていた権沢方面へ足を延ばすことはあっさりと断念しました。
何れにしてもこのようにして結果的には時間を浪費すること約30分。
いや、「時間よりも寧ろ体力・気力を浪費」するといった方が正しいのかも知れませんが・・・
ここから徒歩移動で約15分ほどを要して西側の県道156号線方面へと移動。
さてこの西側からのルートについてはある程度は事前に把握してはおりましたが、県道から耕作などのための脇道に入ったとたんにものの見事に転倒する羽目に。
近年は倒れるということは分かってはいても、体幹機能の劣化なのか体のバランスを取り踏みとどまるということが中々難しくなってきたようです。
県道からの比高差は僅かに50メートルほどですが、確実な踏み跡は古い墓石の辺りで途絶えてしまいます。
意を決して灌木の枝やクモの巣を避けながら徐々に斜面を登ってゆくと、やがて堀底道のような地形が現れますので、これに沿って息を切らしながら登れば主郭部へ到達します。
無論予想通りではありましたが、主郭部と推定されている削平地一帯は灌木などの藪となりほぼ見通しは利かないという状況でした。
なお町役場の防災無線による正午の時報を耳にしたのは帰路の藪漕ぎの真っ最中でありましたが、これが夕刻でしたら諸般の事情に鑑み撤退していたのかも知れません。
西側からの遠景
県道156号線の豊昇(ほうしょう)トンネル東側の辺りから撮影しています。
ムラサキツユクサ
堀切と土塁
堀幅は約8メートルほどで、深さは郭内側で最大3メートル、反対側では1メートルから1.5メートルほどをはありそうに感じました。
途中で通過を余儀なくされる郭内の方については、は低木が叢生して半ば藪化しております。所々に先人の皆様方が通行したのではないかと思われる形跡も見受けられますので、どうにか突破することは可能でした。
この藪自体については恐らく初冬の季節となる12月以降でしたら、現状よりも多少は藪が薄くなるのかも知れません。
このほかに「害獣対策のくくり罠」が仕掛けられているとの注意書きも散見されましたので、闇雲に歩き回るのは避けた方がよさそうに思いました。
加えて堀切状となっている堀跡の両端部については、いきなりストンとした急崖に面していることから極めて危険性さえも感じました。
県道脇に落ちていた秋の味覚
県道156号線を梨沢集落まで戻る道のりは上り坂でもあり、比高差は僅かに50メートルほどでしたが息切のため足取りは重たく、途中の新しい交流センターの駐車場まで車を移動しておけば良かったと後から気づいたもののすでに後の祭りでありました。
なおこの折の心拍数は141、血中酸素濃度95%でした。(※自己責任として計測器具常時携行のため)
■広戸神社/長野県御代田町
13時00分から13時20分
先ずは地元の神様に参拝ということで、城跡とは反対方向の広戸神社へ。
北側の社殿裏には屡々神社境内でよく見かける土塁状の地形が存在。
念のため背後の地形を確認してみると畑との境界にやや規模の大きい溝状地形を確認。
一般には水利に関する施設か、土地の境界を示す溝か、耕作地の水捌けのためのものかなどとも考えられますが、念のため記録しておこうと思います。
境内裏手の溝状地形
凸広戸城/長野県御代田町
13時30分から14時00分
下記の崖線部分の画像からはある程度の遺構が残存していることが期待されます。
しかし耕地化や宅地化などの影響もあるのか、残存遺構は限定的で強いて言えば画像の3番目の個所が最も城館跡らしいという印象がありました。
よく画像で見かける崖線
郭というか耕作地
郭と空堀
伝・城主の墓石
あくまでも後世のものとされているように新しさを感じる墓石です。
こちらの城跡でも地主さんと思しき方が、少し離れた地点で農作業の最中でしたのでご挨拶をさせていただきました。
なお駐車については神社近くの広戸地区交流センターに止めさせていただきました。
この日の天気予報ではもう少し日差しのあるべきところ、日差しが出始めたのは午正午近くになってからという具合。
尤もやや薄曇りがちの方が画像撮影にはベターではある場合が多いだが、薮中となると話は変わってくるのである。
遠近両用の眼鏡では元々8時、10時、14時、16時方向が見ずらいという傾向がある。
これに藪の中のようにやや薄暗い状況が加味されると、自分の足元と顔の近く辺りが見えづらくなってくる。
このため滑る、転ぶ、顔に枝が当たるという連続した悲惨な事態に立ち至るのである。
このように今更ながら、年齢的に改めて長躯の遠征が厳しくなっているという事実を痛感した日でもあった。
この後は御代田町の図書館に立ち寄り、あらかじめ目星をつけておいた関係資料などを閲覧/複写する予定であったのたが、午前7時前からの探訪と往路での体調不良などの事情に鑑み明るい内に撤収することとした。
なお自宅への帰着は至って順調であり日没のはるか前の午後4時20分であった。
史進殿のお誘いにより、信州塩尻へ遠征。
午前6時に史進殿とおちあい中央道を一路塩尻へ。
この日の天候は台風14号の間接的な影響により生憎の雨模様。
事前の予報では上手くすれば降られずに済みそうな按配のようにも思われましたが、往路は濃霧を伴う弱い雨が降り続いておりました。
以前に出かけたのは3月なので、約半年ぶりとなる城館探訪です。
凸南熊井城(長野県塩尻市片丘南熊井)
午前9時から9時40分
北熊井城の出城とも云われているのですが詳細は不明。
松林寺東側に接する比高差10メートルほどの丘陵を利用した縄張りです。
残存する遺構の現状から見る限りでは単郭であるようにも見えるのですが、遺構の周辺部については後年の開墾などにより改変されているという可能性も否定できないようにも感じました。
西麓の松林寺側から
東側の堀跡
虎口?と横堀
南と東側の堀跡付近
なおこの時点では雨の方は何とか小康状態を保っておりましたが、次第に小雨模様へと変わってゆく気配を見せておりました。
凸北熊井城(長野県塩尻市片丘北熊井)
午前9時50分から10時20分
城域は東西約400メートル、南北約120メートルと比較的大きく、小笠原氏あるいはその支配に帰属していた有力国衆の拠点であったのかも知れません。
雨の方はといえば無情にも小雨模様から次第に本降りへと転じ始めたために、早々に撤退を余儀なくされることとなりました。
このため自分の場合には些か足元の方の問題もあることから、主に主郭を中心とした部分のみの見学に留まることとなりました。
大手門と推定されている辺り
かくてこの日は2か所のみの訪城となってしまいましたが、折角なのでこの後は塩尻市立図書館、平出博物館へと赴き資料収集。
特に塩尻市立図書館は自治体史を中心とした郷土史関係の資料群が充実していることから、この方面を訪れる際の目的にもなるような気がしました。
因みにこの図書館建設に当たった館長さんは図書館界ではその名を知られた方であるようです。
何れにしても、この方面を訪れる機会があるようならば、必ずや再訪すると心に誓うのでありました。
近年は年々歳を加うるに従い単独での外出機会が激減。
かつての様には体調が優れているという日々などは滅多に無くなっているような有様です。
こうしたことから体力の低下を如実に痛感するという好機会でもあります。
このようにして「今年中にあと少なくとも数日くらい」は出かけておかなくてはと深く心に刻み込むこととなりました。
改めてお誘いいただいた史進殿に深謝いたします。
・頭痛
先月下旬ころから断続的に発生して先週の9月5日頃から屡々耐え難い痛みをと寝なうようになってはきている。⇒ 9月7日市内救急クリニックにてMRI検査を実施し、血管の梗塞、破裂などの所見確認されず。検査後に主に鎮痛のための点滴が処方された。身の点滴により幾分の快癒傾向が確認できたが、担当医師の指摘通り長期間の効果は無いことも判明した。
また。今回の頭痛症状については今までの頭痛には感じられなかった種類ものであり、低気圧の接近などによる「緊張性性」「片頭痛性」のいずれにも該当しない様な感触のものであったように感じられる。
なおこれに伴い長期にわたり慢性化している腰痛も併発してはいるが、頭痛の痛みの強烈さのため相対的な痛みは薄れているように感じる。
※9月8日夕刻から頭痛再発、以前に処方されていたロキソニン、片頭痛薬の何れも効果なく、このためやむを得ず別途処方されていた誘眠剤を服用し就寝した。
・心臓
先月8月23日夕刻頃から胸痛のような症状を伴う未経験の違和感発生。
10年以上ぶりに8月24日市内心臓専門クリニックにて診察。
同日及び翌日に心電図、血圧、心臓負荷、心エコー、血液検査、ホルター等を受診。
結果は新しい血管の梗塞の所見は無く、一時的な狭心症の可能性を示唆。
・視覚の異常
一時的に物が二重に見える
頭痛に対処するための睡眠薬服用に伴う一過性の症状か?(要検討)
・そのほかの自覚症状
・こうしたキーボード打ちこみ作業そのもの自体が明らかに遅く間違えが多くなったように感じる。
と、このように状況なのでメモしておかないと分からなくなるのであります。