本来は中世城館跡めぐりがテーマのはずでありました。もっとも最近は加齢と共に持病が蔓延し本業が停滞傾向に...このためもっぱらドジなHP編集、道端の植物、食べ物、娘が養育を放棄した2匹のネコ(※2019年11月末に天国へ)などの話題に終始しております (2009/05/21 説明文更新)
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武蔵国入東郷の地下人小頭@和平
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昨日とは打って変わったような穏やかな日和。
ハクモクレンは6分咲き、コブシは1分咲き、そしてこのヒメコブシ(シデコブシとも)は2分咲きとまちまち。
開花の時期は早いものの、開花する順番は例年通り。
毎年のことながら、この三本の木に花が咲揃うと春の到来を感じます。

蕾の時には「上品な桃色」で期待が膨らみます。
然し実際に開花してしまうと「乳白色のような薄桃色」に変わってしまうのが特徴。


ヒメコブシ
ヒメコブシ
2007/03/06 撮影


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勤務先のハクモクレンが連日のポカポカ陽気で次第に満開状態に。
コブシ、ヒメコブシも昨日あたりに開花。
本日の強風にもめげず確実な春の訪れを告げておりました。

一方、自宅の金魚の長老が推定15年に及ぶ天寿を全う。
晩年はネコに二度までも咥えられるという悲惨な被害に遭いながらも、新たな水槽を住処として生きながらえること約2ヶ月半。
一昨日までは新参者と元気に泳いでいたのですが..死亡原因はおそらく水質の悪化かと。
水草が腐食したことと合わせて、水槽のろ過装置のメンテナンスを怠ったことが直接の原因の模様。
遅きに失したものの早速ろ過装置を分解清掃。


ハクモクレン
ハクモクレン
2007/03/05 撮影

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2年半ぶりに職場の友人とともに再訪。
当初は「吉野砦」(小川町)の複数の比定地を虱潰しに探索する予定。
然しそれでは藪潜りの連続技となることは必定。
整備が進んでいるとの「杉山城」(嵐山町)を皮切りに、「中城」(小川町)、「八幡台遺跡」(同)、「吉野砦」(同)を予定。

ところが以前と比べて杉山城の遺構状態が余りにも明確に変貌。
このため予想以上に滞在時間が長引き吉野砦は後日に順延することとした次第。
それでもおよその地形配置だけは「鬼うどん」で昼食をしたついでに確認完了。


杉山城 (比企郡嵐山町) 午前9時20分から午後0時30分まで

国の史跡指定申請前祝と同行者の希望を兼ねて正式には2度目の訪城。
尤も前回は2004年の9月15日なので約2年半ぶりかと。


大手口付近
杉山城大手口付近
2007/03/04 撮影


以前との大きな違いは、
①各郭ごとに手作り風の解説板が設置されたので、現在自分がどの個所に居るのが非常に分かりやすくなった。
②季節の違いと合わせて、竹林などの伐採がすすみ城郭としての地形の特徴が手に取るように把握できる。
③以前は東側の郭は雑草のためその地形的な特徴が全く分からず仕舞い。しかし今回は草が蔓延っていないので東郭の地形が明確に確認できた。
④北側の2ヶ所の郭および搦め手方面の見通しが大きく改善された。
など遺構としての保存状態の良さが改めて浮かび上がることに。


「杉山城」の外郭北端部から南郭と屏風折状の空堀
「杉山城」の外郭北端部から
の南郭と屏風折状の空堀



いずれにせよ、まさに「杉山城保存会」「嵐山町教育委員会」の方々の努力の賜物。
通称大手口の備え・仕掛けの固さも実に分かりやすく同行者と共に感動。
余りに嬉しかったので当初の予定をオーバーして3時間近くも滞在し、堀底道や郭配置の複雑な構造を堪能。
発掘調査の結果、戦国時代の初めの一時期しか利用されなかったとの考古学的考察が公表。
しかし遺構の保存状態から想定すると、16世紀末あたりまで松山城の支城として活用されていても良さそうにも思える次第。


南郭と空堀
南郭と空堀
2007/03/04 撮影


さて今後は見通しのよくなった分、郭・土塁の崩落や空堀・堀切の埋没などの対策などの適切な管理が課題となっていくのでありましょう。
なお、帰りがけに「お城ML」のメンバーに遭遇。
また日曜日ということもあり、そのほかの見学者の方もちらほら。
やや汗ばむくらいのポカポカ陽気でしたが、風もなく絶好の訪城日和なのでありました。


「杉山城」東郭
「杉山城」本郭の土塁上
から眺めた「東の郭」

2007/03/04 撮影



中城(比企郡小川町) 午後1時50分から午後3時30分

こちらも2004年9月23日以来の再訪。
日曜日なので迷惑とは思いつつも路上駐車できるような場所もないので、町立図書館に車を止めて東側の民家の間から崖を昇る正規のルートよりアプローチ。


西側土塁
郭内から見た西側土塁
2007/03/04 撮影


改めて堀底から見上げる土塁の高さが最大4m以上を有することを確認し、当地が市街地の中であることを忘れてしまうのであります。
前回はパスした堀底道部分も今回は全て確認。
折から郭内のテニスコートでは軟式テニスの練習中。
やはり相変わらずテニスコートと中世城館遺構は相容れないという印象も。


「中城」
「中城」の西側土塁
2007/03/04 撮影


八幡台遺跡 (比企郡小川町) 午後3時40分から午後4時00分まで

宅地開発に伴う発掘により、幅5メートルほどのL型の空堀跡などの所在が確認され「中城」と遺構と関連があると考えられている地点。
これらの遺構が本来一体のものであるとすれば「中城」の規模は南北方向に200mを超える現在の2倍以上の規模となることが推定されます。
したがって、現在のテニスコートを中心とした遺構は郭群のひとつを構成していたとも考えることができるような。

またさらに憶測を働かせると西側部分も西側約200mの白山神社、あるいは更に200m以上西側の南東側に開いた谷の所在する増尾地区の境辺りまでの丘陵を占有していた可能性もあるやも知れず。


八幡台遺跡
「八幡台遺跡」
2007/03/04 撮影


八幡神社の土塁ほか (比企郡小川町) 午後4時05分から午後4時20分まで

近世の流鏑馬の儀式のための土塁跡で八幡神社の南側の町道沿いに高さ約1.2m、長さ150mにわたって所在しています。
さて、南北を兜川と槻川に挟まれた広大な八幡台の中心部に所在する八幡神社もなにやらいわくありげに。
東西南北共に100mを超える位置する広大な境内で、強いていえば東側の民家の前には長さ15m、高さ0.8mほどの小さな土塁も所在。
歴史の謎に包まれた一帯と形容しても良さそうな佇まいを見せておりました。


「流鏑馬の土塁」
「流鏑馬の土塁」
2007/03/04 撮影


このあと南側の穴八幡古墳に立ち寄り、春霞と夕方の逆光のために霞んで見える腰越城の本郭を眺めて帰還。
同行者共々そう若くはないので些か足に疲労が蓄積。
このためやや重たい足取りでトボトボと町立図書館の駐車場を目指したのでありました。


穴八幡古墳
穴八幡古墳
2007/03/04 撮影
 

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連日の暖かさに誘われて、「雛人形展」の入館者は本日だけでも軽く100名突破。
例年この時期には1桁台の入館者も珍しくはない中で、以前よりも広報宣伝関係に力を入れたとはいえまさに春の椿事の様相かと。

古民家の庭では今月1日の日にハクモクレンが咲き始めて本日現在は一分咲きに。
コブシ、ヒメコブシも最早開花寸前で、明日辺りには完全に開花する可能性も。
何れも記録的な暖冬が原因とはいえ、平年に比べて3週間以上前倒しという驚異的な春の訪れの早さ。
尤もさすがにソメイヨシノは未だ蕾が膨らんできたという気配はありませぬが。


早咲きのハクモクレン
例年より3週間早咲きのハクモクレン
2007/03/03 撮影

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家庭内無線LAN構成、親子電話などの特殊事情を抱えているために諸費用の支出とともに、当方の利用環境を説明するのに思いのほか時間を消費。
工事日程は内定したもののプロバイダ側の機器設定作業の日程調整などにもややこしい事情が発生。
ついでに老朽化したFAX付電話機などの入替えも予定しているので、だんだん頭が混乱してくる始末にて。

そういえば2件分の確定申告もしなくては..
最早並行処理のできない年代に確実に突入していることを改めて痛感。

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