本来は中世城館跡めぐりがテーマのはずでありました。もっとも最近は加齢と共に持病が蔓延し本業が停滞傾向に...このためもっぱらドジなHP編集、道端の植物、食べ物、娘が養育を放棄した2匹のネコ(※2019年11月末に天国へ)などの話題に終始しております (2009/05/21 説明文更新)
カレンダー
05 2025/06 07
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30
最新CM
(07/01)
(11/09)
無題(返信済)
(12/17)
(10/13)
(03/22)
最新記事
(06/14)
最新TB
プロフィール
HN:
武蔵国入東郷の地下人小頭@和平
性別:
男性
職業:
定年を過ぎました~
趣味:
「余り遺構の無い城館跡めぐり」と「ネコいじり」並びに「観葉植物の栽培」など数だけは
バーコード
ブログ内検索
アーカイブ
最古記事
アクセス解析
フリーエリア
[270] [271] [272] [273] [274] [275] [276] [277] [278] [279] [280]
先月の中旬に訪れて以来。
暫し体調を崩していたこともあり城館探訪も3週間ぶりとなったような次第。
行先は前回に引き続き児玉郡美里町。
もちろん遺構などとは縁のなさそうな名も無き平地の城館跡ばかりにて。


広木大仏城(埼玉県美里町 以下同様)10時45分~11時45分

一色氏の時代のものと戦国時代末期のものとがあるとの情報で、大興寺の北側付近の台地を含む一帯が城館跡とされている由。
周辺の地形を確認するため南側の円良田湖方面より接近。
円良田城、猪股城の山城を南に配し、殆んど消滅した印象の白石城も指呼の間。

南北に伸びる細長い台地の先端部分は比高差20mを有する要害を形成。その西側は畑や用水路などが複雑に入り組んでいるため当時の地形を確かめることは難しい状況。
それでも、一目見て地形的に特徴のある台地と用水路に当時の面影が伝わってくるのは気のせいなのでありましょうか。

なお、台地上の民家脇に総延長で40mほどの鍵の手状の溝が所在。
無論遺構というよりもかつての排水路、畦堀のようなものかも知れず。
ただ排水のための溝にしては民家の宅地よりも高い位置に所在すること。
鍵の手状であることなどに些かの違和感が。
また同様に台地上の人工的削平を思わせる平坦地に加えて、切岸状の斜面も所在するなど興味深い城館跡ではあります。
然し何分元々篠竹の藪が密生している個所が多いことと合わせて、この季節では如何ともしがたいのでありました。

トータルな印象としては、あくまでも推定地とはいえ武田・北条の両軍合わせて2千からの兵力による攻防戦が繰り広げられたとは俄かに信じがたい実にのどかな県北の田園風景が広がっておりました。

広木大仏城
広木大仏城
2007/05/14 撮影


御所内館 11時55分~12時40分

中世の城館跡というよりは古代の防人を務めたとされる支配階層の住居跡で、遺構とされる区域は幅1間、深さ数十センチに満たない堀跡に囲まれた微高地を形成(下記の画像の奥の部分が遺構とされています)。
なお当然のことながら、時代が下って戦国期には在地領主階層の居館となっていた可能性もあり、当時の遺構がそのまま存続しているはずも無く。
周囲の草叢の中には小さな水路も所在するのでこの時期には要注意。






新堀屋敷 12時50分~13時00分

八高線と牛舎を経営されていた農家などが所在するのみ。
予めこの場所が城館跡であるという情報が無ければ通り過ぎてしまうような水田の中の平坦地。
圃場整備により往時の地形は消失しているとのこと。
そうしたなか、西寄りの個所に所在する用水路が気になるといえば気になる程度。
また、「美里町史」と「埼玉の中世城館跡」とでは所在地に微妙な相違があり、「美里町史」のほうがやや八高線の南側に比重を置いているのであります。
然し何れにせよ現状の地表上の地形からでは何とも判断のし様がないのでありました。





新倉館 13時20分~13時45分

下記の画像は東側の民家寄りの北東の角から撮影したもので、圃場整備に伴う発掘調査により二重堀の館跡が確認されているとのことであります。
なお、たまたま農作業中の地元の方がおいでになり、十数年前までは明確な堀跡が現存していた旨、およびこの場所が新倉と呼ばれていることなどを確認することができました。
然し現状の地形からは微高地を形成しているという事実と、猪股城方面からお互いに眺望が優れるという以外には得るべきものがありませんでした。

新倉館
新倉館
2007/05/14 撮影


桜沢氏館 13時50分~14時15分

堀跡、土塁跡などの遺構が遺されているかも知れないという僅かばかりの可能性を求めて該当地域を一周半。
確かに東側と北側の水路は堀跡の名残のような印象が濃厚。
小山川の堰堤近くの水路には錦鯉が棲息し一瞥した限りでは趣のある佇まいを見せておりましたが、よく観察するとコンクリートの擁壁に囲まれた水路なのでありました。
また土塁跡については宅地化の進行により判別が難しく、西のはずれに所在する稲荷神社周辺に人工的な盛り土を確認できる程度なのでありました。
なお、城館跡名と同一姓のお宅も周囲に所在している模様でありました。






首筋から背中の痛みだけはある程度薄らいできたものの、左半身を中心とする痺れ感は一進一退の状況。
このような次第で身動きが儘ならなずもたもたとしているうちに、季節はあっという間に初夏へと変貌。既にやや季節はずれの感がなくもない鶯、そして今が盛りの雲雀の囀りがのどかに響き渡る県北の田園風景を舞台に漸く城館めぐりの再開にこぎつけたのでありました。

さて、時刻は未だ午後2時を過ぎたばかりで、無理すればあと数ヶ所の探訪は可能。
然し、呼吸器系統は未だ完全復活には程遠い状況。
ここ数年の間に極度に暑さに弱い体質に変質したため、水分補給に留意しながらの行動。
いずれにせよ先々のことを考慮して潔くこれにて撤収。

拍手[0回]

本来の飼い主である娘が大阪に赴任してから既に1ヵ月半。
必然的に親子である2匹のネコの面倒は当方の担当。
元々食欲は旺盛ではないところに外に出せない事情も発生。
このところあまり元気があるようには見えず。

そんななか、幾つかネコ用のおもちゃを購入。
一番のお気に入りはプラスチックの棒の先に緑色の羽が付いたもの。
目の色を変えるとはこのことでジャンプして飛びつこうと必死に。
そんな次第で1本目は概ね羽が毟り取られたので先日2本目を購入。

尤もこれは母ネコのポミのほうの話。
子どものイチゴのほうはというと、始めは遠くからそっと顔だけ覗かせて様子を窺うのみ。
やっと3日ほど前から恐る恐るそっとネコパンチの仕草を見せるように。
母親よりも2回りほど体が大きく、後ろ足で立ち上がる姿勢がネコとは思えないような背筋の伸び方。

ほかにもエノコログサに似たもの、ネコ用の小さなボール、ネズミに似たおもちゃなどで構ってみたが反応は余り芳しからず。

拍手[0回]

昨日は瞬間最大風速にして15mを超えるような強風。
本日は打って変わって爽やかな微風を伴う五月晴れ。
これでとりあえずは左半身の痺れと首筋から背中にかけての痛みが多少なりとも解消されればもう少しは身動きがとれるかもしれず。

拍手[0回]

体調の是非は別として、昨日・本日と身の回りでトラブルが頻発。
まず昨日は出勤途上、高校生の自転車が僅か5m前をいきなり右折。
当方が幅員5.5mで30キロ制限の道路を追い越しなどをせずに、自転車の走行スピードに合わせて15キロほどで走行していたからよいものの、危うく重大な人身事故となるところ。
左半身の動作が通常よりも鈍くなっていることを自覚し、徹底した安全運転を心がけていたことが幸い。

夕方清掃業者による定期清掃の際に洗面台のパイプを破損。
更にその修理のために訪れた業者の車が仕事先の駐車場のバリーカーに接触。
続いて帰宅途上に国道で人身事故発生ため長蛇の渋滞。

明けて本日の通勤途上、丁字路で停車して信号待ち。
青信号に変わったので左右の安全を確認しつつ徐行前進。
そこへ信号無視のライトバンが1台無理やり突入。
仕方なくこれをやり過ごして再度発進。
今度は高齢者の軽自動車が同じく信号無視で突入。
明らかに進行の変わり目から5秒以上は時間の経過。
信号無視の多い交差点であることは熟知しているからよい様なものの、他の車両であれば間違いなく側面衝突は必至。

体調不良とあわせて、これだけ身の回りに危険が渦巻いていると最早行動の自由が困難となるのかも知れず。

拍手[0回]

現在「①咽頭の炎症+②呼吸障害+③狭心症気味の発作+④右膝の関節障害+⑤背中の痛み+⑥左半身の痺れ+⑦腰痛+⑧全身の倦怠感」などの体調不良要素オンパレードのため当分の間動けそうにありません。

それでも何とか短い距離を歩行する程度ならば移動可能という程度でありますが、現状の心肺機能は自宅の2階への階段の上り下りがやっとという状態を推移。
これで頭痛が加われば体調不良のオールスター揃い踏みに。

そうしたなか、偏頭痛・緊張性頭痛ともに未発症であることがせめてもの幸い。
ここ数年は体調万全であることは皆無。
このため3つ程度の症状ならばどうにかなりそうなのでありますが、これだけ出揃うと起きているのがやっとの状態となってしまったのであります。

拍手[0回]