本来は中世城館跡めぐりがテーマのはずでありました。もっとも最近は加齢と共に持病が蔓延し本業が停滞傾向に...このためもっぱらドジなHP編集、道端の植物、食べ物、娘が養育を放棄した2匹のネコ(※2019年11月末に天国へ)などの話題に終始しております (2009/05/21 説明文更新)
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武蔵国入東郷の地下人小頭@和平
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定年を過ぎました~
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「余り遺構の無い城館跡めぐり」と「ネコいじり」並びに「観葉植物の栽培」など数だけは
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時の移ろいは早いもので、この5月もあと1日のみ。
4月、5月は体調不良が続き、城館探訪に出かけることができたのは僅かに1日ずつという始末。

来月からは暫くはジトジトした梅雨が始まり。
呼吸器系統の不調が発生するのは程度の差こそあれ毎年まさにこの時期。

たしか、昨年の今頃は杖を突いていたような記憶が。
それに引き換え、今年は僅かに「原因不明の貧血(目眩、頭痛、立眩み、動悸、息切れの原因のひとつ)+足首靭帯の痛み+慢性化した両膝の関節痛+回復の見込みの無い左半身の痺れ」程度。
従って、昨年よりは好調を維持しているような(苦笑)
とはいえ、これ以上体調不良の原因を増やさぬよう心がけねば。

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ようやく今月初めての訪城。
先月は貧血騒動、今月は足首のじん帯不調...(苦笑)
元来が出不精の性質なので、一端のんびりすると出かけることが億劫になるらしく。
何のかんのと理由をつけて出かけぬことを正当化していた向きも。

足首の方は昨日平地を歩いて確認した限りでは殆ど問題なく。
立ち上がり動作に注意して、階段や急坂などを避ければ概ね行動可能と想定。
とはいえ念のためにテーピングを施しサポーターを装着。


小林館(群馬県藤岡市)午前11時10分~11時45分

「藤岡市史資料編」では、北側から東側にかけて高さ1mほどの土塁が残存しているとの記述が。
しかし現状はコンクリート製品製造企業の製品置場に変貌。

敢えて面影を辿るとすれば同書でも記されている北側に面した細長い畑。
及び笹川(流路の河川改修)と館の川と呼ばれる神流川に平行する細い水路。
それに氾濫原との地形を分かつ比高差3mほどの崖線というところでありましょうか。
それでも北東側の2本の流路の合流点付近から見渡してみますと、平地とはいえある程度の要害としての要素を帯びていることが感じられるのでありました。
 いずれにしましても事前の情報・資料がなければ、中世城館跡とは想像しにくい現状ではありました。

季節柄道路脇の民家の鮮やかな花色を持つ「紫蘭」が目立ち、また比較的珍しい白花の品種のものにも対面。
このようにして冒頭からある程度予想していたこととはいえ、訪城6割、植物4割という配分となってしまったのであります。

小林館北東部付近
小林館北東部付近

矢車菊(青色)
矢車菊(青色


戸塚城(同 上)午後12時20分~12時50分
小林館の北方に所在する微高地で東側は神流川の低地に面し、水田面との小林館同様にその比高差は3mほど。
但し拡幅されたと思われる市道が存在するために以前の地形は不明。
残りの三方が細い農業用水路に囲まれたやや南北方向に細長い形態。
「藤岡市史資料編」などによれば、構造上は内郭を有する二重方形館と考えられそうです。
残念ながら肝心の内郭部分については、最早その所在地を特定する手立てが無さそうな印象も。

 しかし、下戸塚の集落の中心部であることは理解できても、この現状の地形からだけでは直ちに中世城館跡とは想像しにくいものがあります。
現在東側を流れる一部だけ二重の用水路、南側の一部開口式の用水路等に面影を辿る以外にはなさそうでした。
こちらでも「黄花菖蒲」「黄花秋桜」が、まさに花の盛りの時期を向かえておりデジカメは半々の撮影枚数に。


森東城(同 上)午後13時10分~13時40分
当初は外郭と推定されている道路部分を完全に一周しようと心に決めていたものの、このあたりから照りつける日差しの強さが増し次第に気温が上昇。
このため忽ち軟弱モードに切り替り、内郭部分と北東の鬼門に位置する飯玉神社を中心に見学。

 さて、本日の訪城では唯一遺構とご対面できた城館跡。
尤も地元旧家の宅地西側を中心とした土塁・空堀遺構のため勿論道路脇からの見学。
堀幅約3間から3間半、土塁の高さは堀側で約1.5m、延長は約50mで南辺の一部にも明確に残存。
北側にも遺構は続いている様子が見て取れるものの、宅地境界部分であるためはっきりとは分からず。

現状を維持管理されている所有者の方に心より感謝を。内郭の西側周辺では、現在新しい戸建住宅の建設が進行中。
以前にはもう少し歴史を感じるような景観が残されていたようにも思えるのでありました。
ここでも初夏の風に揺れる「矢車菊と三尺バーベナ」に目が行き五分五分の状況。

 

森東城
森東城西側の土塁と堀跡

矢車菊(白)
矢車菊(白)



森城(同 上)午後14時10分~14時40分
城館跡は東西南北それぞれ約200mの規模の正方形。
森東城とは泉通寺と県道を挟んで隣接。
南西には森西城もほぼ隣接。
資料によればかつては南西部に堀跡らしき連続した窪みが所在したとの記述が。

勿論現在ではその形跡は全く確認できず。
県道に架かる歩道橋上から俯瞰してみたものの、南東の部分には広々としたブドウ畑が広がるだけなのでありました。
寧ろ北東にほぼ隣接する形の曹洞宗泉通寺西側の古い墓石の立ち並ぶ土塁状地形(高さ最大2.5m、延長約60mほど)の方が気にかかるのでありました。

曹洞宗泉通寺の土塁状地形
曹洞宗泉通寺の土塁状地形

紫蘭
紫蘭



森西城(同 上)午後14時50分~15時10分
資料によれば、内郭は東側を除いて土塁などが残るとの情報。
西側は民家との境界部分で殆ど確認できず。
南側の西端にも土塁状の高まりを塀越しに拝見できるものの、近年の造園工事との判別がつきにくく。
北側は道も無く防風林の竹に囲まれている状況のため全体状況の確認が難しく。

こちらも、県道沿いのアスファルトの隙間に逞しく自生中の紫、ピンク、白色などの「矢車菊」のバリエーションがとても印象的な城館?探訪なのでありました。

森西城
森西城北東部分

矢車菊(桃色)
矢車菊(桃色)




天候の心配もなく、日没まではまだ2時間前後も余裕が。
しかし、本日はあくまでも足慣らしの予定。
暑さに極端に弱い体質のため、早めに撤収したこともあり心配された足首の痛みは発症せず。
しかし、帰宅してから自宅の階段を下りる時にズキンと脳天に響く激痛が(苦笑)
それでも、デジカメ撮影の際に右足首を深く曲げられるようになってきたので、これも本日の大切な収穫の一つには違いなく。

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雨上がりの昼休みに職場周辺のフィールドワークなどを。
最近は植物関係の実用書に目を通す頻度が多いこともあり、本日撮影した22品目全ての名称について画像整理を含めて何と3時間ほどで判明してしまったのであります。

記憶力が低下の一途を辿る昨今、この歳になっても、多少は進歩することもあることに密かな喜びを感じるのでありました。
ただし名称を特定できたことと記憶したことは別の問題のようで、ブログを作成している間にすでに半分は名称が思い出せず(爆)
早い話がどうやら調べ方のコツを掴んだだけのことらしく。

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ここ数日の間、植物画像などの整理をコツコツと実施中。
名称を調べながら、かつディレクトリ構成自体も大幅に整理。
必然的にバックアップをとりながらの大仕事に。

結果的名称が判明しているにも拘わらず、そのまま放置し未更新のままのものが約150点以上も。
また、名称不詳のものが更に15件ばかり。
最近の24件程度の更新などはまさしく焼け石に水。
当初の予想を遥かに超える点数なのでありました。
然しながら今まで名称不明であったものの中にはこのたび判明したものも幾つか。
記憶力喪失傾向の甚だしい管理人としては少しだけ嬉しく。

このため今月末くらいまでは、悪質な誇大表示の疑いが濃厚な「俄か園芸&フィールドワークサイト」に変身しておりまする。
そろそろ来月辺りからは本業に立ち戻るべく諸々の準備などを....この台詞もいい加減に聞き飽きたような。
ん?、6月といえば、そろそろ「梅雨」の時期。
「梅雨」いえば降りしきる雨もさることながら、どうしても「紫陽花」「立葵」などの季節の植物がいやでも目に入ることに。
やはり本末転倒した訪城の再開となるのかもしれず(苦笑)

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振替休みの本日こそ、足首のリハビリを兼ねて行動せねばと前日から準備を。
しかし、台風の余波のために雨がぱらついたかと思うと薄日が差し込むという不安定な天候。
加えて低気圧の接近により、毎度お馴染みの頭痛も。
これが打ち寄せては返す波の如く断続的に発症するので本当に頭が痛く。
駄洒落を行っている場合ではなく、買置きのバッファリンがこのような時に限って見当たらず...
止む無く偶然ゼブリナの鉢に生育したムラサキカタバミの画像を芸術写真風に撮影していたのでありました。

ムラサキカタバミ
ムラサキカタバミ
(2008/05/19 撮影)



かくて来週こそ必ずや行動すべしと固く心に誓うのでありました...って、ここしばらく毎週同じことを繰り返しているようにも(苦笑)

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