本来は中世城館跡めぐりがテーマのはずでありました。もっとも最近は加齢と共に持病が蔓延し本業が停滞傾向に...このためもっぱらドジなHP編集、道端の植物、食べ物、娘が養育を放棄した2匹のネコ(※2019年11月末に天国へ)などの話題に終始しております (2009/05/21 説明文更新)
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先月23日の市町村合併関係を整理。
久喜市、菖蒲町、栗橋町、鷲宮町が久喜市へ。
加須市、騎西町、北川辺町、大利根町が加須市へ。
このため町の数がが29から23に減少。
40市、23町、1村の計64市町村に。
表記、リンクなどをひととおり訂正したつもり。
あとから菖蒲町の表記を消し忘れた個所もでてきたけれど、面倒なので暫くはそのままに。
また「イメージマップ」の変更方法をすっかり失念。
「マップ画像の右クリック」という基本動作さえも完璧に失念。
記憶力の低下には慣れてきたとはいえ、見事なまでの記憶消失に茫然自失(苦笑)
止むを得ずPING画像ファイルをフォトショップLEで加工したので確実に見栄えが悪化。
物のついでなので、ALTタグにて市町村名の「代替テキスト」を挿入。
と、一応ブログに残しておけば後々の役に立つかも知れず(笑)
久喜市、菖蒲町、栗橋町、鷲宮町が久喜市へ。
加須市、騎西町、北川辺町、大利根町が加須市へ。
このため町の数がが29から23に減少。
40市、23町、1村の計64市町村に。
表記、リンクなどをひととおり訂正したつもり。
あとから菖蒲町の表記を消し忘れた個所もでてきたけれど、面倒なので暫くはそのままに。
また「イメージマップ」の変更方法をすっかり失念。
「マップ画像の右クリック」という基本動作さえも完璧に失念。
記憶力の低下には慣れてきたとはいえ、見事なまでの記憶消失に茫然自失(苦笑)
止むを得ずPING画像ファイルをフォトショップLEで加工したので確実に見栄えが悪化。
物のついでなので、ALTタグにて市町村名の「代替テキスト」を挿入。
と、一応ブログに残しておけば後々の役に立つかも知れず(笑)
五玉算盤等に続いて、8年前に他界した父親の遺品整理。
昭和初期製作のものと推定される軽井沢町の絵葉書19点を寄贈。
亡父を偲びつつ絵葉書の撮影ポイントの幾つかを検証。
服用中の内服薬は低血糖もしくは高血糖にシフトする厄介な副作用付き。
偶には体を動かさないと、刻々と疾患の件数が増加する一方となるような次第。
凸碓井城山(長野県軽井沢町) 午前11時00分から11時20分
車で熊野大権現が所在する旧碓井峠へ。
烽火台とも伝わる信濃と上野の国境。
浅間山を遠望した風景は間違いなくこの個所から撮影したものと推定。
凸小館山砦(長野県軽井沢町) 同上
碓井城山から尾根筋伝いに南下した辺りなのだが、クマとの遭遇も含め歩いて行くだけの元気があるはずもなくちらっと遠望したのみ。
凸中村城(長野県軽井沢町) 11時45分から12時20分
資料によれば万平ホテル南側の丘陵とのこと。
比高差は40mほど。
藪も殆どなく、斜面も比較的緩やか。
この際は心身の鍛練と思いつつ、何も無さそうな丘陵をひとしきり散策。
建物跡とも考えられる大きめの腰郭1か所と烽火穴1か所。
無論、何れも願望に近いものであることには変わりなく。
■追分郷土館(長野県軽井沢町)
約束時間は午後1時。
予定通りに19点の写真絵葉書を寄贈。
その折、偶々一緒に持参した写真の中に6枚ばかりの軽井沢町の別の写真資料を確認。
こちらの方については、画像のデジタル化保存処理後、別途郵送により寄贈することに。
凸龍岡城(長野県佐久市-旧臼田町) 15時10分から17時15分
もうひとつの五稜郭として名高い近世幕末期の陣屋址。
折しもPTAの会合の最中。
会員である保護者の車の出入り口は小口そのもの。
土塁の切れ目から次々と現れる自家用車の光景というのも珍しく。
僅か1mほどの石垣の段差の上がり降りに難渋。
また両足のバランスも自分の意思通りには動作せず。
凸田口城(長野県佐久市-旧臼田町)
大手の桝型探しに時間を取られ、帰宅後に気付いた龍岡城北側の露岩と急斜面が目立つ比高差80m前後の東西方向にのびた山稜。
尤も今の気力体力に照らし、とても這い上がることは叶わない状況でありました。
昭和初期製作のものと推定される軽井沢町の絵葉書19点を寄贈。
亡父を偲びつつ絵葉書の撮影ポイントの幾つかを検証。
服用中の内服薬は低血糖もしくは高血糖にシフトする厄介な副作用付き。
偶には体を動かさないと、刻々と疾患の件数が増加する一方となるような次第。
凸碓井城山(長野県軽井沢町) 午前11時00分から11時20分
車で熊野大権現が所在する旧碓井峠へ。
烽火台とも伝わる信濃と上野の国境。
浅間山を遠望した風景は間違いなくこの個所から撮影したものと推定。
凸小館山砦(長野県軽井沢町) 同上
碓井城山から尾根筋伝いに南下した辺りなのだが、クマとの遭遇も含め歩いて行くだけの元気があるはずもなくちらっと遠望したのみ。
凸中村城(長野県軽井沢町) 11時45分から12時20分
資料によれば万平ホテル南側の丘陵とのこと。
比高差は40mほど。
藪も殆どなく、斜面も比較的緩やか。
この際は心身の鍛練と思いつつ、何も無さそうな丘陵をひとしきり散策。
建物跡とも考えられる大きめの腰郭1か所と烽火穴1か所。
無論、何れも願望に近いものであることには変わりなく。
■追分郷土館(長野県軽井沢町)
約束時間は午後1時。
予定通りに19点の写真絵葉書を寄贈。
その折、偶々一緒に持参した写真の中に6枚ばかりの軽井沢町の別の写真資料を確認。
こちらの方については、画像のデジタル化保存処理後、別途郵送により寄贈することに。
凸龍岡城(長野県佐久市-旧臼田町) 15時10分から17時15分
もうひとつの五稜郭として名高い近世幕末期の陣屋址。
折しもPTAの会合の最中。
会員である保護者の車の出入り口は小口そのもの。
土塁の切れ目から次々と現れる自家用車の光景というのも珍しく。
僅か1mほどの石垣の段差の上がり降りに難渋。
また両足のバランスも自分の意思通りには動作せず。
凸田口城(長野県佐久市-旧臼田町)
大手の桝型探しに時間を取られ、帰宅後に気付いた龍岡城北側の露岩と急斜面が目立つ比高差80m前後の東西方向にのびた山稜。
尤も今の気力体力に照らし、とても這い上がることは叶わない状況でありました。