本来は中世城館跡めぐりがテーマのはずでありました。もっとも最近は加齢と共に持病が蔓延し本業が停滞傾向に...このためもっぱらドジなHP編集、道端の植物、食べ物、娘が養育を放棄した2匹のネコ(※2019年11月末に天国へ)などの話題に終始しております (2009/05/21 説明文更新)
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先週の日曜日に続き、連休の最中に自宅の近所で野草・雑草観察(笑)
寒暖の差が激しい時期に一際目立っていたナズナ、コハコベ、オオイヌノフグリなどの耐寒性のある野草類が次第に衰勢に向かっている様子。
アメリカフウロ
アメリカフウロ

これに対して、庭先のツヅジ類が花をつけ、シラン、アメリカフウロ、タチイヌノフグリ、ノゲシ、トキワハゼ、オニタビラコなどの野草の生育が目立ってきました。
そろそろ春の野草が終わりを迎え、ボチボチ初夏の様相に衣替えし始める季節なのでありましょう。

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長年の四肢の痺れ・疼痛の原因が判明しそうな予感。
レントゲン画像上でも1番、2番頸椎の変形が明瞭。
恐らく来月の半ばのMRI検査で判明するはずかと。
主症状から勘案して、恐らくは「頸椎椎間板ヘルニア」の可能性が最も大きいような印象。

無論、右視床下部の軽度の脳梗塞あるいは疼痛性障害を併発している側面もその発症状態から一概には否定はできないものと思われる。
然しこれで、持病の疾患数が些細なものを含めると、何と軽く20種類を超えることとなってしまったのであります(汗笑)

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本日は約四半世紀にわたり付き合いのあった右耳下の瘤を除去。
俗に言う「粉瘤腫」なので、通常は別段生命には関わるようなものでもないそうな。
とはいえ近年は肥大化の一途を辿り悪性への変異を断つべく、とうとう本日を迎えたのであります(笑)

局部麻酔による電気メスを用いたもので、手術時間は正味にして僅かに25分。
たしか右膝の時が約90分、大腸ポリープ切除時が約30分。
苦痛の度合いでいえば、上行結腸コーナリングという難関のある大腸ポリープ切除に軍配が。
とはいうものの焼肉の匂いとは異なり、皮膚が焦げる臭気は一種独特の異臭そのもので。

摘出した腫瘍のサイズはやや大きめの枝豆ほどくらいの大きさ。
見た目でも、まず悪性化している気配は無し。
ただし予想よりも遥かに根深い状態で埋没していたため、少々手こずっていた模様。

かくして途中から手術領域が拡大されたため、局部麻酔が不十分な個所に電気メスが直撃。
早い話がスタンガンを耳元で発射されているような事態に。
試しに「痛いです」となどと言ってみることに。
すると寧ろ局部麻酔の針の移動の痛みの方がより刺激的であったりしたのでありました(爆)

右耳の感覚は、術後約6時間が経過するも未だ麻酔が残留。
一応の手術名は「皮膚下腫瘍摘出」で、念のため生体検査へ。
明日は傷口消毒と、別途血液検査の結果を確認すべく通院の予定。

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今週は概ね病院通いの予定。
一昨年の医療費の自己負担額が約120万円。
税務署でも呆れていたような。

昨年は入院期間が短かったので、大分減ったがそれでも約30万円。
先日行った確定申告の還付通知が待ち遠しく。

先日から右膝の具合が不調気味なので温湿布のお世話に。
とはいえ少しは体を動かさないと服用中の薬の副作用が。
元々20種ほどの症状に加えて、副作用症状には血糖値の上昇、糖尿病性昏睡、血圧の大幅な変動、高脂血症、黄紋筋融解症、傾眠等々の事例が報告されております。(独立行政法人「医薬品医療機器総合機構」HPより)

そういえばここ数日来、筋肉(特に腹筋の辺り)の痛みも知覚。
これに加えて明らかな血行障害も発症中(苦笑)
この結果、一年半以前のように杖を手放せない状態になっても困るのであります。
ということで気分転換を兼ねて近所を散歩してみました。
本日は温かいので右膝も痛まず。

県道沿いのハナミズキ
県道沿いのハナミズキ

この陽気がしばらく続いていけばよいのですが。
今年は寒暖の差ばかりではなく、日照時間も不足している模様です。
このため道端では早春の野草と初夏の野草が入り乱れておりました。

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引き続き父親の遺品整理。
父親はマメでな整理好きな性格だったせいか、戦前の陸軍時代の写真もある程度は遺されている。
主に習志野騎兵第16連隊関係が20枚ほどと、インドネシア占領後のスマラン州軍政部関係のものが少々。
このうちの前者については、概ね寄贈先が内定。
然るべき所で役立てていただくように算段するのも、残されたものの務めでもあるような。
なお写真のキャプションは戦後の復員後に付加したものと推定。

周知のようにノモンハンでの敗北を契機に騎兵という兵科は廃止され、退役後直ちに現地召集された父親は機械化部隊(軍用トラックに1個分隊程度の歩兵が乗り込み、運転席の屋根に7.7mm機銃を据え付けただけのもの)に編入されたと聞く。
本隊は概ね北支へと向かったが、父親の方は直接戦闘とは無縁のインドネシア人民に対する宣撫工作隊へと転属した。

ん、そういえば大学の卒論のテーマは「旧帝国陸軍の大陸政策」(現代史-軍事史)だったようにも...
幼い時に亡父から戦時中の話を聞かされたことはしはしば。
けれども習志野騎兵連隊当時の事情、あるいは終戦後間もない「スマラン事件」の真相を含め、その生き証人であった父親から正確な聞き取り調査を行おうと考えたことは一度もなく。

習志野騎兵第16連隊の軍事訓練風景(昭和15年頃か)
習志野騎兵第16連隊の軍事訓練風景
(昭和15年頃か)

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