本来は中世城館跡めぐりがテーマのはずでありました。もっとも最近は加齢と共に持病が蔓延し本業が停滞傾向に...このためもっぱらドジなHP編集、道端の植物、食べ物、娘が養育を放棄した2匹のネコ(※2019年11月末に天国へ)などの話題に終始しております (2009/05/21 説明文更新)
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先日以来著名な「雑兵物語」を読書中。
蔵書しているのは「岩波文庫版」と「パロル社刊の現代語訳」の2冊。
ここをひとつま正面から岩波文庫版からと思い読み始めたものの、序文の原文が書かれたのが昭和18年のため、いきなり登場する漢文の字句に翻弄。
大意はどうにか理解できるものの細かい表現は皆目闇の中。
加えて余りの文字の小ささに焦点が合わず、忽ち挫折してあっさりと現代語訳へと転向。
それでも少し無理をして岩波文庫版と逐次照合しながらの読書。
それゆえに進捗状況は極めて芳しからず。
以下は、現在までに気になった個所の覚書。
・鉄砲の射撃について交替で行う旨の記述があるが、戦国時代と近世初期の銃器としての相違は。
・少数の乗馬による側面攻撃の記述もあるが、例外的なものなのか。
・足軽以下の軽輩と士分との身分の格差に関する表現について、文中に多用され過ぎているという傾向が見られる。
・野戦の手順として鉄砲の撃合い⇒弓による射合い⇒長柄鑓による衝突⇒持鑓による乱戦というひとつのパターンがある。
蔵書しているのは「岩波文庫版」と「パロル社刊の現代語訳」の2冊。
ここをひとつま正面から岩波文庫版からと思い読み始めたものの、序文の原文が書かれたのが昭和18年のため、いきなり登場する漢文の字句に翻弄。
大意はどうにか理解できるものの細かい表現は皆目闇の中。
加えて余りの文字の小ささに焦点が合わず、忽ち挫折してあっさりと現代語訳へと転向。
それでも少し無理をして岩波文庫版と逐次照合しながらの読書。
それゆえに進捗状況は極めて芳しからず。
以下は、現在までに気になった個所の覚書。
・鉄砲の射撃について交替で行う旨の記述があるが、戦国時代と近世初期の銃器としての相違は。
・少数の乗馬による側面攻撃の記述もあるが、例外的なものなのか。
・足軽以下の軽輩と士分との身分の格差に関する表現について、文中に多用され過ぎているという傾向が見られる。
・野戦の手順として鉄砲の撃合い⇒弓による射合い⇒長柄鑓による衝突⇒持鑓による乱戦というひとつのパターンがある。
一昨日の法事の際に本家の墓所に墓参。
元え、正しくは先祖の確認作業を(汗)
既に過去帳は戦後間もない菩提寺の火災により焼失。
さすれば、唯一の頼りは古い墓石のみ。
現在の墓石は、一見古そうに見えるが大正7年の建立と明記。
その左に側に位置する仏像が彫り込まれた舟形の先祖供養塔には元禄14年の刻印も。
墓所の改修自体は土葬時代より未着手のはず。
河川氾濫にともなう水害などにより墓石の流失が無いとすれば、どうにか18世紀初頭までは遡及可能。
同様の供養塔が他に2基ばかり存在。
しかし経年劣化が激しく、何れも肉眼での判読は不可能。
字名が「××新田」なので、集落の発生はどれほど古くとも17世紀初頭以降のはず。
日枝神社庚申塔には寛文12年(1672)紀年銘。
新田開発に伴う戸数規模から推定するに、恐らくは17世紀中葉頃と推定を。
今度来るときには一眼デジカメを持参し墓碑の解析をしてみることに。
元え、正しくは先祖の確認作業を(汗)
既に過去帳は戦後間もない菩提寺の火災により焼失。
さすれば、唯一の頼りは古い墓石のみ。
現在の墓石は、一見古そうに見えるが大正7年の建立と明記。
その左に側に位置する仏像が彫り込まれた舟形の先祖供養塔には元禄14年の刻印も。
墓所の改修自体は土葬時代より未着手のはず。
河川氾濫にともなう水害などにより墓石の流失が無いとすれば、どうにか18世紀初頭までは遡及可能。
同様の供養塔が他に2基ばかり存在。
しかし経年劣化が激しく、何れも肉眼での判読は不可能。
字名が「××新田」なので、集落の発生はどれほど古くとも17世紀初頭以降のはず。
日枝神社庚申塔には寛文12年(1672)紀年銘。
新田開発に伴う戸数規模から推定するに、恐らくは17世紀中葉頃と推定を。
今度来るときには一眼デジカメを持参し墓碑の解析をしてみることに。