本来は中世城館跡めぐりがテーマのはずでありました。もっとも最近は加齢と共に持病が蔓延し本業が停滞傾向に...このためもっぱらドジなHP編集、道端の植物、食べ物、娘が養育を放棄した2匹のネコ(※2019年11月末に天国へ)などの話題に終始しております (2009/05/21 説明文更新)
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ヨイトマケの歌が「紅白」で初めて歌われるとのこと。
美輪明宏氏のコンサートは、今から10年ほど以前に川口市のリリアホールで拝聴したことがありました。
勿論この歌もフルバージョンで歌われ、涙腺が緩んでしまったことを覚えております。
ヨイトマケといえば、小学校の入学前後に区道の道普請などでよく目にしたことがあります。
当時は現在のようなロードローラーのような建設車両などは普及しておらず、商店街のメーンストリートでさえも砂利道で、雨の降るたびにオート三輪が走行すると道に水たまりができるというのは日常茶飯事でした。
ここで登場するのが、ヨイトマケを活用した道路の凹み補修作業。
たしか失業対策事業という表現のあった時代だったかと記憶しています。
また当時の東京都内のゴミ収集の主力は大八車。
東京都のマークが記された人力の木製運搬車です。
なお家庭用のゴミの保管箱は主に木製で、黒いコールタール仕上げでした。
たまたま自宅の隣にこのゴミ保管箱を製造している小さな工場もありました。
放課後に自宅へと戻ると、茶の間では先年に無くなった母親が、1本に付10銭の手間賃となる造花の内職をしておりました。
標準米の米10キロが600円くらいの時代。
6000本の造花を作成するには、それこそ膨大な日数が...
戦後間もない時期だったことも有り、母子家庭の友人も多く、むろん特別学級もない時代、知的障害の子、学校という集団生活に馴染めない子、必ず忘れ物をする子、九九のできない子、漢字の書けない子、教科書の音読のできない子も少なくなかったような...
大八車が、専用のゴミ収集車に変わり、細い区道がアスファルト舗装され、水洗トイレが普及し、東京タワーが完成し路上での紙芝居が消え、日本経済がものすごい勢いで拡大していく過程を子ども心にも明確に記憶しております。
ヨイトマケの光景は日本経済が右肩上がりとなるための象徴的光景だったのかとも。
やがて月日は流れバブル経済が破綻するとともに日本が超高齢化社会に転じ、今後はその経済規模が確実に縮小していくことは避けることのできない宿命におちいっています。
小生の生まれたのはちょうど20世紀の後半の始まり頃。
結果的には、日本経済の発展とこれに伴う公害問題などの社会的な歪み、そして国家経済の長期低落を目の当たりにする世代となってしまったようです。
増え続ける国家財政の借金、原発をめぐる問題、消費税増税をはじめとする社会的弱者に対する理不尽な処遇、社会保障制度の縮小、極東情勢をめぐる不穏な動向、これに加えて大規模地震災害に対する危惧など、決して明るい展望が開けているというわけではないようです。
それでも、地球には明日が確実に訪れます。
来年がどのような年になるのかは、神のみぞ知るかもしれませんが、現実には我々国民一人一人の行動の積み重ね如何にかかっていることも確かなようです。
とはいえ、己を振り返ってみるに、ここ一年は体調不良から少しも解放されることなく終わろうとしています。
己の無力さを思い知らされたこの一年でしたが、年末に当たり世界の平和と世界の人々の幸せを祈念して、2012年のブログを終えようと思います。
この1年間どうもありがとうございました。
みなさん、どうかよいお年をお迎えください。
美輪明宏氏のコンサートは、今から10年ほど以前に川口市のリリアホールで拝聴したことがありました。
勿論この歌もフルバージョンで歌われ、涙腺が緩んでしまったことを覚えております。
ヨイトマケといえば、小学校の入学前後に区道の道普請などでよく目にしたことがあります。
当時は現在のようなロードローラーのような建設車両などは普及しておらず、商店街のメーンストリートでさえも砂利道で、雨の降るたびにオート三輪が走行すると道に水たまりができるというのは日常茶飯事でした。
ここで登場するのが、ヨイトマケを活用した道路の凹み補修作業。
たしか失業対策事業という表現のあった時代だったかと記憶しています。
また当時の東京都内のゴミ収集の主力は大八車。
東京都のマークが記された人力の木製運搬車です。
なお家庭用のゴミの保管箱は主に木製で、黒いコールタール仕上げでした。
たまたま自宅の隣にこのゴミ保管箱を製造している小さな工場もありました。
放課後に自宅へと戻ると、茶の間では先年に無くなった母親が、1本に付10銭の手間賃となる造花の内職をしておりました。
標準米の米10キロが600円くらいの時代。
6000本の造花を作成するには、それこそ膨大な日数が...
戦後間もない時期だったことも有り、母子家庭の友人も多く、むろん特別学級もない時代、知的障害の子、学校という集団生活に馴染めない子、必ず忘れ物をする子、九九のできない子、漢字の書けない子、教科書の音読のできない子も少なくなかったような...
大八車が、専用のゴミ収集車に変わり、細い区道がアスファルト舗装され、水洗トイレが普及し、東京タワーが完成し路上での紙芝居が消え、日本経済がものすごい勢いで拡大していく過程を子ども心にも明確に記憶しております。
ヨイトマケの光景は日本経済が右肩上がりとなるための象徴的光景だったのかとも。
やがて月日は流れバブル経済が破綻するとともに日本が超高齢化社会に転じ、今後はその経済規模が確実に縮小していくことは避けることのできない宿命におちいっています。
小生の生まれたのはちょうど20世紀の後半の始まり頃。
結果的には、日本経済の発展とこれに伴う公害問題などの社会的な歪み、そして国家経済の長期低落を目の当たりにする世代となってしまったようです。
増え続ける国家財政の借金、原発をめぐる問題、消費税増税をはじめとする社会的弱者に対する理不尽な処遇、社会保障制度の縮小、極東情勢をめぐる不穏な動向、これに加えて大規模地震災害に対する危惧など、決して明るい展望が開けているというわけではないようです。
それでも、地球には明日が確実に訪れます。
来年がどのような年になるのかは、神のみぞ知るかもしれませんが、現実には我々国民一人一人の行動の積み重ね如何にかかっていることも確かなようです。
とはいえ、己を振り返ってみるに、ここ一年は体調不良から少しも解放されることなく終わろうとしています。
己の無力さを思い知らされたこの一年でしたが、年末に当たり世界の平和と世界の人々の幸せを祈念して、2012年のブログを終えようと思います。
この1年間どうもありがとうございました。
みなさん、どうかよいお年をお迎えください。
今年も残すところあと20日ほどになりました。
この時期になると、心なしか著名人の訃報に接することがしばしば。
先月の森光子さん。
そして今月は中村勘三郎さん。
たぶんもう10年ほど前になりますが、「浅草慕情」「夫婦善哉」を観劇したことも。
いずれも藤山直美との共演で、未だ勘九郎の時代。
尤も一番記憶に残っているのは、テレビでの「のりたま」のCM。
「のりーたま、さっさかさっさかかけよう、のりーたま、さっさかさっさかたべよう」のCMソングだったかと。
あの小さな男の子が、後に歌舞伎をベースとした演劇の世界でこれほどまでに成功するとは。
またこれほど早く逝去されるとは。
そして今度は小沢昭一さん。
「小沢昭一的こころ」が放送開始されたのは、ちょうど小生が就職した年の1973年。
舞台でその芸を拝見したのは、一人芝居の「唐来参和」(いささか漢字表記に自信がなく...)のみでしたが。
閑話休題
このところ右足踵の骨棘(こっきょく)の症状が思わしくなく、日々アキレス腱が綱渡りしております。
これに右膝の関節痛、右手親指の関節炎、左の腰痛等々も発症中。
したがって日常の階段の昇降、起ち上がり動作にも支障が。
このため隣家からの引っ越し作業も、一日あたりで小さな段ボールひとつ程度。
そうこうしているうちに、急速に気温が低下し車(軽の標準サイズのノーマルタイヤ)での行動にも制約が。
という次第で、当分は動けそうにもありません(泣)
この時期になると、心なしか著名人の訃報に接することがしばしば。
先月の森光子さん。
そして今月は中村勘三郎さん。
たぶんもう10年ほど前になりますが、「浅草慕情」「夫婦善哉」を観劇したことも。
いずれも藤山直美との共演で、未だ勘九郎の時代。
尤も一番記憶に残っているのは、テレビでの「のりたま」のCM。
「のりーたま、さっさかさっさかかけよう、のりーたま、さっさかさっさかたべよう」のCMソングだったかと。
あの小さな男の子が、後に歌舞伎をベースとした演劇の世界でこれほどまでに成功するとは。
またこれほど早く逝去されるとは。
そして今度は小沢昭一さん。
「小沢昭一的こころ」が放送開始されたのは、ちょうど小生が就職した年の1973年。
舞台でその芸を拝見したのは、一人芝居の「唐来参和」(いささか漢字表記に自信がなく...)のみでしたが。
閑話休題
このところ右足踵の骨棘(こっきょく)の症状が思わしくなく、日々アキレス腱が綱渡りしております。
これに右膝の関節痛、右手親指の関節炎、左の腰痛等々も発症中。
したがって日常の階段の昇降、起ち上がり動作にも支障が。
このため隣家からの引っ越し作業も、一日あたりで小さな段ボールひとつ程度。
そうこうしているうちに、急速に気温が低下し車(軽の標準サイズのノーマルタイヤ)での行動にも制約が。
という次第で、当分は動けそうにもありません(泣)
