3月下旬は福島県白河方面遠征。
5月上旬は群馬県ミニオフ参加。
9月中旬は山梨県ミニオフ参加。
11月には茨城県結城市へ。
ご同道いただいた皆様には、こころより感謝申しあげます。
かくてこの12月には3年ぶりとなる京都市内彷徨を敢行。
今年訪れた城館数は50個所弱くらいになりました。
そのなかで事実上の単独行は京都の一度のみ。
目眩に見舞われた2012年に比べれば探訪の頻度はいくぶん回復傾向に。
懸案だった新幹線乗車もなんとか可能になりました。
体力の衰えを切実に感じる昨今、来年はできるかぎり遠出をしてみようと思います。
出不精を克服して目標出陣回数は10日以上を目指します。
みなさま よいお年をお迎えくださいませ。
京都滞在3日目は前日の予報以上の快晴となった。
いささか北風が強かったものの最高の空模様に。
昨日は雨に煙っていた京都タワーもこのとおり。
しかし皮肉にも本日は午後3時の新幹線で帰らねばならないのでありました。
また家内と行動を共にする関係上から次の様な行程となった。
●大丸京都店にて「相棒展」(笑)
あくまでも時間調整のため。
■京都国立博物館
今年の9月に新館の平成知新館が開館したばかりなので3階から順に1階までくまなく国宝、重要文化財等の所蔵品を見学し、併設されているレストランにて昼食。
下記画像は明治28年建築の重要文化財指定となっている旧館。
とはいえ、そもそもこの地は秀吉ゆかりの旧方広寺の寺域でもあり、当時の石垣や著名な鐘楼も残存している。
この画像は平成知新館前に復元された往時の石塁跡のラインとのこと。
こちらは残存している方広寺の西側石塁の画像。
こちらは博物館北隣に所在している豊国神社の国宝に指定されている唐門で、伏見城より移築されたされたものと伝わるという。
こちらはかの有名な方広寺の鐘楼と釣鐘。
今回収集した城郭関係資料はあくまでも京都市内が中心となった。
とはいえ、寺構えをふくめて300個所近い城館資料を確保することとなった。
また少なくとも京都市内の公共的な交通事情もある程度理解することができた。
動ける年月も考慮に入れ、この際は春先の桜の季節前に再訪すべく探訪計画を練ってみようとも考えたのであった。
空模様は予報通りの雨に。
昼頃からは北風も強まるらしい。
昨日発症した両足踵の痛みは変わらず。
中敷きクッションを使用したもののその効果は不明に。
そういえば2011年4月に訪れた際にも同様の痛みが発生したことを思い出した。
どういうわけか文章の長さが階段状になっている...
それはともかく、ホテルの部屋で資料整理を行いつつ雨対応の行程に変更。
本来は二条城、聚楽第跡、御土居跡を軸に歩き回る予定のところ、この足の具合と天候を考慮。
凸塩小路若山城(午前10時31分)
京都駅に接した北東部の一帯とされているが当然地表状の遺構はない。
東を高倉通、西を烏丸通に挟まれた旧高瀬川が大きく湾曲した西岸部の平地に位置する。
基本となる城郭関係資料としては「京都市内およびその近辺の中世城郭」「京都府中世城館跡調査報告書第三冊」がある。
凸九条河原城(午前10時50分から11時10分)
河原町通と九条通が交差する北東角に位置している。
東側に流れる高瀬川は水堀だったのかも知れない。
北側には南岩本公園がある西側に幾分傾斜がかかった平地であった。
基本となる城郭関係資料としては「京都市内およびその近辺の中世城郭」と「京都府中世城館跡調査報告書第三冊」がある。
凸浄興寺城(午前11時30分から11時40分)
九条烏丸交差点の北西角に位置し、1983年と1984年に行われた烏丸通の発掘調査により南北方向の堀跡が確認されている。
中心部には現在も真言宗浄興寺が所在し中世寺院城郭化の一例と考えられている。
凸東寺(12時00分から12時15分)
浄興寺城から西へ1キロメートルほど行ったところに所在する世界遺産京王護国寺で九条通に面した南辺には現在でも水堀が残されている。
この頃から雨が激しさを増し傘を差していても 濡れてしまうような状態になってきた。
北門や宝蔵周辺の画像が欲しかったが、体が濡れるに従い確実に気力が消失してきた。
■羅城門跡(12時18分から12時20分)
当時の朱雀大路と九条大路が交差した南端部に建立されたと推定されている。
関連資料は「東寺・西寺・羅城門」(2013年5月25日 第245回京都市資料館文化講座)などがある。
矢取地蔵が安置された御堂の北隣の小公園内に標柱が所在する。
凸今村城(13時28分から13時40分)
鴨川を渡る九条跨線橋では北風が強まり雨は横降りとなった。
鴨川東岸の河岸段丘に所在し、北側と南側に明かな比高差が認められる。
基本となる城郭関係資料としては「京都市内およびその近辺の中世城郭」と「京都府中世城館跡調査報告書第三冊」がある。
このような行程をみると、城跡めぐりでもなく名所旧跡めぐりでもなく、たぶんまともな行き先は東寺くらいなのかとも思う。
降りしきる雨の中を安物のビニール傘をさし、観光ガイドではなく県別マップル右手に持ちながら足を引きずり歩き回る怪しげな初老の男となっていた。
今村城のあとは徒歩にて数カ所ばかり立ち寄りつつ東大路を北上する予定。
しかし雨風ともに強いことに加え、前日の湿布薬の効果も無くやはり足が言うことを聞かないというような深刻な事態に陥っていた。
このため東福寺駅からは京阪本線に乗車して三条駅へと移動して府立図書館へと向かうこととした。
下記画像は府立図書館西側を流れる水路。
かくて予定通り府立図書館にて所定の資料調査等を終えた。
ようやく雨は午後3時半過ぎ頃から小降りになったが、この時点で足の健康状態は過去最悪のモードに達していた。
京都駅方面のバス停までのわずか徒歩500メートルは、とうとうビニール傘を杖代わりにして進む羽目になり、とても他所に立ち寄れるというような状態ではなくなっていた。
この時間帯のバスの本数は極めて多く一時間あたり何と8本ほども。
おそらくバス自体に乗車したのは四半世紀ぶりなのかとも思う。
車内は折から修学旅行の高校生も乗車し満員状態。
いつも通り席に座るつもりは無かったが、手荷物が迷惑なのでたまたま空いた目の前の席に座ることに。
ふと車内を見回すと周囲には自分よりも年長者が居なかったのでそのまま京都駅まで座り続けた。
本日の歩行距離は約15キロメートルで、もはやこれが限界であった。
たぶん山城方面のほうが、息は切れるかも知れないが足の痛みは少ないようにも感じる。
大阪に住んでいる長女と京都駅の駅ビルで遅めの昼食。
宿泊する駅前の法華会館に立ち寄り、可能な限り手荷物を少なくして小休止後堀川通を徒歩にて北上。
あいにくと明日は雨、明後日は強風と降雪との天気予報のため、まともに探訪できそうなのは本日一日のみという誠に切羽詰まった事態であったことは否めなかった。
■西本願寺唐門ほか(16時57分から16時09分)
はやくも夕闇に包まれつつある堀川通を左折して国宝の唐門、飛雲閣、築地塀などを先を急ぎつつ道すがらにて見学。
■龍谷大学大宮学舎(16時10分から16時12分)
西本願寺境内南側に位置する重要文化財指定されている明治期近代建築物の学舎などを見学し、大宮通を北上。
凸中堂寺城(16時25分から16時33分)
南側の道が幾分曲折している状況を除けば地表上に確認できる遺構は一切ない。
あてにした資料は「京都市内およびその近辺の中世城郭」(山下正男著/1986/京都大学人文科学研究所)などと誠に心細い限り。
東側の大宮通沿いに「中堂寺前町」の町名が残されている。
城跡推定地の北東に所在する住吉神社の境内ほかを撮影して更に北上。
時刻はこの時点で日没をむかえ、不審者の疑惑を避けるべく近くの「だいうすの城」と「龍臥城」はパスすることとなった。
このあとは五条通を左折。
次に壬生通を北上し嵐山電鉄(地元の方では「らんでん」という略称があるらしい)の踏切を渡ったところで何気なく線路を撮影してみた。
そのあとで図書館で閲覧した「京都府中世城館調査報告書」によれば2個所の中世寺院の寺構え跡ということが判明した。
京都周辺では、そもそも寺院と城館の判別が難しくなっているというか、元来区別すること自体が歴史的に不自然なのかも知れない。
■立本寺構え(16時56分)
■本隆寺構え(16時56分)
■大内裏朱雀門跡(17時22分)石柱と解説板を撮影
■平安宮朝堂院跡(17時34分)解説板を撮影
このあとは丸太通を左折して京都市立中央図書館へ向かい資料調査を行い、19時50分に退館し堀川通を南下帰路についた。
途中たまたま京都国際ホテル前の沿道で見かけた「福井藩邸跡の石柱と解説板」(20時20分頃到着)に遭遇して、お決まりの記念撮影を。
先月の11月に茨城県の結城城を訪れていることから、正しく結城秀康さんつながりという結果に落ち着いたのも何かのご縁なのかとも。
なおこの日は約19キロメートルを歩行した。
市バスに乗車するという選択肢も考えてはいたが、3年前と同様にこうした石柱のみの文化財探訪も想定していたことから敢えて徒歩によった。
結果は加齢と日頃の鍛錬不足の影響で両足踵の痛みに加えて、左右の小指に水疱が1個所ずつ発生。
分速80メートルを大きく下回ることとなり、とりわけ二条城を過ぎてから四条にたどり着くまでがやけに長く感じられたのであった。
いずれにしても明日の悪天候に加えて足回りの不調が懸念される状態となってしまった。
突然ですが諸事情があって、来週の初め頃に京都方面へ出かけることとなりました。
せっかく行くのでこの際は京都の城館探訪第2弾を計画することに。
第2弾といっても、訪れたのは2011年4月なので3年半以上も以前のことであります。
「京都市内の山城作戦」は城館間の移動時間ならびに比高差に問題が・・・
「御土居と聚楽第跡」を中心とした京都市内平地作戦は、自分の年齢に相応しいものの余りに名所めぐりのようでモチベーションの維持に問題が・・・
「南丹市方面の山城作戦」は山陰本線の本数が少なくその移動時間と資料不足に加えて土地勘に大きな問題が...
わずか正味1日半しかないというのにもかかわらず、探訪予定先の資料だけは既に50個所を超えてしまいました。
今年は降雪が早くまた当日の天候次第という事情もあり、出発の直前まで行先に迷う日々が続いていくものと思われます。