本来は中世城館跡めぐりがテーマのはずでありました。もっとも最近は加齢と共に持病が蔓延し本業が停滞傾向に...このためもっぱらドジなHP編集、道端の植物、食べ物、娘が養育を放棄した2匹のネコ(※2019年11月末に天国へ)などの話題に終始しております (2009/05/21 説明文更新)
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踵の痛みを感じたのは何時のことだったろうか明確な記憶が無い。
記憶を辿ると2011年4月の京都市内が思い浮かぶ。
近年では延べ10キロメートルのようにある程度長い距離を歩いたりした場合やコンクリートの床をスリッパなどで歩いた場合に発症していたことは記憶している。
それも今までは多くの場合一過性のものであったことだけは確実である。

しかし今回は様子が異なり痛みが一週間以上残るという始末の悪さとなっている。
昨年12月に京都市内を散策したときには中敷きクッションを使用していたにも拘わらず2週間ほど強烈な痛みが継続していた。
元々右足の方は踵後ろに骨棘がありそれ自体が痛みの原因となっていることも重なっている。
これはアキレス腱や足首自体の痛みにもつながっている。
踵の痛みは両足に発生し、無意識のうちに歩行姿勢が歪む。
そうしたことから膝や腰の痛みにも影響しているものと考えられる。

そんな次第で現在踵用サポーターを取り寄せて色々と試している最中である。
踵の痛みのは幾つかの原因が指摘されているが、大きくは「疲労骨折」「足底腱膜炎症」「踵周辺部の嚢胞の炎症」に分けられる。
以前から骨棘対策としてサポーターは所持しているが、これを装着した場合には運動の自由が大きく制限されるとともにその厚みのために靴を履くことが叶わないという問題があった。

現在手元にあるのものは「足底腱膜炎」対応をふくむスポーツならびに日常生活を想定した以下の4種類である。
踵部分のみを保護するウレタン製の「衝撃吸収かかとサポーター」は、踵の痛みを軽減しないという点において最も役に立たないとともにウレタン独特の臭気が気になり、通気性やその耐久性にも懸念を感じせいぜいフローリング床などての自宅室内用というところなのかも知れない。

次に人工筋肉を利用した「ソルボかかとくんヒールロック」は踵の痛み軽減も不十分に思われると同時に甲と足首の締め付け感が強く自分の足のサイズに合致していないという印象が強い。
一方、これと同じ製造元である「ソルボ アーチウェッジヒールサポーター」は土踏まずのアーチ部分もサポートする優れものであり、1万歩くらいまでであれば踵の痛みに有効であることが分かった。惜しむらくは耐久性に難を感じる点であろうか。
残りのひとつも同じ製造元で「ソルボかかとくんスパイラルウェッジ」であるが、これは今のところまだ試用していない。

これ以外のものとなると「剣道用踵サポーター」があるが、元々素足に装着し靴との組合せを想定して製造されていないことから、あくまでも重篤時の室内用ということになると考えられるのではなかろうか。

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ムギナデシコは少し頭でっかちです。
だからムギナデシコは風が吹くと目を回します。

ムギナデシコはとても思慮深いのです。
だって点々模様に実線模様もあるのですから。

ムギナデシコはお洒落です。
ドレスはグラデュエーションなのですから。

ムギナデシコは健気です。
一年草だけど翌年も芽を出すのですから。

 


 

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公道向かいの3階建ての独身寮(築30年の長期賃貸)の解体工事が始まっている。
先日あたりからは予想通りの騒音と振動が発生中。
コンクリート削岩機が発する騒音は、家内との会話が聞こえない程度ではあるが断続的。
一方、振動の方はだいたい震度1から2程度の揺れで、重機作業とその移動に伴うもの。
この状態はどんなに短くとも梅雨入りころ前まで続く予定。
自分はともかくとして、夜勤明けの長男が気の毒。

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本日はししん殿のご案内で神奈川県愛川町方面へ遠征しました。
たぶん2011年の春先以来なのかと記憶しております。


井上外記の陣屋(愛川町)午前8時30分から9時30分
六ツ倉地区にある久昌寺の境内付近が北条氏被官の井上氏の館跡といわれているようです。
しかし崖線に刻まれた古道を除いて明確な居館遺構は確認できません。
寺院境内は中津川西岸の河岸段丘中腹に所在していますので、近くに複数の渡し場跡が所在することから河川通行監視の役割も担ったのでしょうか。
麓からは比高20メートル程の台地ですが、崖線は現在でも湧水が豊富なので居館の条件としては条件が整っていたことが窺われます。
古い五輪塔などの所在を探して歩いてみましたが、諏訪神社境内の残欠以外には見当たりませんでした。
ここでは児童館近くの道端で貫禄のある地域ネコさんとご対面。
なお台地上部には北西から南東にかけて広大な平地が広がり、かつては「日本陸軍中津飛行場」が所在していました。



小沢古城 午前9時30分過ぎ頃
この場所は六ツ倉地区の台地からのあくまでも遠望のみの撮影で終了をいたしました。



 
 
小沢城 午前9時45分から10時15分 
 
東側2段の腰郭状の地形、麓の謎めいた地形および主郭土塁の一部と堀切跡などが確認できました。
ここも比高差は約20メートルほどですが、南側の台地続きの部分を除いて接近が困難な崖線を形成する要害地形となっています。
なお主郭内は私有地の耕作地となっていることから、関係者の方がおいでの場合には必ずご挨拶を。




■三増古戦場 午前10時30分から10時35分
この場所は2度目ですが、本日は快晴で史跡めぐりにはまことに絶好の天候でした。



 
田代城 午前11時00分から11時30分
かつては中学校西側の山林に石積みの遺構が確認されいたとされていますが、現在では目にすることが叶いませんでした。
中学校校舎の北側には八幡社の祠が祀られ腰郭状の地形が確認されるが、城跡との関連は明確では無いようです。
この田代城からも「館山」方面の眺望が良好です。



 
細野城 午前11時35分から12時30分
桟敷戸と呼ばれる北側の尾根筋に整備された細い舗装道路側から登りはじめ、途中で日本城郭大系に記載されている北東側の堀切遺構を確認。
いくぶん樹木に覆われてはいますが、延長20メートルほどの堀切状地形を確認できましたが写真撮影には不向きな現状となっていました。
そのあとは主郭南西部の土塁残欠遺構(宅地、墓地の隣接地)を拝見し、土塁の北西部先端には櫓台跡とも推定される場所が残され小祠が祀られています。
主郭南西部分は国道412号線の建設工事により、かつての堀切遺構は道路敷となってほぼ消滅している状況でした。



館山城 12時30分ころ
かつては田代地区の南方に館山という源頼朝の伝承もある烽火台跡とも伝わる丘陵があったのですが、高度成長期に山砂利等の採掘により丘陵ごと消滅したとのことです。
画像は細野城の台地から撮影しました。

 
 
半原馬場 13時から14時50分
馬場地区には五輪塔ほかに三浦一族の岡崎義実の墓と伝わる宝篋印塔があったことなどから何某かの館跡などの存在が窺えそうです。
始めは国道南側の小学校跡?の台地付近を訪れて、ものすごく人なつこい2匹のネコさんと出会いました。
このあとは当初の予定通り、宮ヶ瀬ダムの愛川町資料館へと赴き関係資料の収集調査を実施。
このように五輪塔の捜索には些か時間を要しましたが、国道412号線北側の崖線中腹の御嶽神社と猿田彦大神の間に所在する個人墓地の中に所在していました。
「城芝」や「別当」などの伝承地名も存在しているようですが、現地は町の浄水場や宅地と化しているため、築半世紀ほどの見事な石垣工事以外にはこれといって地表上の痕跡は確認できませんでした。



 
山中城(厚木市) 15時15分から15時35分
山中藩陣屋とも。
水田地帯に張り出した低台地の先端部分を利用した江戸時代中期天明年間に築造されたと推定される近世陣屋跡です。
宅地化や道路建設などにより大きく地形が改変されているようですが、稲荷神社や井戸など往時の面影が残されていました。
台地先端の一部が城址公園として整備され、立派な石碑をはじめとして解説、案内板が設置されておりました。
午後からは北側から流れた雲が次第に大きく西側に広がりはじめ、この時刻には早くも日没を予感させるような天候となりましたので、本日の踏査作業はこれにて打ち止めに。




例によってこれを記述しているのは、実は2日後の19日(月)であります。
わずか2万歩足らずの 行程であるにもかかわらず、当日はそのまま爆睡してしまいました(@@;)
翌日は画像整理だけで作業終了。

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たぶん年末頃から風邪気味だったと思う。
おそらく先週の8日頃から本格的にこじらせたのかも知れない。
特に運転免許証更新の際のエアコン暖房が良くなかったのかも知れない。
正月明けということもあり、すでに午後からの更新受付開始の時点で30分講習の定員が満員になっていた。
このため乾燥した室内に1時間半以上いた計算になるのかと。
そうこうしている内にようやく回復の兆しが見えた本日は誕生日であった。

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