本来は中世城館跡めぐりがテーマのはずでありました。もっとも最近は加齢と共に持病が蔓延し本業が停滞傾向に...このためもっぱらドジなHP編集、道端の植物、食べ物、娘が養育を放棄した2匹のネコ(※2019年11月末に天国へ)などの話題に終始しております (2009/05/21 説明文更新)
カレンダー
10 | 2024/11 | 12 |
S | M | T | W | T | F | S |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | |||||
3 | 4 | 5 | 8 | 9 | ||
10 | 11 | 12 | 13 | 15 | 16 | |
17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 |
24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 |
カテゴリー
最新CM
中城の歴史の引用について(返信済)
(07/01)
おつかれさまでした(返信済)
(11/09)
無題(返信済)
(12/17)
お疲れ様でした(返信済)
(10/13)
お疲れ様でした(返信済)
(03/22)
最新TB
プロフィール
ブログ内検索
アーカイブ
アクセス解析
フリーエリア
中途半端な探訪となっていた邑楽町の城館群を歩いてみました。
集落内という事情もあり、駐車スペースの確保の如何が皆目不明。
このため邑楽町の図書館に駐車して、この際徒歩で回遊することにしました。
尤も自宅を出発したのは、午前9時過ぎという体たらくで、現地に到着した時刻は既に午前11時20分でした。
夏の間は結構早起きをしておりましたが、肝心のこの季節になり寝坊の癖が復活したようです(苦笑)
凸鶉城(群馬県邑楽郡邑楽町、以下同様) 12時20分~12時40分
古城の面影を今に伝える鶉古城とは異なり、遺構は集落内の旧家の宅地境という状況。
加えて屋敷林と藪とが相俟って、堀跡と土塁を覆い隠しておりました。
とはいっても遺構が現存するのは、僅かに宅地の西側側部分のみ。
これとても西側隣地の景観の変容は間近と思われ、もはや時間の問題なのかも知れません。
また、かつての堀跡と推定される外郭部は道路改修などにより、すっかり整地されておりました。
凸千原田塁 13時20分~13時35分
近年の河川改修事業により、遺構はほぼ消滅している模様です。
これといって踏査できそうなところもありません。
強いて挙げれば河川北側の屋敷林内付近なのかとも思われますが、宅地内であることに加えて見通しに難点がありました。
止むを得ず付近の長良神社で参拝の上社殿を撮影。
ついでに、「千原田橋」と刻まれたネームプレートなども撮影して撤退を。
凸藤川館 14時20分~14時25分
今回の回遊した中では、最も遺構の存在が期待された城館でした。
その形状は方形館の北東部を三角形状に切り落としたような恰好。
幅5m弱、深さ1.2mほどの堀跡が明確に残っていますが、ここも屋敷林や周囲の宅地に囲まれています。
そのため西側、南側の状況は何とも分かりかねました。
凸横田屋敷 14時35分~14時40分
かつては堀跡と郭状の地形が確認された模様ですが、現状は宅地開発等で完全に消滅しているようです。
撮影する場所もなく、ここでも近くの四祀開神社で記念撮影。
午後3時前とはいえ大分日が傾き始め、画像の明暗処理が必要となってきました。
凸秋妻屋敷 15時05分~15時25分
手元の資料からは複郭の城館であったことが推定されますが、こちらも集落内の遺構のため宅地化等に伴い残存遺構はごく一部分に限られていました。
明確な遺構は祠が所在する北側に背丈ほどの土塁状の地形を確認できます。
このほかには西側の民家境の幅1.8mほどの宅地の排水機能を兼ねたような堀跡状地形くらいのものでした。
回遊中は、このところの諸事情により一切飲まず食わず仕舞い。
万歩計によれば、歩行距離は約2万9千歩で、およそ20kmほど。
今月初めの寺尾城の比定地めぐりでは、早くも1万3千歩付近で足に疲れが。
今回は2万歩付近でどっと疲労が発生。
何といっても、邑楽町のシンボルタワーまでの道程の遠かったこと...
それでも午後5時前には図書館に到着したので、さっそく予定通りに邑楽町誌などの複写申請を実施。
なお、この方面はざっと3年ぶりのため、国道407号線と県道66号線を通過するルートも忘れがちに(汗)
集落内という事情もあり、駐車スペースの確保の如何が皆目不明。
このため邑楽町の図書館に駐車して、この際徒歩で回遊することにしました。
尤も自宅を出発したのは、午前9時過ぎという体たらくで、現地に到着した時刻は既に午前11時20分でした。
夏の間は結構早起きをしておりましたが、肝心のこの季節になり寝坊の癖が復活したようです(苦笑)
凸鶉城(群馬県邑楽郡邑楽町、以下同様) 12時20分~12時40分
古城の面影を今に伝える鶉古城とは異なり、遺構は集落内の旧家の宅地境という状況。
加えて屋敷林と藪とが相俟って、堀跡と土塁を覆い隠しておりました。
とはいっても遺構が現存するのは、僅かに宅地の西側側部分のみ。
これとても西側隣地の景観の変容は間近と思われ、もはや時間の問題なのかも知れません。
また、かつての堀跡と推定される外郭部は道路改修などにより、すっかり整地されておりました。
凸千原田塁 13時20分~13時35分
近年の河川改修事業により、遺構はほぼ消滅している模様です。
これといって踏査できそうなところもありません。
強いて挙げれば河川北側の屋敷林内付近なのかとも思われますが、宅地内であることに加えて見通しに難点がありました。
止むを得ず付近の長良神社で参拝の上社殿を撮影。
ついでに、「千原田橋」と刻まれたネームプレートなども撮影して撤退を。
凸藤川館 14時20分~14時25分
今回の回遊した中では、最も遺構の存在が期待された城館でした。
その形状は方形館の北東部を三角形状に切り落としたような恰好。
幅5m弱、深さ1.2mほどの堀跡が明確に残っていますが、ここも屋敷林や周囲の宅地に囲まれています。
そのため西側、南側の状況は何とも分かりかねました。
凸横田屋敷 14時35分~14時40分
かつては堀跡と郭状の地形が確認された模様ですが、現状は宅地開発等で完全に消滅しているようです。
撮影する場所もなく、ここでも近くの四祀開神社で記念撮影。
午後3時前とはいえ大分日が傾き始め、画像の明暗処理が必要となってきました。
凸秋妻屋敷 15時05分~15時25分
手元の資料からは複郭の城館であったことが推定されますが、こちらも集落内の遺構のため宅地化等に伴い残存遺構はごく一部分に限られていました。
明確な遺構は祠が所在する北側に背丈ほどの土塁状の地形を確認できます。
このほかには西側の民家境の幅1.8mほどの宅地の排水機能を兼ねたような堀跡状地形くらいのものでした。
回遊中は、このところの諸事情により一切飲まず食わず仕舞い。
万歩計によれば、歩行距離は約2万9千歩で、およそ20kmほど。
今月初めの寺尾城の比定地めぐりでは、早くも1万3千歩付近で足に疲れが。
今回は2万歩付近でどっと疲労が発生。
何といっても、邑楽町のシンボルタワーまでの道程の遠かったこと...
それでも午後5時前には図書館に到着したので、さっそく予定通りに邑楽町誌などの複写申請を実施。
なお、この方面はざっと3年ぶりのため、国道407号線と県道66号線を通過するルートも忘れがちに(汗)
Comment
Re:お疲れ様です
>お疲れ様です
>またもや徒歩ですか
山城探訪に備え、足腰の鍛錬のつもりで(笑)
>確か各城館の距離が微妙に離れているような・・・
>近いといえば近いのですが・・・
やはり藤川城以降が駐車スペースの確保が難しかったので、かなり疲れましたが徒歩は正解だったようです。
>そういえば今回は猫城へは行かれなかったようですね
長良神社境内においでになりましたが、愛想をつかされましてございまする~(苦笑)
>またもや徒歩ですか
山城探訪に備え、足腰の鍛錬のつもりで(笑)
>確か各城館の距離が微妙に離れているような・・・
>近いといえば近いのですが・・・
やはり藤川城以降が駐車スペースの確保が難しかったので、かなり疲れましたが徒歩は正解だったようです。
>そういえば今回は猫城へは行かれなかったようですね
長良神社境内においでになりましたが、愛想をつかされましてございまする~(苦笑)