本来は中世城館跡めぐりがテーマのはずでありました。もっとも最近は加齢と共に持病が蔓延し本業が停滞傾向に...このためもっぱらドジなHP編集、道端の植物、食べ物、娘が養育を放棄した2匹のネコ(※2019年11月末に天国へ)などの話題に終始しております (2009/05/21 説明文更新)
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午前10頃からの行動開始を念頭に、午前6時45分に自宅を出発。
正真正銘、今季最後の下総探訪。
往路は国道298号経由で、片道の所要時間は約3時間15分は予定通り。
凸竜崖城(千葉県印西市) 10時30分から12時10分
2月の末に訪れた「手倉砦」の北北東1.3kmの独立台地上に所在。
城跡南東麓には所縁の井戸跡と説明板も。
今シーズンに入ってからというもの、城跡もしくは城跡に関係した説明板に対面できたのはこれが2度目。
遺構の集中するのは主に台地の西部付近。
特に登り道は無いので、麓の南西部から比高差8mほどの帯郭へ直登。
郭部分はさらに比高差4mから5m上の畑。
部分的とはいえ土塁遺構も3か所ほど残存。
郭への小口と想定される地形も現存。
台地全体の形状と平場等の残存状況からは、少なくとも複数の郭から構成されていたことが推定可能。
帰路は妙見社の祠に参拝し、そのまま台地を東に横断して永治小学校へ。
凸山王台遺跡(千葉県印西市) 13時00分から13時30分
北側が台地続きとなる舌状台地に所在。
資料によれば竜崖城との関わりも想定される空堀で囲われた中世の墓域とのこと。
堀の深さは最高で2.5m(ただしメジャー計測)を測る個所も。
堀幅は上面で約6m。
堀跡は南側と東側の残存状況が良好だが、北側は後年に耕作等のために埋め立てられた可能性が推定。
ただし概して内郭面よりも空堀の外側の地面の方が高い。
また土塁状遺構も無くは無く、帯郭状地形も無くは無く。
ただし、その内側に空堀に囲まれた区画が所在するという変則的な構成。
凸仲山城(千葉県印西市) 13時40分から15時40分
西側の台地麓から比高差15mほどの斜面を直登。
久しぶりとなるアズマザサ群生地の藪。
無論至る所に棘も元気に生育。
この辺りを起点として先ずは反対側の東側崖線まで距離にして約60mほどを直進し、目ぼしい遺構が存在しないことを検証。
次に反時計回りに台地北端部の崖線に沿って移動し腰郭、帯郭等の有無を検証。
文字通りの笹藪は視界3mから5m。
これでは仮に局部的な遺構があったとしても見過ごす可能性は大。
今更ながらに縄張り図や概念図があまり出回っていない事情を首肯。
さて土塁があるとすれば、台地辺縁部または台地を東西に横断する配置のはず。
台地西側の崖線を南進し笹藪を抜けると随分と次第に開けた地形に到達。
事前にマークしておいた電波塔が間近に見えたので現在位置が判明。
概ねこの電波中継塔以北に遺構が集中。
明瞭な残存遺構は台地を東西に分断する総延長100m近い土塁とその南側の空堀。
特にその東側部分は伐採直後のため遺構の確認には最良の環境。
ほかに土橋の形跡も3か所ほど確認されるが、耕作等により空堀が埋め戻されている模様。
少なくとも3か所ほどの土塁・空堀により区画されていたのかも知れず。
このほか南北方向の土塁状地形と小規模な土塁に囲まれた方形地形も所在。
なお伐採部分の台地斜面を観察した限りでは帯郭、腰郭の存在は確認できず。
駐車スペースの問題から、以上3か所の移動は全て徒歩によるもの。
かくて本日の歩行距離は台地直登3回分+藪漕ぎを含む歩行距離は平地換算にして約15km。
なお午後5時過ぎのために断念した「木下街道」沿いの竹林中の土塁状地形も合わせれば4か所に...(苦笑)
復路は久しぶりに国道16号経由で。
夕刻にも拘わらず呼塚交差点の交通渋滞も殆どなく快調そのもの。
途中野田市郊外の餃子の王将で夕食。
しかしこれが結果的には仇となり、5kmほどの事故渋滞に遭遇し30分以上のロスタイム。
かくして復路の所要時間も3時間。
往復約150km、所要時間6時間15分を要した甲斐があったのかどうかは自分にも分らず。
正真正銘、今季最後の下総探訪。
往路は国道298号経由で、片道の所要時間は約3時間15分は予定通り。
凸竜崖城(千葉県印西市) 10時30分から12時10分
2月の末に訪れた「手倉砦」の北北東1.3kmの独立台地上に所在。
城跡南東麓には所縁の井戸跡と説明板も。
今シーズンに入ってからというもの、城跡もしくは城跡に関係した説明板に対面できたのはこれが2度目。
遺構の集中するのは主に台地の西部付近。
特に登り道は無いので、麓の南西部から比高差8mほどの帯郭へ直登。
郭部分はさらに比高差4mから5m上の畑。
部分的とはいえ土塁遺構も3か所ほど残存。
郭への小口と想定される地形も現存。
台地全体の形状と平場等の残存状況からは、少なくとも複数の郭から構成されていたことが推定可能。
帰路は妙見社の祠に参拝し、そのまま台地を東に横断して永治小学校へ。
凸山王台遺跡(千葉県印西市) 13時00分から13時30分
北側が台地続きとなる舌状台地に所在。
資料によれば竜崖城との関わりも想定される空堀で囲われた中世の墓域とのこと。
堀の深さは最高で2.5m(ただしメジャー計測)を測る個所も。
堀幅は上面で約6m。
堀跡は南側と東側の残存状況が良好だが、北側は後年に耕作等のために埋め立てられた可能性が推定。
ただし概して内郭面よりも空堀の外側の地面の方が高い。
また土塁状遺構も無くは無く、帯郭状地形も無くは無く。
ただし、その内側に空堀に囲まれた区画が所在するという変則的な構成。
凸仲山城(千葉県印西市) 13時40分から15時40分
西側の台地麓から比高差15mほどの斜面を直登。
久しぶりとなるアズマザサ群生地の藪。
無論至る所に棘も元気に生育。
この辺りを起点として先ずは反対側の東側崖線まで距離にして約60mほどを直進し、目ぼしい遺構が存在しないことを検証。
次に反時計回りに台地北端部の崖線に沿って移動し腰郭、帯郭等の有無を検証。
文字通りの笹藪は視界3mから5m。
これでは仮に局部的な遺構があったとしても見過ごす可能性は大。
今更ながらに縄張り図や概念図があまり出回っていない事情を首肯。
さて土塁があるとすれば、台地辺縁部または台地を東西に横断する配置のはず。
台地西側の崖線を南進し笹藪を抜けると随分と次第に開けた地形に到達。
事前にマークしておいた電波塔が間近に見えたので現在位置が判明。
概ねこの電波中継塔以北に遺構が集中。
明瞭な残存遺構は台地を東西に分断する総延長100m近い土塁とその南側の空堀。
特にその東側部分は伐採直後のため遺構の確認には最良の環境。
ほかに土橋の形跡も3か所ほど確認されるが、耕作等により空堀が埋め戻されている模様。
少なくとも3か所ほどの土塁・空堀により区画されていたのかも知れず。
このほか南北方向の土塁状地形と小規模な土塁に囲まれた方形地形も所在。
なお伐採部分の台地斜面を観察した限りでは帯郭、腰郭の存在は確認できず。
駐車スペースの問題から、以上3か所の移動は全て徒歩によるもの。
かくて本日の歩行距離は台地直登3回分+藪漕ぎを含む歩行距離は平地換算にして約15km。
なお午後5時過ぎのために断念した「木下街道」沿いの竹林中の土塁状地形も合わせれば4か所に...(苦笑)
復路は久しぶりに国道16号経由で。
夕刻にも拘わらず呼塚交差点の交通渋滞も殆どなく快調そのもの。
途中野田市郊外の餃子の王将で夕食。
しかしこれが結果的には仇となり、5kmほどの事故渋滞に遭遇し30分以上のロスタイム。
かくして復路の所要時間も3時間。
往復約150km、所要時間6時間15分を要した甲斐があったのかどうかは自分にも分らず。
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