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既に季節は5月半ば。
蔵王、月山などの標高の高い個所以外は城館探訪に相応しくないことは確実。
それでも一縷の望みをもって山形遠征を挙行。
東北自動車道を利用しても片道5時間以上の道程。
千葉、茨城、群馬、栃木など関東近県に比し約2倍以上の所要時間。
このため実際には11日(月)の午後に自宅を出発。
無論できるだけ「天地人」の混雑を避けるべく米沢方面はパスすることに。
凸天童陣屋(山形県天童市) 5時40分から7時00分
戊辰戦争で焼失した織田氏(信雄の系統)の陣屋跡。
陣屋跡の中央部には鉄道の軌道が敷かれて、僅かに城下町特有のクランクした道路が同時の様子を伝えるという塩梅。
その割には些か時間がかかりすぎのようにも。
凸成生館(同上) 7時10分から7時30分
現存する遺構は土塁一か所と空堀跡二か所。
果樹園のなかに隠れる空堀跡。
お蔭で遅咲きのサクランボの花を観察。
このあと生憎と次第に小雨模様に。
なお翌日のテレビのローカル放送では、たまたま成生地区のサクランボ農家のサクランボ盗難対策が放映されておりました。
未だ出荷時期までには半月ほど早く、挨拶は欠かさないようにしているものの、多分に不埒な輩と誤解されかねない時期なのでありました。
凸二階堂遺跡(同上) 7時50分から8時10分
雨は小降りのままやや断続的に。
本降りになりかけたかと思うと何時の間にか小止みに。
予め天候を予測して遺構の少ない平地の城館跡ばかりを抽出。
とはいえ傘を差しての探訪は極力避けたいところ。
肝心の遺構の方は、堀跡といえば堀跡のような窪みが現存。
水田地帯のため草の生育が顕著。
説明版がなければまず分かりそうもない遺構ではあります。
凸高櫤城(同上) 8時30分から9時00分
この際、土産をまとめて購入。
その店構えからはやや想像しがたいものの、かなり有名な店の模様。
朝早いにもかかわらず買い物客が次々と多数来店。
製造直売の「王将最中」とあわせて、ついでに地酒を購入。
あ、遺構は堀跡の水路のみであります。
この後、ついつい看板に誘われて天童ワインのワイナリーにてワイン2本を購入。
凸新田館(山形県寒河江市) 9時45分から10時00分
天候は次第に安定し、その後は薄日が顔をのぞかせるように。
このあたりから目的地捜索に関する山勘が機能全開モードに。
とはいえサクランボ畑の中に御影石製の城跡標柱のみ。
凸本楯(同上) 10時10分から10時30分
こちらも石碑と標柱が中心。
それでも土塁跡と思われる高まりの一部と堀跡の形状を伝える宅地の区画等が現存。
凸寒河江城(同上) 10時50分から11時40分
城跡は台地上に所在し、説明版が計三か所、石碑・標柱が各二か所。
あとは堀跡の水路が二か所ばかり。
たったこれだけのことを確認するにしては些か時間がかかりすぎのような。
凸寒河江代官陣屋(同上) 11時40分から11時50分
あきらめかけて帰ろうとしたところ、県道沿いの細長い緑地の植込みのなかに陣屋跡の標柱を発見。
凸長岡陣屋(同上) 12時20分から13時00分
複郭の証左となる土塁が現存。
ただし市営グランドとツツジ公園の中。
折からツツジ祭りの真っ最中で、花に向かってデジカメを向ける多数の人々。
こちらはただひたすら土塁に向かってシャッターを押し続けるのでありました。
但し陣屋とはいっても戊辰戦争当時の代官陣屋なのであります。
天候が読めないので山城方面には近寄れないのであります。
なお翌日の天童市の舞鶴山(天童古城跡)にてツツジを見学にこられた観光客の何組かのご夫婦に、この長岡山の情報(移動所要時間、道路アクセス、今が見頃、売店あり)を提供。
なお、舞鶴山のツツジは本数も少なく、それよりも麓の神社付近の方が見ごたえがあります。
あ、特に寒河江市方面から依頼されているという訳ではありません。
凸白岩館(同上) 13時20分から14時00分
資料不足で城館の縄張りは詳細不明。
なお、寒河江市の図書館で閲覧した資料を見ても???
縄張り不明ながらも、確実に土塁、小口、帯郭等の遺構は現存。
北国の山形県とはいえ、やはりこの季節では遺構観察には無理があるようで。
特に野生のシャガが満開で、遺構の画像が野草の画像にしか見えないのであります。
このあとも、このシャガの繁殖力の強さに辟易とするのであります。
あ、強いて言えば山城です。
但し比高差は最大でも30m...(汗)
凸柴橋陣屋(同上) 14時35分から14時40分
高札場の標柱を確認。
多分この柴橋寺駐車場付近が代官陣屋跡なのだろうか...
凸落衣長者屋敷(同上) 14時50分から15時10分
やや痛々しい様子の土塁と耕作地と化した空堀各一か所が現存。
これらの遺構に比較すると不似合いなくらいに立派な説明版も設置。
このあと、まず天童市内に戻り資料館で関係資料の購入。
その後再び寒河江市内へと戻り、市立図書館で資料の複写申請。
予め二時間半の余裕を見たものの複写は未了。
明日再度足を運ばねばならない羽目に。
あ、複写方式はセルフ方式ではありません。
自分でやれば手馴れているため幾分は早いかも。
なおこうした事情により、天童-寒河江間を3往復半することとなったのであります。
閉館後夕食がてらファミレスにて九時過ぎまで複写資料の整理作業。
かくて本日延べ16時間の任務終了。
とりわけ「いなかっぺ大将」の大ちゃん数え歌を口ずさんでしまうダス。
冗談はさておき、本当にいきなり天童ですね。
拝見したところ案内板などが充実している印象がありますね。
しかし、福島、山形と進撃し、
次回は左沢城とか根城あたりになるのでしょうか。
それとも一足飛びにチャシ・・
早速のコメントありがとうございます。
今回は一応事前に、米沢、南陽、上山、山形、天童、寒河江、白鷹、飯豊、朝日、長井、大江、川西、川北、東根、村山など〆て100か所ほどの関係資料を用意。
しかし最終的には「天地人」関係の混雑を避け、比較的確実な資料を確保している山形市、天童市、東根市、村山市方面に限定いたしました。
次回探訪するとして、どんなに早くとも今年の11月下旬。
さすがに海を渡るところまでは、なかなか気持ちの整理が...元へ、更新の整理が(汗)
また、この地域の山城の植生傾向としては常緑植物であるシャガとアズマザサの繁茂が課題のようです。
あ、ちなみに今回訪れました「古天童城」は、山ひとつまるごと山城なので真剣に踏査しますと最低でも3日はかかります(苦笑)