本来は中世城館跡めぐりがテーマのはずでありました。もっとも最近は加齢と共に持病が蔓延し本業が停滞傾向に...このためもっぱらドジなHP編集、道端の植物、食べ物、娘が養育を放棄した2匹のネコ(※2019年11月末に天国へ)などの話題に終始しております (2009/05/21 説明文更新)
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凸観音山館(福島県矢吹町)7時40分から11時05分

2008年6月に続く再訪。
前回時には探訪した時刻が黄昏時。
全く人気の無い森閑とした雰囲気は好印象。
このためデジカメの画像は三脚を使用してもぶれまくる始末。
縄張構成等も確認するだけの時間が無いままに終了した経緯が。

その反省を元に今回は朝からの探訪。
しかし、冒頭から太陽の角度が低すぎたため遠景撮影が困難に(笑)
また今回はたまたま堀跡の一部を除き城跡の樹木が伐採された直後。
前回は確認することが不可能だった空堀が剥き出しに。
 

隈井城縄張り図の下書き
隈井城縄張り図の下書き

このため臨時縄張図作成班を編成。
といっても単独行なので、デジカメ撮影+遺構確認+縄張図作成をする羽目に。
「中世城館調査報告書」および「日本城郭大系」の縄張図が両方ともに不正確であることは確認。
さりとて3時間半と、かなりの時間を費やした割には成果が伴わず。
換言すれば高低さを巧みに利用した縄張なのでありました(汗)
終了の時点ですでに予定所要時間の倍以上を要し、玉川村、鏡石町方面へと足を伸ばすことを断念。


凸中畑陣屋(同上)11時20分から11時35分

幕末に長崎奉行の役職もついた旗本松平氏の陣屋址。
その名残は2本のカヤの木と南北の道路沿いに開けた集落の佇まいで、屋敷については会津の武家屋敷に移築されたとのこと。
カヤの木の所在地は少し分かりにくく、何と中畑郵便局の裏手なのでありました。


凸国神城(同上)11時45分から12時10分

畑の中に主郭部分のみが残存するシュールな城跡。
城跡は耕地整理の行われたとはいえ、ひときわアップダウンが目立つ河岸段丘上に位置。
用水路などの低地部分は空堀跡と関連しているようにも。
また北西部にある三峯神社境内辺りが城跡の北限なのかも。
なお城跡に立つ文化財説明版は説明部分が破損落下。
 

国神城の縄張図
国神城の縄張図


凸寺内館(同上)12時40分から12時50分

車を停めるような適当な場所が無く止む無くハザードで路駐。
さほど早くも無い足で丘陵を駆け上る管理人(苦笑)
城館跡と思われる辺りには神社の小祠が2か所ばかり。
丘陵の頂上部にはそれらしい削平地も現存。

寺内館縄張図
寺内館縄張図(笑)



凸西袴館(同上)13時05分から13時25分

地図上で見当をつけておいた場所は牧草地に。
地表観察には支障が無いことだけは確実。
南東側の植林帯との境界部分に土塁状の地形のようなものが所在。
城館遺構との関連性は不明。

西袴館縄張図
西袴館縄張図(呆)



凸袴館(福島県中島村)13時25分から13時45分

ブログを打ち込んでいる際に気づいたのでありますが、ここは矢吹町の東隣となる中島村。
滑津館の方が有名であることは間違いが無く。
なぜここを訪れたかといえば、「西袴館」があるなら「袴館」(東袴館)があってもよく、幸いにして小字名が「袴館」なのでそれらしい丘陵に登ってみたというだけのことなのであります(笑)
無論、直接遺構につながるような地形は確認できず、耕地化などにより削平されたと思われる平場が続いておりました。


凸沢尻館(福島県矢吹町)14時00分から14時50分 ■藪+荊

「中世城館報告書」では、「郭、空堀、犬走」が残るとの情報。
然しかつての植林などにより地形の改変が行われた模様で、最高地点を中心に歩き回った割には明確な遺構は無いも同然(疲)
だいたい帰ってきてから城館名称の間違い気づくという始末。
少なくとも当日回っている間はずっと「沼尻館」だと誤解を。
それよりも篠竹の藪+荊がなかなか頑強で。
少なくとも両足を中心に10か所ほどは傷だらけに。
この時点でかなり凹む管理人なのでありました。
その影響で以下の探訪については、もうあからさまな数稼ぎなのであります。


凸堤館(同上)15時00分から15時20分 ■藪+荊

予め遺構消滅という情報。
荊の傷の痛みに加えてかなり凹んでいたために、家畜舎裏手の丘陵を遠望したのみで終了。
遠目にも篠竹の藪と荊はかなり豊富な丘陵でありました。


凸明神館(同上)15時30分から15時50分

明神地区の簡易水道施設が所在。
かつては「郭」が残されていた模様でありますが、当該施設の建設により概ね消失しているものと思料いたします。
それでもしつこく地形観察を敢行し切岸状の地形を捜し求めるのでありました。


凸和田館(同上)16時20分から16時40分 ■藪+荊+沼地

事前情報は遺構なし。
冒頭から谷筋と丘陵の地形を読み間違えるという不始末。
谷戸田式居館ではなく、丘陵上に築かれたごく普通の居館跡であります。
しかし郭内の突入はかなり困難。
なお当地は水が豊富で、四駆の軽でなければ帰還不能。
四駆の運転を誤るとそのまま身動き不能な地形。
体重が多くかつ積載物の多いことが幸いすることも。


凸郷倉地館(同上)16時50分から16時55分

事前情報では遺構無し。
夕刻となってきたことから竹林の全景撮影で終了。
反対側に所在する「タカナシ城」の遠景撮影が中心。


凸古館(同上)17時00分から17時10分

水田地帯のため土塁と郭の残存情報も心細く。
しかし、予想以上に良好な土塁+郭の切岸が現存。
西辺の土塁延長は60mから70m、高さ2mから3mの規模。
郭東側の切岸は最大で高さ4m(後世の補強等の地形改変含む)
かくて2勝11敗1分けとなるべきところ、3勝10敗1分けに。
ここまで荊の傷の痛みに加えて9割方心が折れた管理人。
正しく明日への希望と活力を与えてくれたのでありました。
 

古館縄張図
古館縄張図(・・・・)


凸小松館(同上)17時15分から17時20分

阿武隈川沿いの耕地整理が行われた水田地帯。
無いものはなく。
あるものは高圧線の鉄塔1基。
折りしも東側の鉄塔では保守管理作業の真っ最中。
しばし地上約40mの高所作業を見入っておりました。


凸陣ヶ岡館(同上)17時30分から17時45分

かつては郭と土塁が確認できた模様。
しかし、周辺の宅地化等に伴う地形の改変が余りにも顕著。
暮れなずむ阿武隈川の堤防上から独立丘陵の遠景を撮影して本日の探訪を終了。


今回は前日の仕事終了後にそのまま出かけるというスタイル。
国道16号から県道3号線経由で久喜ICから北上。
往路は日曜日の下りなので矢吹町の現地まで僅か3時間弱。
福島県南までの心理的な距離は大幅に短縮。
なお如何にもやっつけ仕事風の縄張り図?は、この日の宿泊先で作成したものであります。

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お帰りなさいませ
こんばんは、和平様
お疲れ様です。
いや~8割知らない城館です(汗)
さすが下調べに時間をかけただけありますね(笑)
最近、俯瞰図での更新が多くなりましたが楽しみにしております。
観音山館は楽しみです。

業務連絡送信しましたご確認のほどを。
史進 2009/04/09(Thu)22:03:38 編集
Re:お帰りなさいませ
>こんばんは、和平様
>お疲れ様です。
>いや~8割知らない城館です(汗)
逆にご存知でしたら、その方が怖いくらいであります(笑)

>さすが下調べに時間をかけただけありますね(笑)
下調べだけは昨年の入院中にいやというほどに。

>最近、俯瞰図での更新が多くなりましたが楽しみにしております。
原則俯瞰図(概念図)付きで参ろうかと存じまする。
従いまして更新速度はさらに半分以下のペースにダウン致しまする~

>観音山館は楽しみです。
できたてのVer.1を誠に恐縮ですが掲示板へ(汗)

>業務連絡送信しましたご確認のほどを。
委細承知仕りましてございまする。
【2009/04/09 23:06】
お疲れ様です
とうとう奥州まで出陣ですね。
陣所も現地で構えられたようで、ますますの勢いを感じます。

縄張図も分かりやすいですね。
今まで他の資料を見て訪問を決意したのは、その縄張図の魅力も大きな要因かと今更ながら納得しています。
でも国神城・・・歯医者のレントゲン写真みたいですね(苦笑)
左馬助 2009/04/12(Sun)12:27:22 編集
Re:お疲れ様です
>とうとう奥州まで出陣ですね。
>陣所も現地で構えられたようで、ますますの勢いを感じます。
コメントありがとうございます。
お陰様で、昨年の6月以来の遠征となります。
余り勢いはないのですが、気負いだけはありまする(汗)

>縄張図も分かりやすいですね。
>今まで他の資料を見て訪問を決意したのは、その縄張図の魅力も大きな要因かと今更ながら納得しています。
ご覧いただいてしまった方にとりまして少しは参考となるように、能力の範囲内で作成していく所存でございます。

>でも国神城・・・歯医者のレントゲン写真みたいですね(苦笑)
レントゲン写真につきましてはまさにその通りでございます。
自分でもつくづくそのように思ったぐらいでして。
なおVer.2wではさらに磨きがかかり、立派な虫歯画像に仕上がっておりまする(爆)
【2009/04/13 00:39】
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