本来は中世城館跡めぐりがテーマのはずでありました。もっとも最近は加齢と共に持病が蔓延し本業が停滞傾向に...このためもっぱらドジなHP編集、道端の植物、食べ物、娘が養育を放棄した2匹のネコ(※2019年11月末に天国へ)などの話題に終始しております (2009/05/21 説明文更新)
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今シーズンはすでに幾度となく飽きるほどに国道16号線を往復したという印象。
そう思い込んでいたのは大きな勘違いらしく。
今年1月からの通算では僅かに6度のみ。
にも拘らず凡その地理関係を把握したという誤解を生じていた模様。
こうした成り行きから、今年冬季の城館探訪-千葉方面のミッション-に一区切りつけるべく沿線の手近な城館跡の探訪を企図。
凸小野田城(船橋市) 8時25分から10時20分
はじめに城跡南端付近の祖師堂裏から時計回りに安房神社の台地まで外周部をほぼ一周。
県教委による調査報告では残存遺構は部分的との記述。
実際に回ってみたところでは、特に西側を中心に比較的良好に残されているという印象。
無論、この地域特有の竹林のなかにひっそりと隠れてはおります。
なお神社北側の切立った台地の崖線が当時のままのものかどうかはやや疑問も。
しかし全体として中世城館としての景観を伝えているものと思われます。
周辺の宅地化、耕地化等のため全体の縄張りが把握しづらいところも。
なお遺構現存個所は全体の東寄りの部分であることについては概ね確実。
城跡全体として当該台地の形状から想定する限りでは、諏訪神社近くの谷津方面まで広がっていたという見解もほぼ妥当性があるものと思われました。
「小野田城」のカナ読みは「こだのじょう」とのこと。
国道16号線から僅か300mほどの距離に所在していることを思えば、遺構の残存状況としては正しく奇跡的とも。
凸金堀城(同上) 10時50分から11時25分
読み方は「かねほりじょう」とのこと。
主郭部の大規模な削平に伴い、東辺から北辺にかけて僅かに土塁と堀底道(空堀跡)が残存。
それでも北辺の堀底道から見上げた崖線の高さには瞠目するものが。
またこの城館も台地続きの外部よりも郭内の方が明らかに低いという特徴を見出すことができます。
なお東辺土塁の一部に櫓台跡のようにも見える高まりも見受けられます。
無論、あくまでも限りなく願望に近いものが。
帰り際、農道脇にてオオイヌフグリとヒメオドリコソウの近接撮影を。
凸吉橋城(八千代市) 11時55分から12時50分
さほどの期待をもって臨んだわけでもなかったことから、下記画像の壮大な二重土塁との遭遇には率直に感動。
また郭内にひっそりと設置された城跡の石碑の存在にも感動。
その傍らでゲートボールに興じるお年寄りのグループとの取り合わせもなかなか対照的で味わい深く。
「城郭大系」等では貞福寺境内を主郭と推定していますが、二重土塁や竪堀、坂小口、切岸等が良好に残されている2の郭を主郭と見る見解に賛同。
凸尾崎城(同上) 13時00分から13時25分
県教委の報告書では「尾崎城」で、それ以外では「尾崎館」との呼称。
吉橋城と一体と見る見解が有力な模様ですが、川を隔てていることを考慮すると仮に年代としての同一性があったとしても機能としての同一性については疑問の余地があるようにも思われます。
一般には方形館であったことが想定。
しかしかつて転用されたという現状の地形からはその面影は希薄なものが。
全体としての縄張りも把握しづらく、消化不良のまま次の目的地へと移動。
なお北側土塁の堀跡への張出し部分は、内部を観察するには絶好のロケーション。
しかし廃棄された野菜などのために極めて地盤軟弱。
まさしく要注意であります。
因みに管理人は20cmほど沈下(爆)
従って堀跡の窪みに直接降りることは避けた方が賢明かとも。
凸米本城(同上) 14時00分から15時40分
遺構の南半分は高度成長期の土取りによりほぼ消滅。
それでも北側部分と消滅した南側部分の東端には城郭遺構が残存。
とりわけ城跡南東に細長く残された土塁、切岸部分には最大25m前後の比高差も加わり絶景。
土塁幅が実質1mほどの個所もあることから、高所恐怖症の傾向がある場合には探訪不可かとも。
また消滅以前の景観が残されている壮大な空堀跡も必見。
堀幅は下記の画像のように余りに広すぎて目測困難。
なお宅地に近い部分には独立した郭がほぼ完全に残存。
北側には埋まりかけてはいるものの土橋に隔てられた空堀が現存。
南側には小口と櫓台(推定)地形も現存。
凸正覚院館(同上) 15時50分から16時25分
現存する遺構は寺院の墓域の拡張に伴い漸次消滅している模様。
資料と照合した限りでは、土塁遺構として残存している部分は北側のごく一部と参道の脇の一部分。
ところが、これとてもかなり不鮮明という印象。
日照時間が延びて、日没までは未だ十分なゆとりが。
しかし生憎と西側には分厚い雲がかかり日差しを遮断。
このため西側山林の中に所在するはずの堀跡の確認には至らず。
当初は八千代市から佐倉市西部へと移動して探訪を継続する予定。
然しここで低気圧接近を予知する軽い頭痛。
西の空にかかる厚い雲の存在。
疲労による足元の覚束無さ。
以上を勘案して予定の切り上げ。
まず近くのスーパーいずみやにて夕食(かつ重480円)を購入。
本日もまた、さしたる理由もなく朝食から2食抜き。
スーパーの駐車場の車中で3食分をまとめた食事を。
このあとは彼岸のために渋滞する成田街道、県道57号線を経由して鎌ヶ谷市の図書館へ。
予想通りの大渋滞のために、通常の倍近くの所要時間。
鎌ヶ谷市立図書館はこの周辺の図書館の中では閉館時間が遅いのが有難く。
加えて参考図書類も充実。
30分ほどで船橋市、八千代市、旧沼南町の自治体史を閲覧の上複写。
自宅への帰還は午後10時12分。
本日も往復所要時間はおよそ6時間で想定の範囲。
但しこれとは別に、八千代市から鎌ヶ谷市までの移動時間が何と1時間30分(苦笑)
そう思い込んでいたのは大きな勘違いらしく。
今年1月からの通算では僅かに6度のみ。
にも拘らず凡その地理関係を把握したという誤解を生じていた模様。
こうした成り行きから、今年冬季の城館探訪-千葉方面のミッション-に一区切りつけるべく沿線の手近な城館跡の探訪を企図。
凸小野田城(船橋市) 8時25分から10時20分
はじめに城跡南端付近の祖師堂裏から時計回りに安房神社の台地まで外周部をほぼ一周。
県教委による調査報告では残存遺構は部分的との記述。
実際に回ってみたところでは、特に西側を中心に比較的良好に残されているという印象。
無論、この地域特有の竹林のなかにひっそりと隠れてはおります。
なお神社北側の切立った台地の崖線が当時のままのものかどうかはやや疑問も。
しかし全体として中世城館としての景観を伝えているものと思われます。
周辺の宅地化、耕地化等のため全体の縄張りが把握しづらいところも。
なお遺構現存個所は全体の東寄りの部分であることについては概ね確実。
城跡全体として当該台地の形状から想定する限りでは、諏訪神社近くの谷津方面まで広がっていたという見解もほぼ妥当性があるものと思われました。
「小野田城」のカナ読みは「こだのじょう」とのこと。
国道16号線から僅か300mほどの距離に所在していることを思えば、遺構の残存状況としては正しく奇跡的とも。
凸金堀城(同上) 10時50分から11時25分
読み方は「かねほりじょう」とのこと。
主郭部の大規模な削平に伴い、東辺から北辺にかけて僅かに土塁と堀底道(空堀跡)が残存。
それでも北辺の堀底道から見上げた崖線の高さには瞠目するものが。
またこの城館も台地続きの外部よりも郭内の方が明らかに低いという特徴を見出すことができます。
なお東辺土塁の一部に櫓台跡のようにも見える高まりも見受けられます。
無論、あくまでも限りなく願望に近いものが。
帰り際、農道脇にてオオイヌフグリとヒメオドリコソウの近接撮影を。
凸吉橋城(八千代市) 11時55分から12時50分
さほどの期待をもって臨んだわけでもなかったことから、下記画像の壮大な二重土塁との遭遇には率直に感動。
また郭内にひっそりと設置された城跡の石碑の存在にも感動。
その傍らでゲートボールに興じるお年寄りのグループとの取り合わせもなかなか対照的で味わい深く。
「城郭大系」等では貞福寺境内を主郭と推定していますが、二重土塁や竪堀、坂小口、切岸等が良好に残されている2の郭を主郭と見る見解に賛同。
凸尾崎城(同上) 13時00分から13時25分
県教委の報告書では「尾崎城」で、それ以外では「尾崎館」との呼称。
吉橋城と一体と見る見解が有力な模様ですが、川を隔てていることを考慮すると仮に年代としての同一性があったとしても機能としての同一性については疑問の余地があるようにも思われます。
一般には方形館であったことが想定。
しかしかつて転用されたという現状の地形からはその面影は希薄なものが。
全体としての縄張りも把握しづらく、消化不良のまま次の目的地へと移動。
なお北側土塁の堀跡への張出し部分は、内部を観察するには絶好のロケーション。
しかし廃棄された野菜などのために極めて地盤軟弱。
まさしく要注意であります。
因みに管理人は20cmほど沈下(爆)
従って堀跡の窪みに直接降りることは避けた方が賢明かとも。
凸米本城(同上) 14時00分から15時40分
遺構の南半分は高度成長期の土取りによりほぼ消滅。
それでも北側部分と消滅した南側部分の東端には城郭遺構が残存。
とりわけ城跡南東に細長く残された土塁、切岸部分には最大25m前後の比高差も加わり絶景。
土塁幅が実質1mほどの個所もあることから、高所恐怖症の傾向がある場合には探訪不可かとも。
また消滅以前の景観が残されている壮大な空堀跡も必見。
堀幅は下記の画像のように余りに広すぎて目測困難。
なお宅地に近い部分には独立した郭がほぼ完全に残存。
北側には埋まりかけてはいるものの土橋に隔てられた空堀が現存。
南側には小口と櫓台(推定)地形も現存。
凸正覚院館(同上) 15時50分から16時25分
現存する遺構は寺院の墓域の拡張に伴い漸次消滅している模様。
資料と照合した限りでは、土塁遺構として残存している部分は北側のごく一部と参道の脇の一部分。
ところが、これとてもかなり不鮮明という印象。
日照時間が延びて、日没までは未だ十分なゆとりが。
しかし生憎と西側には分厚い雲がかかり日差しを遮断。
このため西側山林の中に所在するはずの堀跡の確認には至らず。
当初は八千代市から佐倉市西部へと移動して探訪を継続する予定。
然しここで低気圧接近を予知する軽い頭痛。
西の空にかかる厚い雲の存在。
疲労による足元の覚束無さ。
以上を勘案して予定の切り上げ。
まず近くのスーパーいずみやにて夕食(かつ重480円)を購入。
本日もまた、さしたる理由もなく朝食から2食抜き。
スーパーの駐車場の車中で3食分をまとめた食事を。
このあとは彼岸のために渋滞する成田街道、県道57号線を経由して鎌ヶ谷市の図書館へ。
予想通りの大渋滞のために、通常の倍近くの所要時間。
鎌ヶ谷市立図書館はこの周辺の図書館の中では閉館時間が遅いのが有難く。
加えて参考図書類も充実。
30分ほどで船橋市、八千代市、旧沼南町の自治体史を閲覧の上複写。
自宅への帰還は午後10時12分。
本日も往復所要時間はおよそ6時間で想定の範囲。
但しこれとは別に、八千代市から鎌ヶ谷市までの移動時間が何と1時間30分(苦笑)
Comment
船橋ですか~
こんばんは、私は船橋市に縁がありまして懐かしく、興味深く拝見させていただきました。
現在八街に住んでいる叔母が船橋市に住んでいる頃、ちょうど私が小学校から高校くらいまで毎年夏休みは2週間くらい船橋で過ごしてました。
城郭大系片手に城めぐりもしました。
米本城はではよく遊んでましたよ。
おばの家がすぐ近くにあったんです。
もっとも城跡と知ったのは本の数年前ですが(笑)
小室にも親戚がおり小野田城周辺もよく通りました。
あまりにも懐かしく思い出話を・・・(汗)
業務連絡送信しましたのでご確認の程を。
年度末でお忙しい身でありましょうが御身体気をつけて頑張ってくださいませ。
現在八街に住んでいる叔母が船橋市に住んでいる頃、ちょうど私が小学校から高校くらいまで毎年夏休みは2週間くらい船橋で過ごしてました。
城郭大系片手に城めぐりもしました。
米本城はではよく遊んでましたよ。
おばの家がすぐ近くにあったんです。
もっとも城跡と知ったのは本の数年前ですが(笑)
小室にも親戚がおり小野田城周辺もよく通りました。
あまりにも懐かしく思い出話を・・・(汗)
業務連絡送信しましたのでご確認の程を。
年度末でお忙しい身でありましょうが御身体気をつけて頑張ってくださいませ。
Re:船橋ですか~
船橋に、ご縁があったとは。
実のところ市内隈なく市街地化の進行がすすんでいるという思い込みがありました。
この2か所を含め他にも、程度の差はあっても遺構を有する中世城館が存在することに感動しております。
今年の年度末は、昨年紛糾した予算議会も平穏無事に推移し予算可決。
徹夜の議会もなく、また人事の大異動もなく、実にゆったりとした新年度を迎えそうです。
お気遣い痛み入ります。
史進殿も、まだまだお若いとはいえ、もうじき不惑の世代かと存じます。
まさに人生の折り返しで、心身ともに充実した年代。
なお一層、健康にご留意ください。
小生はと申せば遥か昔に折り返しを過ぎて、そろそろ還暦のカウントダウンが...(苦笑)
なお別便にて、有難く返信をさせていただきました。
実のところ市内隈なく市街地化の進行がすすんでいるという思い込みがありました。
この2か所を含め他にも、程度の差はあっても遺構を有する中世城館が存在することに感動しております。
今年の年度末は、昨年紛糾した予算議会も平穏無事に推移し予算可決。
徹夜の議会もなく、また人事の大異動もなく、実にゆったりとした新年度を迎えそうです。
お気遣い痛み入ります。
史進殿も、まだまだお若いとはいえ、もうじき不惑の世代かと存じます。
まさに人生の折り返しで、心身ともに充実した年代。
なお一層、健康にご留意ください。
小生はと申せば遥か昔に折り返しを過ぎて、そろそろ還暦のカウントダウンが...(苦笑)
なお別便にて、有難く返信をさせていただきました。