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本日は儀一どのよりお誘いをいただいて足利市の城館探訪。
待合せ場所の集合時刻が午前5時なので前日は早々に就寝。
ところが2匹のネコたちがじゃれ合いのような喧嘩を開始。
このため、ほぼ1時間おきに起こされるような始末にて候。
従って翌日に備えて、熟睡するはずのつもりが睡眠不足に。
しかし、車で出かけるときには2階の窓辺から見送る仕草。
誠に殊勝なる心がけ故、この度格別の慈悲を以って赦免候。
と、ここまでは何の意味も無く文章の文字数を統一(笑い)
凸矢田堀城(群馬県太田市) 6時30分から6時50分
明け方の雲量が予想よりも多く、急遽儀一どのの提案により朝食と時間調整を兼ねた探訪。
朝食後、方形館の周囲をほぼ一周して遺構確認。
北辺だけではなく、南辺にも土塁遺構が残存。
ここでようやく寝不足気味で低下していたテンションが上昇傾向に。
圧曇りの天候なれども、太陽も次第に上昇してデジカメ撮影に支障のない明るさに。
凸板倉城(栃木県足利市 以下同様) 7時05分から8時10分
はじめに直ぐにそれと判別できる小規模な山城に相応しい峻険な山容を松田川沿いの県道219号線から遠望。
比高差は僅かに80m。
とはいうものの、目の前に現れたのはやや傾きかけ幾分苔むした石段。
これが比高差で60m以上はありそうな岩場のある尾根筋までほぼ一直線(苦笑)
「心肺機能の低下+体重増加」の著しい管理人にとっては、このくらいの比高差までが限界で。
また滑りやすいため「行きはよいよい、帰りは...」とならぬように、足元に十分注意せねばならないのであります。
残存遺構は山頂の岩を削平した郭2か所と間の親しみの湧く可愛らしい堀切1か所および北側の腰郭1か所の以上。
平野部に突き出した尾根筋の先端部に占地し眺望は絶景。
朝日を浴びて白銀に輝く冠雪した赤城山も絶景。
西側の尾根筋経由以外には登攀は不可能な地形で物見砦として絶好の立地条件。
凸小此木館 8時20分から8時40分
宅地化が進行し明確な遺構は最早皆無に等しいような状況。
周囲をほぼ一周することにより、どうにか館跡の範囲を推定できたことが成果といえば成果なのであります。
凸源氏屋敷 9時20分から9時35分
源義家の伝承につながる城館跡。
従って歴史的な経緯、事実関係も伝承に依拠するところが多い模様。
それでも竹林が残るあたりの旧家の宅地を中心として堀跡の名残を示唆するような細道が所在。
凸矢場城 10時10分から10時30分
所在地は栃木の中世城館報告書と城郭大系が頼り。
儀一どの、それに管理人のそれぞれが想定した場所で思案。
しかし畑と水田が広がるのみで取敢えずは比定地不詳という結末かと。
寧ろ目標物である東側の藤本観音山古墳の方が物見台に相応しいようにも(苦笑)
凸大将陣 10時40分から11時05分
こちらも源義家にまつわる伝承地。
比定地は両名とも小学校の敷地(爆)
八幡町の地名が伝承との関わりの残滓なのでありましょうか。
八幡屋という屋号の手焼き煎餅のお店の看板も撮影(唖然)
ついでに四所神社が西麓に所在する北側200mほどの標高61mの丘陵へも立寄ることに。
山頂の平場はなかなか眺望にも優れておりましたが神社の縁起等は不詳。
凸浅間山城 11時25分から11時45分
主郭付近は神社境内の整備によりかなり改変されている様子が窺えます。
また北東部の腰郭部分は笹薮等に覆い隠されておりました。
しかし樹木が伐採された浅間神社が所在する山頂からは足利城を含む足利市内の城館が一望。
赤城山、榛名山、妙義山方面も一望。
遺構の確認不足を補って余りある光景なのでありました。
凸富士山城 11時45分から12時15分
浅間山に比べて笹薮が少ない分遺構の確認は容易。
最高部の北側の土塁をはじめとする南へと続く雛壇上の郭遺構、これを挟み込む形で東西の帯郭も明確に存在。
雛壇の構造からは南側に対する備えの城郭であると考えられます。
ただし北側の浅間山と南側の坊主山の遺構は尾根筋の北側方向に何段もの腰郭を備えています。
この点をどう解釈するのかが課題のひとつ。
またこの3か所の遺構が同時代的に機能していたのかということも大きなテーマで。
凸坊主山城 12時15分から12時40分
山頂の細長い主郭部分は程よく削平。
主郭北東側の尾根筋の腰郭については少なくとも3段ほどが現存。
しかし西側の尾根筋の現状は麓の住宅地まで概ね緩斜面が続くというやや不思議な遺構。
以上の3か所については稜線から比高差20mから30mほどの峠道に車を駐車。
低山に加えて楽なことこの上なく(嬉)
凸足利市館 12時50分から13時05分
日本百名城にも掲載された名門足利氏の館跡。
水堀に囲まれた整然とした方形館。
予見されたことではありますが、確かに余りにも整然とした佇まい。
境内には老若善男善女が三々五々参詣に訪れ、八重咲きの紅白の梅がボチボチ見頃に。
既にこの世には居ないはずの参詣する両親の後ろ姿がふと頭の中に浮ぶ穏かな昼下がりなのでありました。
凸岩井山城 13時20分から13時40分
凡その縄張はつかめるものの、主郭付近では熊笹が元気に成育中。
このため撮影した画像の大半は熊笹の藪に。
ただし大手方面と推定される部分は容易に判別可能。
凸県氏館 14時20分から14時30分
比定地候補のひとつである華厳寺には「県」姓の墓石が散見されたのみ。
両名協議の結果、比定地は不詳(汗)
凸中里城 14時45分から15時10分
宅地化に伴い一部消失している個所も所在。
然し平地の城館としては高さ3mから4mを測る土塁を目の当たりにして両名打ち揃って感動。
設けられた見学順路の矢印に従い時計回りに館跡をぐるっと一周。
全ての平地の城館跡で、常にこれくらいの遺構が残存していたら...などと。
楽な城館探訪に思いを馳せる管理人。
凸渋垂城 15時20分から15時30分
当初の比定地は共に空振りに。
勝光寺南西に所在する旧家の屋敷地が該当地。
宅地の南辺に堀跡と土塁の南西部分(推定)が残存。
凸上県城 15時45分から16時10分
こちらも寺院の南西に隣接した個所が城館跡。
西側の水路沿いの竹林の中には堀跡の窪みが現存している様子。
茨城県南で日ごろより鍛錬に勤しみ、多少の竹藪にはそこそこ慣れているはずの管理人。
しかし、これが殆ど見えないほどに竹藪の生育状況が良好なため、殆ど体を捻じ込む隙間がないのでありました(笑)
凸下県城 16時15分から16時20分
神明宮の周辺が比定地という説。
一方その南側の集落が比定地という郷土史家の説もあり。
現状の地形で判断すれば間違いなく前者かとも。
凸小曾根城 16時30分から16時50分
朝方出発する直前に比定地の資料を変更した管理人。
前記の郷土史家の方の資料によると更に東側の方らしく。
とはいえ資料が記述された当時と道路形状も変更され。
加えて日没時間が刻々と切迫。
釈然としない思いを懐きつつ次の目的地へ移動。
凸川島氏館 17時00分から17時10分
この時点で概ね日没に。
次第に夕闇が迫り来る中での足早な見学。
後日、改めて再訪..するかどうかは不明。
南辺の堀跡と土塁を拝見したのみで終了に。
凸鉢形城 17時15分から17時30分
集落を徘徊する怪しげな人影2名。
堀跡かどうか不明な集落の道路を撮影。
ASA1600でどうにか形状判別。
そもそも所在地さえも推定に過ぎず(苦笑)
車に戻るときには、ほぼ夜に。
かくて都合19か所、のべ11時間にも及ぶ足利市内の城館跡めぐりの長~い一日が終了。
所在地を求めつつの探訪ゆえにお終いの頃には足が棒、頭もボーッ。
単独の探訪ではどれほど頑張ってみても10か所未満が限度。
佐野市の時に引き続き、このたびもお誘いいただいた儀一どのに改めまして感謝を。
適切なナビゲーション、あわせまして御礼申上げまする。
土曜日は幾分寒かったのではないですか。
日曜日は多少暖かく蝶が飛んでいました。
巡った場所はお互い大差ないかもしれません。
断片的な遺構があればラッキーという状態でした。
てくてくと10キロ少々の徒歩。
名城唐沢山を眺めつつの超マイナーな屋敷跡巡りは、
なんともやるせないものがありました。
はあ、確かに疲れましてございまする(苦笑)
>土曜日は幾分寒かったのではないですか。
日中は殆ど日差しがなく、昼過ぎからは北西の風が吹きすさび体感気温は5度
前後であったかと。
雪雲の様子から局地的な降雪もあったようでございまする。
このため鼻水を啜りながら徘徊しておりました。
>日曜日は多少暖かく蝶が飛んでいました。
それはそれは、げに羨ましき限りの日和にございまする。
>巡った場所はお互い大差ないかもしれません。
>断片的な遺構があればラッキーという状態でした。
遺構との出会いは19ヶ所中10か所にございますれば、平地の城館探訪としてはまずまずの部類かと存じまする。
>てくてくと10キロ少々の徒歩。
>名城唐沢山を眺めつつの超マイナーな屋敷跡巡りは、
>なんともやるせないものがありました。
こちらは車で移動しておりましたが、山城4ヶ所+各自の比定地巡りなどを含めますと歩行距離は都合6kmほどでございましょうか。
朝の6時半前から、とっぷりと日が暮れた5時半過ぎまで歩いておりました故、城館探訪の充実感は正に計り知れなく(笑)
19箇所ですと自己最多を更新でしょうか(笑)
さすが、鉄人と鉄ちゃんの鉄鉄コンビですね(爆)
下野、実は私も腰痛がなければ小山市の再訪と考えておりました。
【下野の中世】という本をアマゾンで購入してから夢中になって読んでおります。
そういえば【塙北側の遺構】のネーミングで私も更新したいと思います。
とはいえ更新はまだまだ先になりそうですが・・・
>19箇所ですと自己最多を更新でしょうか(笑)
今回の19ヶ所は遺構状況の評価は別として、すべて踏査しておりまする~
大将陣(伝・源義家陣場)では、余り関係の無さそうな北側の比高差20mの丘陵も極めましてございまする~
件数もさることながら、延行動時間も11時間でございました(笑)
>さすが、鉄人と鉄ちゃんの鉄鉄コンビですね(爆)
鉄剤50mg服用は効果てきめんで。
適度な運動量のため、某の体重も88Kg台に減少(嬉)
>下野、実は私も腰痛がなければ小山市の再訪と考えておりました。
>【下野の中世】という本をアマゾンで購入してから夢中になって読んでおります。
某もただいま性懲りもなく足利市内の手頃な山城を物色中でございまする~
>そういえば【塙北側の遺構】のネーミングで私も更新したいと思います。
ご賛同を賜り誠に忝く。
「竜神砦」というのも考えましたが、余りにも大袈裟過ぎて(爆)
>とはいえ更新はまだまだ先になりそうですが・・・
更新、心よりお待ち申し上げておりまする。
華厳寺にて県(縣)の墓石発見とのことですが、舘はその西200mのところにあります。現在は区画整理のため、土手、掘り割りはなくなりましたが、昔からそこに住んでいます。
>華厳寺にて県(縣)の墓石発見とのことですが、舘はその西200mのところにあります。現在は区画整理のため、土手、掘り割りはなくなりましたが、昔からそこに住んでいます。
コメントを賜り御礼を申し上げます。
また貴重な情報をご教示いただき、心より御礼を申し上げます。
下野方面は未だその端緒についたばかりでございますが、今後とも宜しくご指導を賜れば幸いに存じます。