本来は中世城館跡めぐりがテーマのはずでありました。もっとも最近は加齢と共に持病が蔓延し本業が停滞傾向に...このためもっぱらドジなHP編集、道端の植物、食べ物、娘が養育を放棄した2匹のネコ(※2019年11月末に天国へ)などの話題に終始しております (2009/05/21 説明文更新)
カレンダー
10 2024/11 12
S M T W T F S
1 2
3 4 5 8 9
10 11 12 13 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
最新CM
(07/01)
(11/09)
無題(返信済)
(12/17)
(10/13)
(03/22)
最新記事
(11/14)
最新TB
プロフィール
HN:
武蔵国入東郷の地下人小頭@和平
性別:
男性
職業:
定年を過ぎました~
趣味:
「余り遺構の無い城館跡めぐり」と「ネコいじり」並びに「観葉植物の栽培」など数だけは
バーコード
ブログ内検索
アーカイブ
最古記事
アクセス解析
フリーエリア
[613] [612] [611] [610] [609] [608] [607] [606] [605] [604] [603]

前日まで、というよりも正確には当日の深夜。
累積する一方となっている不良在庫のコツコツと整理更新。
このため自宅を出発したのは午前8時丁度。
途中川越市内での混雑は予想よりも僅かなもの。
トイレ休憩を含めても現地到着は午前10時15分という順調さ。

天候も珍しく予報どおりの快晴
近世城郭の石垣を含めた建築物を撮影するには絶好の日和。
しかし中世城館跡の土塁・空堀には「降水確率0%薄曇」がベストなのであります。
またこの時点で日没までの時間と訪問先等の諸条件を勘案すると最多でも6か所程度が目安かと。


小串館 10時15分~11時35分
資料などによれば、城館関係の遺構については殆ど現存していない模様。
それでも道路形状には部分的に堀跡外郭の名残りも。
また比高差7mほどの北側崖線にも要害としての風情が。
地勝寺の墓地には小串氏所縁の墓所も実在。
南西300mの台地には小串城跡も所在。
これらのことから詰城と居館という用途を使い分けていた様子が窺えたのでありました。
 

小串館
小串館


河内城 11時55分~12時55分
鏑川右岸の所在する他の城館と同様に北方に張り出した舌状台地に占地。
資料によれば土塁・腰郭跡も残るとのこと。
しかし、夏草の勢いは未だ旺盛で土塁の方は確認に至らず。
それでも蜘蛛の巣を払いつつ当たりをつけた竹藪へと突入。
忽ち薮蚊の間断の無い攻撃に数ヶ所がボコボコに。
辛うじて2段からなる腰郭状の地形を台地北東部において確認。
 

河内城腰郭
河内城腰郭

なお「吉井町誌」の記述によれば、戦前から戦後にかけての伝染病の隔離病棟が所在した場所でもあるとのこと。
現在は住宅が立ち並びそうした痕跡は、入口の坂下に残された通行止めの小さな石柱だけでありました。


高の砦 13時05分~13時50分
河内城と比べると、大沢川川原に自然公園が設置されているためより段丘自体の比高差が際立つ印象も。
目指べき遺構は段丘上の土塁跡。
取敢えずは狼煙台と推定される稲荷神社跡を目指し東へと移動。
2棟の古い納家(家畜舎か)北側には予想を超える状態の良い土塁の一部が現存。
その配置からは比高差20m以上の急崖に加えて、北側の守りをさらに固めていたものと推定。
 

「高の砦」の土塁跡
「高の砦」の土塁跡


折茂の内出 14時~14時40分
事前情報では関係遺構はほぼ消滅している模様。
さて関係資料に示された占地について判然としないのが、耕地整理された丘陵東西の尾根筋部分。
こちらの方が内出と推定されている個所に比較すると明らかに眺望の優れた高位に所在。
丘陵最高地点を占地しているならば問題のないところ。
しかし関係資料では丘陵の南側緩斜面の段築部分のみを想定するという不可解さも。
 

折茂の内出
折茂の内出

それはさておき南側の同等の標高を有する丘陵方面を除いた三方の眺望は頗る良好。
風も無く秋の柔らかな日差しの下、無住の堂宇の軒先でおにぎりを食べ暫し惰眠を貪りたい心境に。

神保館(神保城) 14時50分~15時50分
遠く榛名の山々、妙義山の岩峰、超大型航空母艦のようにも見えてしまう特徴のある平坦な山稜の荒船山。
折茂の内出よりもさらに、これらの山稜が正に手にとるように一望にできる見晴らしの良い高台に占地。
関係資料を眺め、あらためて所在地を探すまでもないこと。
否応も無く視界に入る北西側の季節風を防ぐ広大な防風林が神保館そのものであることは自明の理。
たまたま防風林脇の畑にて試掘中。
始めたばかりで詳細不明の模様でしたが恐らくは古代末期ものとのこと。

さて肝心の堀跡・土塁等の遺構は北西部に明確に残存。
幅8m弱、深さ最大2.5mの規模を有する空堀跡が凡そ100m近くにわたり現存。
土塁もこの堀を挟み二重土塁の形態と推定。
辛科神社方面にも同様の遺構が現存。
現在も城館名と同名の旧家が所在している模様。
その宅地南東側には比高差4mの郭状の台地も現存。
 

神保館の堀跡と土塁
神保館の堀跡と土塁


この時点でどうにか本日の最低目標に到達。
未だ日没時刻までは約1時間ほどの余裕も。
しかし西側には分厚い雲が湧いて西日を遮断。
加えて薮蚊の活動も無視できず。
腹具合を考え毎度の事ながら飲まず食わずのテクテク訪城。
減量は疑いの無い事実とはいえ、血液は間違いなくドロドロ状態。
このような次第で早めの夕食にて水分とカロリー補充を決断し本日の任務を終了。

拍手[0回]

Comment
Name
Title
Color
Mail
URL
Comment
pass
雨雲に好かれた男
お疲れ様でございます。
城館銀座のような印象もあります吉井町。
充実した城歩きを楽しまれたことと存じます。
写真を拝見する限りお天気も上々のようで。
私のような雨男にとっては羨ましいような晴天にございます。
木曜日は有給休暇取得。
幸い天気も良さそうなので出かけたいところであります。
しかしながら9割方、朝寝坊すると思われますので、
じっくり気力・体力を温存し、
午後のドラフト会議に備えたいと思います。
未来の若虎に猛虎の将来を託すべく、
天運にすがろうかと思いますが、
どうも小粒な選手が多い印象がございます。
モナー 2008/10/30(Thu)00:21:47 編集
Re:雨雲に好かれた男
ご来駕を賜り恐悦至極に存じまする。

先週の藤岡に続いての好天。
加えて元来の暑がり。
思いのほか気温が高く汗だくとなりましてございまする。
なお土塁と空堀の撮影に関しては薄曇りがベストかと存じまする。

リーグ優勝ならず、誠に残念に御座いました。
しかし一時のタイガースの成績を思えば今やAクラスは定位置に。
隔世の感がございまする。

何を隠そう某も木曜日(つまり本日)は振替休みにて。
性懲りもなくテクテク吉井第2弾を敢行いたしました(只今鋭意画像整理中)

さて夏の間は睡眠時間に関係なく午前5時前には覚醒。
ところが気温が下がるにつれて何故か朝寝坊に。
このため本日の出発も午前7時半でございました(苦笑)
【2008/10/30 20:01】
さすがでございます
高の砦の土塁見事ですね。
私が吉井町を訪れるときは決まって雨でして(笑)
ここを訪れた際はかなり辛い思いをしました。
車の停め場に困り段丘下から傘を差して
集落に登りウロウロし稲荷社では泥濘にはまり泥まみれに・・・(笑)
つまり遺構は拝んでいないのです。
稲荷社あたりから民家裏にいけるのでしょうか?

本日も吉井町に出陣とのことで攻城の成果を期待しております。

あっ、それがしは週末は↑の雨雲に好かれた男様とお出かけでございます(笑)
史進 2008/10/30(Thu)20:45:59 編集
Re:さすがでございます
今晩は。

>稲荷社あたりから民家裏にいけるのでしょうか?
ピンポン、大正解でございまする。
稲荷神社跡東側の道を崖まで進み、右に曲がればいくらもしないでそのまま土塁の上に出ます。

なお宅地の北側に所在することと、土塁と西側の台地の続き方が些か不自然な印象も拭えませんでした。
こうしたことから近世以降の季節風対策の風除け土塁という要素も視野に入れておくべきかも知れません。

>本日も吉井町に出陣とのことで攻城の成果を期待しております。
数合わせの一か所については、単なる上信越道側道脇の畑でございました(汗)

>あっ、それがしは週末は↑の雨雲に好かれた男様とお出かけでございます(笑)
週末は今のところ大きなくずれはなさそうですね。
お気をつけて行ってらっしゃいませ~
なお、某は仕事と休養(足がパンパン)にて。
【2008/10/31 09:17】
Trackback
この記事にトラックバックする: