本来は中世城館跡めぐりがテーマのはずでありました。もっとも最近は加齢と共に持病が蔓延し本業が停滞傾向に...このためもっぱらドジなHP編集、道端の植物、食べ物、娘が養育を放棄した2匹のネコ(※2019年11月末に天国へ)などの話題に終始しております (2009/05/21 説明文更新)
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武蔵国入東郷の地下人小頭@和平
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定年を過ぎました~
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「余り遺構の無い城館跡めぐり」と「ネコいじり」並びに「観葉植物の栽培」など数だけは
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先日、拙HPのトップページを何時ものように何気なくボッーと眺めておりました。
すると訪城した季節や地理的条件により、その地形を含む遠景の構図自体にかなりの共通性があることを今頃になって発見(笑)

冬季に訪れた山城は、大部分背景が青空で山城の遠景が中央付近に所在。
5月以降に訪れている平地の城館跡は、緑豊かな台地もしくは平地林が中心的な被写体を形成。
特に水田地帯の低地に所在するタイプの城館跡は、極めてその遠景が酷似しているために当人自身が時々区別がつかないことも(汗)

もちろん多分に自分の趣向が画像に反映している結果であることには相違ありません。
しかし半面では、現代社会とは異なり地理的情報や道路網が未発達な中世において、地理不案内な地域を軍事的に制圧するということは、想像以上に如何に大変な時間と労力を伴うものであったかということがつくづく偲ばれるのでありました。
また、天候に左右されやすい劣悪な装備のもとでは、まさに「地の利」が非常に大きな要素を占めることが十分に予想され、先導や抜け道などの道案内などが行える在地領主階層の帰趨(調略)が重要であったのかなどについて改めて実感するに至りました。

寺山砦-秩父市根古屋城-飯能市
真冬の「寺山砦」と「根古屋城」

桑原堀の内-蓮田市江ヶ崎城-蓮田市
真夏の「桑原堀の内」と「江ヶ崎城」


さて今月はどちらの方面へ参ろうかと案じていたところ、急遽滑川町(比企郡)のなかでは未訪城で、不詳なことで有名?な「城原城」(じょうはらじょう)「土井城」(どじょう沼の転訛?とも)「小高館」(おだかやかた)「山城沼砦」(やましろぬまとりで)という極めてあやふやな情報しか把握していない伝承地の以上4ヶ所に内定。

さて、その理由はというと滑川町の文化財担当の方の対応が適切かつ親切であったことによるものであります。
自治体の担当者の対応次第で随分とその自治体に対する印象が左右されるということを改めて痛感。
以前訪れたO市では庁舎の敷地内に建立されていた石碑の存在を担当者が認識していなかったり、H市では市史の写真の説明の錯誤について責任を著者に擦り付けたりと見苦しい対応を受けてきたこともあり、滑川町の担当者の対応にはたいへん好印象を持てました。

ということで、白岡町はその次の機会に繰り下げ。
しかし、休みと天候の折り合いがなかなか...
なお、薮蚊どころか、間違いなくマムシなども棲息していそうな池沼地の多い地域なので要注意の模様。

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遠景は美しいのですが・・・
通常の城館の遺構(近景)は規模の小ささに藪が手伝って写真の写りがあまりよく出ませんね。
自分も訪問した城館の遠景は必ず撮影するという拘りを持っていますが、より良い遠景写真というのがなかなか撮影できないものです。なので和平様の撮影テクニックは私の中では羨望状態だったりします(笑

滑川町の地図を見直してみると、確かに「土井城入沼」や「山城沼」という沼がありますね。存在すら知らなかった城館なので和平様の訪問記録がとっても楽しみです。

私は最近、興味のある城館の詳細地図を各市町村役場にて購入し、更なる好奇心を高めていたりします。詳しい物になると2mの標高おきに線が引かれていて、それを見ているだけである程度の地形が想像できるので素晴らしいです。
ただ山城の正確な登山口まで記入されていない物が多く、この辺りは近隣の住民の方々に聞き込みしながら探すしか無さそうですね。

ではまたお邪魔致します。
武蔵国入間郡の住人 儀一 2006/09/13(Wed)00:34:10 編集
Re:遠景は美しいのですが・・・
>通常の城館の遺構(近景)は規模の小ささに藪が手伝って写真の写りがあまりよく出ませんね。

自分の場合も画像にすると、肉眼では立派な空堀や土塁、枡型小口もしばしば只の草木に覆われた藪だったりすることが多いです。

>自分も訪問した城館の遠景は必ず撮影するという拘りを持っていますが、より良い遠景写真というのがなかなか撮影できないものです。なので和平様の撮影テクニックは私の中では羨望状態だったりします(笑

遠景については、付近を一周できる場合にはぐるっと回って撮影ポイントを探しています。
下手をすると遺構を探している時間よりも周囲を回っている時間の方が長い場合が多かったりします。
あとは勿論ひたすら画像修正で上げ底してます(笑)
ただ、時々そのことによりその城館跡の周辺の地形との関係が明確になる場合もたまにはありますので半ば習性と化しています。

>滑川町の地図を見直してみると、確かに「土井城入沼」や「山城沼」という沼がありますね。存在すら知らなかった城館なので和平様の訪問記録がとっても楽しみです。

多分に「伝承のみの要素」が強そうなのですが、それも中世城館跡めぐりの楽しみのひとつかと思っております。

>私は最近、興味のある城館の詳細地図を各市町村役場にて購入し、更なる好奇心を高めていたりします。詳しい物になると2mの標高おきに線が引かれていて、それを見ているだけである程度の地形が想像できるので素晴らしいです。
>ただ山城の正確な登山口まで記入されていない物が多く、この辺りは近隣の住民の方々に聞き込みしながら探すしか無さそうですね。

地形図などから判読すると中世城館跡らしき地形がぞろぞろ出てきますね。
たとえば、滑川町の「池沼の報告書」に添付された地形図を見ると、もう城館跡だらけのようで特に市野川とその支流の周辺には興味深い地形が散在しとても収集がつかなくなりそうです。
北武蔵地域には戦国時代の「一騎駆け」クラスの土豪の居館(館・屋敷)を含めると、その動員兵力の構成などから考慮すれば、「村の城」などのものも含めると、少なくとも16世紀の末ごろには2千ヶ所以上存在していたとしてもそれほど不思議はないものと思われます。
もちろん近世、近代において開墾などにより消滅したものもあるでしょうし、加えて埼玉県は文化財保護法や都市計画法などの法律が整備される以前のゴルフ場建設ブームや宅地造成などの乱開発により相当数の遺構が失われていったものと推定されます。
しかし、歴史的経緯はおろか伝承さえも消失したにも拘らず、未だに遺構の一部と目されるような地形が存在していることもけっして少なくはないようです。
文献資料や発掘などを伴う所謂学術的なものとは別に、そうした視点には大変興味深いものがありますね。

何時も興味深いコメントをありがとうございます。
【2006/09/13 02:36】
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