本来は中世城館跡めぐりがテーマのはずでありました。もっとも最近は加齢と共に持病が蔓延し本業が停滞傾向に...このためもっぱらドジなHP編集、道端の植物、食べ物、娘が養育を放棄した2匹のネコ(※2019年11月末に天国へ)などの話題に終始しております (2009/05/21 説明文更新)
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現在二本松城更新準備のために、「二本松市通史編第1巻」を南北朝期頃からボチボチ目を通している最中です。
そうしたところ15世紀初頭の奥州探題畠山満泰の事跡として、「太郎丸城」を攻略したという関東公方御教書に関する記述が登場いたしました。
通史の著者は複数の可能性のうちの一つとして、埼玉県嵐山町の「旧太郎丸村」の存在とその関連性を指摘されております。
まさかこんな所で当方の「城館まがい」と対面するとは思いもよらないことで。
まさに出会いがしらの衝突のようなものではありますが、早速拙サイトの記述に引用追加させててただきました
尤も同書では詳細な所在地を示しているわけではなく、あくまでも地名としての関連性から可能性の一つとして示唆しているに過ぎないのであります。
さらに「新編武蔵風土記稿」でも近世の初め頃に分村した枝郷であるというような記述もあることなどから、けっして「城館まがい」が「城館」に格上げされる可能性が増えるというものでもございません(苦笑)
そうしたところ15世紀初頭の奥州探題畠山満泰の事跡として、「太郎丸城」を攻略したという関東公方御教書に関する記述が登場いたしました。
通史の著者は複数の可能性のうちの一つとして、埼玉県嵐山町の「旧太郎丸村」の存在とその関連性を指摘されております。
まさかこんな所で当方の「城館まがい」と対面するとは思いもよらないことで。
まさに出会いがしらの衝突のようなものではありますが、早速拙サイトの記述に引用追加させててただきました
尤も同書では詳細な所在地を示しているわけではなく、あくまでも地名としての関連性から可能性の一つとして示唆しているに過ぎないのであります。
さらに「新編武蔵風土記稿」でも近世の初め頃に分村した枝郷であるというような記述もあることなどから、けっして「城館まがい」が「城館」に格上げされる可能性が増えるというものでもございません(苦笑)
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