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ようやく今月初めての訪城。
先月は貧血騒動、今月は足首のじん帯不調...(苦笑)
元来が出不精の性質なので、一端のんびりすると出かけることが億劫になるらしく。
何のかんのと理由をつけて出かけぬことを正当化していた向きも。
足首の方は昨日平地を歩いて確認した限りでは殆ど問題なく。
立ち上がり動作に注意して、階段や急坂などを避ければ概ね行動可能と想定。
とはいえ念のためにテーピングを施しサポーターを装着。
「藤岡市史資料編」では、北側から東側にかけて高さ1mほどの土塁が残存しているとの記述が。
しかし現状はコンクリート製品製造企業の製品置場に変貌。
敢えて面影を辿るとすれば同書でも記されている北側に面した細長い畑。
及び笹川(流路の河川改修)と館の川と呼ばれる神流川に平行する細い水路。
それに氾濫原との地形を分かつ比高差3mほどの崖線というところでありましょうか。
それでも北東側の2本の流路の合流点付近から見渡してみますと、平地とはいえある程度の要害としての要素を帯びていることが感じられるのでありました。
いずれにしましても事前の情報・資料がなければ、中世城館跡とは想像しにくい現状ではありました。
季節柄道路脇の民家の鮮やかな花色を持つ「紫蘭」が目立ち、また比較的珍しい白花の品種のものにも対面。
このようにして冒頭からある程度予想していたこととはいえ、訪城6割、植物4割という配分となってしまったのであります。
凸戸塚城(同 上)午後12時20分~12時50分
小林館の北方に所在する微高地で東側は神流川の低地に面し、水田面との小林館同様にその比高差は3mほど。
但し拡幅されたと思われる市道が存在するために以前の地形は不明。
残りの三方が細い農業用水路に囲まれたやや南北方向に細長い形態。
「藤岡市史資料編」などによれば、構造上は内郭を有する二重方形館と考えられそうです。
残念ながら肝心の内郭部分については、最早その所在地を特定する手立てが無さそうな印象も。
しかし、下戸塚の集落の中心部であることは理解できても、この現状の地形からだけでは直ちに中世城館跡とは想像しにくいものがあります。
現在東側を流れる一部だけ二重の用水路、南側の一部開口式の用水路等に面影を辿る以外にはなさそうでした。
こちらでも「黄花菖蒲」「黄花秋桜」が、まさに花の盛りの時期を向かえておりデジカメは半々の撮影枚数に。
凸森東城(同 上)午後13時10分~13時40分
当初は外郭と推定されている道路部分を完全に一周しようと心に決めていたものの、このあたりから照りつける日差しの強さが増し次第に気温が上昇。
このため忽ち軟弱モードに切り替り、内郭部分と北東の鬼門に位置する飯玉神社を中心に見学。
さて、本日の訪城では唯一遺構とご対面できた城館跡。
尤も地元旧家の宅地西側を中心とした土塁・空堀遺構のため勿論道路脇からの見学。
堀幅約3間から3間半、土塁の高さは堀側で約1.5m、延長は約50mで南辺の一部にも明確に残存。
北側にも遺構は続いている様子が見て取れるものの、宅地境界部分であるためはっきりとは分からず。
現状を維持管理されている所有者の方に心より感謝を。内郭の西側周辺では、現在新しい戸建住宅の建設が進行中。
以前にはもう少し歴史を感じるような景観が残されていたようにも思えるのでありました。
ここでも初夏の風に揺れる「矢車菊と三尺バーベナ」に目が行き五分五分の状況。
凸森城(同 上)午後14時10分~14時40分
城館跡は東西南北それぞれ約200mの規模の正方形。
森東城とは泉通寺と県道を挟んで隣接。
南西には森西城もほぼ隣接。 資料によればかつては南西部に堀跡らしき連続した窪みが所在したとの記述が。
勿論現在ではその形跡は全く確認できず。
県道に架かる歩道橋上から俯瞰してみたものの、南東の部分には広々としたブドウ畑が広がるだけなのでありました。
寧ろ北東にほぼ隣接する形の曹洞宗泉通寺西側の古い墓石の立ち並ぶ土塁状地形(高さ最大2.5m、延長約60mほど)の方が気にかかるのでありました。
凸森西城(同 上)午後14時50分~15時10分
資料によれば、内郭は東側を除いて土塁などが残るとの情報。
西側は民家との境界部分で殆ど確認できず。
南側の西端にも土塁状の高まりを塀越しに拝見できるものの、近年の造園工事との判別がつきにくく。
北側は道も無く防風林の竹に囲まれている状況のため全体状況の確認が難しく。
こちらも、県道沿いのアスファルトの隙間に逞しく自生中の紫、ピンク、白色などの「矢車菊」のバリエーションがとても印象的な城館?探訪なのでありました。
天候の心配もなく、日没まではまだ2時間前後も余裕が。
しかし、本日はあくまでも足慣らしの予定。
暑さに極端に弱い体質のため、早めに撤収したこともあり心配された足首の痛みは発症せず。
しかし、帰宅してから自宅の階段を下りる時にズキンと脳天に響く激痛が(苦笑)
それでも、デジカメ撮影の際に右足首を深く曲げられるようになってきたので、これも本日の大切な収穫の一つには違いなく。
とくに泉通寺の土塁状のマウンドは見てみたいです。
とはいえ当分の間は訪れる予定もないのですが(汗)
私はここ2週間で遺構を拝めたのは泉ヶ城の土塁(笑)、某館の土塁と関戸城の堀切のみで16戦2勝13敗1分けといったところでしょう(笑)
今週末もまた連敗街道まっしぐらかと(飯能)
足のリハビリ根気よく続けてくださいませ。
無理は禁物ですよ~
>こんばんは、森城シリーズなかなか興味があります。
>とくに泉通寺の土塁状のマウンドは見てみたいです。
>とはいえ当分の間は訪れる予定もないのですが(汗)
森東城西側の土塁と堀跡(多分本来は水堀か)は山崎氏の基礎調査及び「富藤岡市史」の見解から判断すれば由緒正しい遺構である模様です。
しかし泉通寺の土塁状地形につきましては、鏑川や烏川などの河川の氾濫から墓地を守るために築かれた堰堤のようなものの名残りかもしれません。
但し庭園の植栽のための可能性もありますが、境内南側にもこれに続く形で僅かに土塁状の痕跡が残されていました。
なおブログには掲載しておりませんが、森西城の北側では竹林越しによく目を凝らせば概ね高さ1mほどの土塁のラインを確認することができます。
>私はここ2週間で遺構を拝めたのは泉ヶ城の土塁(笑)、某館の土塁と関戸城の堀切のみで16戦2勝13敗1分けといったところでしょう(笑)
>今週末もまた連敗街道まっしぐらかと(飯能)
山城と異なりテンションは上がりませんが、当方もこのまま勝率を度外視。来月には神流川古戦場関係の史跡を含め、残りの藤岡市内の「城館跡の跡」を2回ほどに分けて回る予定です(苦笑)
>足のリハビリ根気よく続けてくださいませ。
>無理は禁物ですよ~
ご配慮誠に、ありがとうございます~
無理したくとも体と気持ちがついて参りませぬ~
森城砦群は前々から気になっていたのですが、
実際の現地の様子を見ることができて感激であります。
まずは着実な復活への第一歩を踏み出されたようですね。
尾張遠征は4勝1敗3分といったところでした。
そのうち名古屋城は完投、
犬山城は完封勝利という感じでしょうか。
欲を言えば清洲城や岡崎城、小牧山城のいずれかも寄りたかったのですが、
続きは次回の講釈ということで。
あとありきたりのものですが、
名古屋城と犬山城のパンフを、
和平様と史進様の分と計3枚貰っていますので、
次回の城攻めの際にお持ちいたしまする。
こんばんは。
返信が遅くなり失礼をいたしました。
>森城砦群は前々から気になっていたのですが、
>実際の現地の様子を見ることができて感激であります。
森東城の遺構は住宅地の中にあって、まさに奇跡的に残存しておりました。
残りの2か所につきましては、西城が可も無く不可も無く、中城は「...」という印象でございました。
>まずは着実な復活への第一歩を踏み出されたようですね。
何とか城跡めぐりは復活いたしましたものの、城館関係の累積債務だけでも40件に増えましてございまする(苦笑)
>尾張遠征は4勝1敗3分といったところでした。
>そのうち名古屋城は完投、
>犬山城は完封勝利という感じでしょうか。
尾張は城跡・史跡等が多く、某の能力の範囲を超えているものと存じまする(汗)
完投、完封を含めての4勝1敗..とは、誠にすばらしき戦果にて。
当方もこの夏にはそろそろ復元建造物を伴う近世城郭にも手を染めようかと画策いたしております。
但し、混雑をさけてなるべくマイナーなところから..(笑)
>名古屋城と犬山城のパンフを、
>和平様と史進様の分と計3枚貰っていますので、
>次回の城攻めの際にお持ちいたしまする。
お取り込み中にも拘らず、お心遣いをいただき誠にありがとう御座いまする。