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最近、加齢とともに朝の目覚めは早く。
しかし傍らにはネコたちの気持ち良さそうな寝顔が。
このため2度寝してしまうことも珍しくなく。
訪城の予定日当日も例外に非ず。
まさに春暁。
凸塩沢の砦(群馬県藤岡市-旧鬼石町) 12時45分から16時00分
寝坊+行楽シーズンの渋滞+圏央道の突貫工事による交通規制。
この結果、往路の所要時間は約3時間半。
かくて登り始めたのは既に12時45分。
それでも日没時間が遅くなり、本日は雨の心配もないのことから最低5時間は行動可能と推定。
山頂への登攀ルートは地形図を見る限りでは、北西、北東、東のおよそ3ヶ所ほどかと。
始めに地元の方に入山の了解をいただき、予め下山ルート1か所を確保。
たまたま伺った方はこの山の所有者なので情報は確実そのもの。
さて、残り2か所は「東側のハイキングルートを南下して途中から鞍部へと登り詰める」ルートがひとつ。
もうひとつは「北西の尾根筋?経由」を想定。
最近楽なところばかりなので、自らの体力を確認する必要も。
このため敢えて道のなさそうな北西の尾根筋とも呼べないような斜面から直登開始。
比高差約180m、最大斜度45度、危険な岩あり、まともな道なし。
標高1千m前後であれば場合により遭難の危険も。
今回は幸い標高400m未満のため人家も近く..と思ったのがよくある間違いの元。
三波川沿いの行き止まりの林道の途中から斜面を登攀。
予想通り足場が悪く、登りたくとも登れないという事態に直面。
地形図を頼りにひたすら西方へと斜面を移動しつつ登攀ルートを模索。
漸く露岩が目立つ尾根筋状地形に出て九十九折にて直登。
しかし、この時点で最近富に耐久性が欠如しつつある両足首に異変が。
息が切れるのは別にしても、昨年末の三ツ山城に続き足首に全く力が入らない状態に。
ここで諦めれば、もう山城には登れないと悲壮な覚悟を。
3歩ほど登っては、杉の植林に寄りかかり。
このようにして足首の回復を待つという、誠に情けない動作を幾度となく反復。
尤もこのお蔭で、途中資料の縄張図には示されていない比較的大きな腰郭状地形も確認。
貧血のため、だんだんと遠のきはじめる意識。
それでも次第に高度を上げ、主郭直下に所在する北西の大規模な腰郭下部に到達。
しかし、ここからが腰郭の切岸直登となる最大斜度45度の文字通りの正念場に。
実際に登攀してみて、この方向から攻め上ることの難しさを確認。
最終的に何と約70分を要して登攀完了。
元気な人ならば40分もあれば登れるはずかとも。
さて主郭と腰郭の比高差は約2mほど。
主郭南側には最大高さ1m、延長50mほどの低土塁が南側を中心に現存。
東側には山城では比較的珍しい構堀が南北方向に普請。
ここで暫し昼食タイム。
とはいえ僅かにお握り1個のみという誠にささやかなもの。
主郭からの眺望は西と北にやや開けているものの、全体として余り良好とはいえず。
元来が東側以外はより標高が高い山に囲まれた地形。
その点は清水山城に酷似した立地条件。
山頂自体は東西50m、南北30mと、予想よりも遥かに広く程よく削平。
所有者の方からは平らな場所があるだけとのお話。
当方としてはその平らな場所、並びにこれに付随する凸凹地形に強い関心が。
腰郭を含め確認できる遺構はすべて見逃さないようiに、先ずは下山路となる北東尾根筋から探索。
ところが比高差にして約80mほどの急斜面。
さらに体力が喪失するという結果に。
それでも縄張図通りにおよそ5、6か所ほどの大小の腰郭群を確認。
再び斜面を這い上がり、主郭へと戻り南側の稜線鞍部へ。
尾根筋の東側には人工的に削平された形跡のある平場が所在。
さらに少し南へ進むと、一目でそれと分かる堀切状地形が出現。
堀幅は6mから8mほど、長さは15m前後で竪堀は伴わず。
深さは主郭側で3mから4m前後の規模。
尾根続きの鞍部に普請されていることから典型的な堀切遺構と考えて差支えがなさそうかとも。
西側はやや緩斜面となるものの東側は予想以上の急斜面を形成。
ここで東側谷筋からのルートは、尾根筋への取り付きにかなりの困難が伴うことを確認。
さて帰路は予定通りご教示いただいた北東の尾根筋から下山し民家背後の社脇へと下山。
所要時間は僅かに25分ほど。
しかし、こちらから登ったとしても当方の現在の体力では1時間近くかかりそうな急斜面が。
凸枇杷尾根城(群馬県藤岡市-旧鬼石町) 16時10分から17時15分
本日は天候に恵まれ夕刻になっても西方は晴天のまま。
このため体力的には限りなくゼロに近い状態であるにも拘らず、道路沿いの民家の満開の梅の花を愛でさせていただきながら城跡である廃校となった三波川東小学校へ。
確かに校庭北側の段々畑は城郭関係遺構のようにも見えなくも無く。
しかし後世での地形改変の要素の方が大きいようにも思われるようにも。
その一方で、学校跡の南東方向の尾根筋には2段の腰郭が。
上段部分は学校敷地の造成時に一部改変されている様子が感じられるものの、下段の腰郭は切岸をともなう20m四方の明確な削平地として現存。
加えて西側部分には高さ1m、長さ5mほどの堀上土塁状の地形も確認。
さらにその西側には堀切状地形さえも存在。
夕刻のどさくさに薄暗い斜面を這い上がっただけの甲斐が。
本日は何時にも増して遅い出陣であったにもかかわらず予想外の遺構との遭遇も。
数を稼ぐことは叶わなかったものの、それなりに充実した訪城成果となったのでありました。
春の訪れは思いのほか早く、標高500m未満の山城探訪は今月末頃までが目安のように。
相当な覚悟で直登されたのですね。
その緊張感と傾斜角のすごさが文面より伝わってまいります。
新たに発見された塩沢の砦の堀切、
枇杷尾根城の遺構地形と大収穫ですね。
山城、しぶとくG.W一杯頑張るつもりでいます。
大収穫との過分なる評価を賜り、誠に恐悦至極に存じまする。
某の場合にはなかなか1か所から動けない性分・体力に御座いまする故、重箱の隅をつつくような探索と成り果てまする(汗)
さて「塩沢の砦」については、主郭および腰郭というよりも2の郭などと言い表したほうが良さそうな規模を有していました。
また、堀切・構堀・平場などの普請状況も考え合わせますと、少なく見ても百人ほどは篭ることがでそうにも思われます。
この人口の少ない三波川沿いの渓谷を監視する役割としては、余りにも十分すぎる規模を有しておりました。
またその要害性の高さに加えて、真下城、諸松城とも尾根筋経由で連絡を取り合うことも可能ですので、「砦」と呼ぶには些か勿体ないような(笑)
一方枇杷尾根城については、資料によれば「遺構は殆ど消滅した」との指摘がありました。
しかし一部の腰郭については、しぶとく土塁・切岸・堀切付にて残存しておりました。
こちらの方は、ありそうだと予測していた「塩沢の砦」の堀切とは異なった意外性が。
夕闇迫る薄暗い山中にて、ことによると夢ではないかと暫し目を擦りつつ一人静かに感動しておりました。