本来は中世城館跡めぐりがテーマのはずでありました。もっとも最近は加齢と共に持病が蔓延し本業が停滞傾向に...このためもっぱらドジなHP編集、道端の植物、食べ物、娘が養育を放棄した2匹のネコ(※2019年11月末に天国へ)などの話題に終始しております (2009/05/21 説明文更新)
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土曜日に予定していた日高市方面へ。
凸女影ヶ原古戦場
予め霞野神社の辺りかと見当を。
神社はメンテナンスのため社殿の扉が半分空いた状態。
浄財38円で、いつもどおり世界平和と家内安全を祈願。
運転中に僅かな腰痛の予兆を思い出す。
慌てて無病息災も追加。
神社の境内自体も自然地形などとの区別が難しいものの中世的雰囲気が。
古戦場の石碑が直ぐには見つからず、ほんの少しだけウロウロ。
道路沿いとはいえ鬱蒼とした林なのでひたすら陰気な画像に。
凸女影氏館
遺構の規模としては小規模なものの、「日高市史」掲載のほぼ30年前の調査資料どおりの土塁・空堀の遺構に対面できて感激。
人家が近いことから、既に消滅したものと誤解していたので嬉しさ倍増。
二重の水路は水堀の役割を果たし、水田と深田の間に浮かぶ半島のような景観かと。
唯一の弱点である南西側の尾根側には、堀切などが備えられたのかも知れない。
遺構の時代背景は、折のある形態から考えて戦国期のものと推定するのが無難な模様。
内堀に沿ってぐるっと反時計回りに一周。
途中、高さ10mの巨大な産廃の山に遭遇しテンション低下。
凸三枝氏屋敷と長松寺
三枝氏菩提寺の長松寺にて三枝氏一族の墓を墓参。
そのあと、目星をつけておいた三枝氏屋敷へ。
こま川団地近くの高根中学校のすぐ裏側。
とはいえ天候の影響もあり、周囲の空気がやけに重たく...
浄財と墓参の効用は如何...
凸愛宕山の旗塚
一転して、人気の多いこま川団地の丘陵地帯最高地点へ。
現在は団地の中の道路の一部に。
しかし、付近には少し驚くほどの急な坂道が所在。
まさに新田義貞が旗幟を立させたという伝承に相応しい地形。
凸中鹿山の陣屋
カーブを描いた長さ60mから70m、高さ2mから3mの大規模な土塁と空堀跡が所在。
現在北側で宅地造成進行中。
今後予想される住宅の建設により、以後この遺構を目にすることは事実上不可能に。
周辺の道路形状から推定する限り、館跡の規模は更にひとまわり大きかったようにも。
凸内村屋敷
「日高市史」によれぱ、下鹿山の諏訪神社境内が屋敷跡とのこと。
石鳥居と古い祠のみの小さな神社。
何故か本殿に園芸用ネットがすっぽり。
祠の左側の踏み跡を進むと何やら遺構の趣が。
まず、高さ60cmの土塁風の連続した土の高まりを確認。
これに並行して幅約5m、深さ1m前後、長さ30m以上の堀跡風の規模の大きな溝も。
時代背景は不祥なもののそれほど新しいものとは思われず。
ほんのついでに寄ったにしては予想外の成果が。
テンション再び上向きに。
以上館・屋敷跡4ヶ所+古戦場関係2ヶ所を探訪。
この時点で雨が降らないことは経験的に明確。
しかし城館関係も目標の4ヶ所をクリアしたものの、全く晴れ間が出ないやや重苦しい曇天。
湿度がとても高く空気が重たく感じてきたので記憶力の限界も考慮して退城決定。
帰宅途上になりやっと青空が広がり始め、涼風とともに湿度も低下して爽やかな陽気に...
凸女影ヶ原古戦場
予め霞野神社の辺りかと見当を。
神社はメンテナンスのため社殿の扉が半分空いた状態。
浄財38円で、いつもどおり世界平和と家内安全を祈願。
運転中に僅かな腰痛の予兆を思い出す。
慌てて無病息災も追加。
神社の境内自体も自然地形などとの区別が難しいものの中世的雰囲気が。
古戦場の石碑が直ぐには見つからず、ほんの少しだけウロウロ。
道路沿いとはいえ鬱蒼とした林なのでひたすら陰気な画像に。
凸女影氏館
遺構の規模としては小規模なものの、「日高市史」掲載のほぼ30年前の調査資料どおりの土塁・空堀の遺構に対面できて感激。
人家が近いことから、既に消滅したものと誤解していたので嬉しさ倍増。
二重の水路は水堀の役割を果たし、水田と深田の間に浮かぶ半島のような景観かと。
唯一の弱点である南西側の尾根側には、堀切などが備えられたのかも知れない。
遺構の時代背景は、折のある形態から考えて戦国期のものと推定するのが無難な模様。
内堀に沿ってぐるっと反時計回りに一周。
途中、高さ10mの巨大な産廃の山に遭遇しテンション低下。
凸三枝氏屋敷と長松寺
三枝氏菩提寺の長松寺にて三枝氏一族の墓を墓参。
そのあと、目星をつけておいた三枝氏屋敷へ。
こま川団地近くの高根中学校のすぐ裏側。
とはいえ天候の影響もあり、周囲の空気がやけに重たく...
浄財と墓参の効用は如何...
凸愛宕山の旗塚
一転して、人気の多いこま川団地の丘陵地帯最高地点へ。
現在は団地の中の道路の一部に。
しかし、付近には少し驚くほどの急な坂道が所在。
まさに新田義貞が旗幟を立させたという伝承に相応しい地形。
凸中鹿山の陣屋
カーブを描いた長さ60mから70m、高さ2mから3mの大規模な土塁と空堀跡が所在。
現在北側で宅地造成進行中。
今後予想される住宅の建設により、以後この遺構を目にすることは事実上不可能に。
周辺の道路形状から推定する限り、館跡の規模は更にひとまわり大きかったようにも。
凸内村屋敷
「日高市史」によれぱ、下鹿山の諏訪神社境内が屋敷跡とのこと。
石鳥居と古い祠のみの小さな神社。
何故か本殿に園芸用ネットがすっぽり。
祠の左側の踏み跡を進むと何やら遺構の趣が。
まず、高さ60cmの土塁風の連続した土の高まりを確認。
これに並行して幅約5m、深さ1m前後、長さ30m以上の堀跡風の規模の大きな溝も。
時代背景は不祥なもののそれほど新しいものとは思われず。
ほんのついでに寄ったにしては予想外の成果が。
テンション再び上向きに。
以上館・屋敷跡4ヶ所+古戦場関係2ヶ所を探訪。
この時点で雨が降らないことは経験的に明確。
しかし城館関係も目標の4ヶ所をクリアしたものの、全く晴れ間が出ないやや重苦しい曇天。
湿度がとても高く空気が重たく感じてきたので記憶力の限界も考慮して退城決定。
帰宅途上になりやっと青空が広がり始め、涼風とともに湿度も低下して爽やかな陽気に...