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早朝に新聞を取りに玄関へ出ると何故かアスファルトの路面が濡れておりました。
昨夜から今朝方にかけて雨音の気配には全く気付かず。
おかしなこともあるものだと思いつつ、ふと傍らの地面に視線を移動。
霜ではない何やら白いものがうっすらと。
よく見れば積雪量は限りなくゼロに近い初雪。
とはいえ西方は雲がなく、日中の晴天を期待できる空模様。
目覚ましは一応6時前にセット。
しかし適度に温かい布団の中で少しずつ目的地を削減。
余りの心地よさについつい惰眠を貪ってしまったのでありまする。
かくて午前7時過ぎに漸く第6次上野厭世遠征に出発--辞書機能不具合のためか、何故か「厭世」に変換されるのであります。
凸黒熊中城 (群馬県吉井町 以下同)午前9時50分~10時50分
舌状台地の先端部分に所在。
資料によれば延命寺境内が主郭で、南側の内出と呼ばれる個所が二の郭に相当する模様。
歴史を感じさせる宝篋印塔や五輪塔が所在する墓地脇の竹林。
何かありそうにも思えたのですが、ごく普通の斜面でこれといって格別の成果はなく。
堀跡は西側の谷川を利用しており非常に分かりやすい地形。
このほか段差の目立つ地形がそこかしこに所在するものの、そのままそのすべてを城館遺構と断定するには幾分躊躇するのでありました。
後世の宅地化や開墾の影響を無視できないような印象が感じられるのであります。
遺構の方はさて置き、両郭を分断する道路の突き当りの場所に面白いものを発見。
ブロック塀に描かれてた交通安全キャラクターたち。
「ピーナツのピー子ちゃん」「タマネギのとんぺいクン」「カボチャのおとっつぁん」「キャベツのおっかさん」「トウモロコシのぺろりん村長さん」「クルミのくる子ちゃん」「クルミの頑固じいさん」などなど「チロリン村とくるみの木」のオールスターキャスト。
♪♪らんらんチロリン野菜村♪♪
その描かれたキャラクターの色褪せ加減と相俟って誠に郷愁をそそるのでありました。
凸奥浅間の砦 午前10時55分~11時40分
上信越道脇に所在する浅間神社の数か所の平場は、確かに如何にも曰くありげな雰囲気を漂わせております。
またこの奥に所在する入野碑が建立されている比高差50mほどの見晴らしの良い尾根筋も山頂の削平と切岸の印象が濃厚。
そして、資料によればさらにその奥の奥浅間山とも呼ばれているゴルフ場の中に所在する小山は物見、狼煙台との可能性を指摘されていまるひときわ目立つ地形。
しかし事前の予想通り、この奥浅間山へ向かうにはどうしてもゴルフ場の中を通過せねばならず。
加えて50m下って再び50m登り、帰りにまたこれを繰り返さねばならず。
左膝の状態を考慮してあっさりと尾根筋から眺めるだけに止めることといたしました。
吉井町の資料では黒熊中城と一体の遺構として捉えていますが、直線距離にして600m以上も離れていることから一応別の遺構群として取り扱うこととした次第。
折から植林された早咲きのロウバイの幼木が見ごろになっておりました。
しかしこのあとで文字通り「周章狼狽」する羽目に陥ったのでありまする。
凸小串城 午後1時10分~1時55分
ボケるにはまだ早すぎる年齢でありますが、久しぶりに見当識を完全に喪失。
早い話が現在自分のいる場所が何処なのか分からなくなったのでありまする。
付近に住家などは皆無。
勿論台地上に目印になるようなものも皆無。
耕地整理のため、これといって特徴のない細い農道が東西南北に幾本も所在。
方角自体は概ね合ってはいるものの、高圧線の鉄塔の位置などからどうも地形が資料とは明らかに違うような印象。
適当に見当をつけて鏑川沿いの舌状台地先端を目指したのが拙かった様で。
国道254線の位置が異なり、眼下に見えるはずの入野小学校の建物が全く見えず。
止むを得ず一度国道に出てから、ひとつずつ交差点名を確認しながら西へと進むことに。
結果はなんと1kmも東側の台地の辺りを彷徨していたのでありました(大汗)
おまけに肝心の国道が道路工事により片側通行止めの大渋滞。
何のかんので90分ほどのロスタイムが発生。
国道から向かったルートは一発で目的地に到着し、殆んど失いかけた見当識を取り戻すことに成功。
取り立てて目立った遺構は存在しないものの、資料の縄張り図通りの曲がりくねった道路が現存。
搦め手のルートは上方の郭からはものの見事に横矢がかかるように布設。
また、この台地からは奥浅間山方面もよく見渡すことができることを再確認。
このあとは先ほどまでのもたつきがjまるで嘘のようにまさに山勘大当たり連発となり、どうにか5か所の制覇を達成したのでありまする。
上記の画像はシイタケ栽培の原木の山越の榛名山の威容。
この日は日差しはあるものの、常に上州名物の北西風が5mから6mほど吹きすさぶという天候。
このため時々こうした風避けの陰で資料にメモなどをしておりました。
凸峯山城 午後2時20分~2時45分
大武神社が目印なので所在地自体はまず間違えようもなく。
神社の入口近くに駐車して徒歩にて台地の先端部へ。
現状は豚舎を含む施設が一面に立ち並び、遺構と呼べそうなのは東側の堀跡らしき窪地と西側の笹曲輪と呼ばれる尾根筋付近のみという印象。
このため撮影させていただくアングルに苦慮することに。
とうにか城跡としての地形の特徴を反映しているのが下記の小口付近とされる辺りかと。
凸多胡下城 午後3時10分~4時00分
上信越道の南側に所在する、とくに目印がないこの場所も何故か一発で到着。
四駆の軽なのでおそらく山頂まで行けそうな気配も。
山頂が削平された独立峰であるにもかかわらず、遠方からは見分けがつきにくい立地条件。
真北に聳える榛名山、時々雪雲に隠れる赤城山、中腹より上が冠雪している浅間山と上州の名山を眺めるには相応しい地形。
しかし肝心の遺構の方は地面の確認ができないほどに篠竹が密生。
尤も資料によれば方形の単郭の周囲を取り巻く堀跡は消滅しているとの記述が。
おそらくは桑畑の開墾の際に削平されたものと考えられます。
それでも北辺の西側には帯郭状の地形と郭状の削平地が所在。
しかし、これとても予め資料がなければただの山道と幅の広い平坦な尾根筋にも見えるのでありました。
本日も往復所要時間は軽く5時間以上。
以前ならば、眠気と腰痛のためせいぜい往復3時間くらいまでが限度だった時も。
ところが慣れというのは不思議なもので。
ある程度連続して出かけていると、復路の運転が全く苦にならなくなってきたような。
北西の風がやや強めで、体感温度は摂氏0度くらいかと。
暑さに弱い性質なのでこのくらいの寒さは呼吸も楽なので大歓迎。
しかし、やはり左膝の状態は万全とはいえず。
テーピングと三重サポーターで、どうにかもったような次第。
心肺機能のテストを兼ねて緩やかな山道を50歩ほどジョギング。
しかしあっという間にヘロヘロになるという情けなさ。
そうはいっても天候と体調次第では今月中あと1日くらいは出かけよう、などと早速資料整理などの算段にとりかかるのでありました。
奥浅間の砦手前まで行かれましたか~
私は昨年訪れた際に手前の浅間神社にて
日没を迎えました。
やはり浅間神社の平場は曰くありげですね。
入野碑の建つ平場は怪しいですか。
私も近いうちに見に行きたいです。
往復5時間は慣れれば楽しいものですよ(笑)
私も5~7時間は当たり前になってきました。
この間は長野伊那日帰りでした。
最長で会津~須賀川7城めぐり日帰り遠征というのもありました(笑)
吉井町が苦にならなくなれば安中、富岡も変わりませんよ(笑)
しかし、くれぐれもお体や運転に気をつけてくださいませ。
上州に進出したばかりにも拘らず、つい「快楽」の音から、「甲斐、楽」などの文字を連想いたしまして御座いまする(汗)
>奥浅間の砦手前まで行かれましたか~
>私は昨年訪れた際に手前の浅間神社にて
>日没を迎えました。
>やはり浅間神社の平場は曰くありげですね。
>入野碑の建つ平場は怪しいですか。
多比良(新堀)城方面から眺めた時より、気になっておりました地形にございまする。
付近にゴルフ場が所在しておりますので、恰も高山城を思い出しまする。
奥浅間山への尾根筋の大規模な削平も武田氏のものとされる西側の塁蹟と見間違うばかりにございまする(爆)
余談ながら、高圧線下のロウバイの幼木がボチボチ見頃にございまする。
>往復5時間は慣れれば楽しいものですよ(笑)
>私も5~7時間は当たり前になってきました。
>この間は長野伊那日帰りでした。
>最長で会津~須賀川7城めぐり日帰り遠征というのもありました(笑)
むむ...そこまではとても気力、体力、集中力が持ちませぬ(汗)
四半世紀ほど以前ならば、500CCの軽にて新潟県の荒川村(当時)まで仕事での日帰り経験が。
しかし当時は制限速度80km。
もっとも極端に風圧に弱い箱形タイプ。
とてもそれ以上の速度は出せませぬ。
往復10時間以上を単独運転するのは、誠に辛うございました。
おまけに復路はお馴染の濃霧が発生して月夜野~渋川通行止め。
朝5時前に出発し、帰宅は翌日の24時過ぎ(爆疲)
>吉井町が苦にならなくなれば安中、富岡も変わりませんよ(笑)
>しかし、くれぐれもお体や運転に気をつけてくださいませ。
往路は兎も角、復路の睡魔との格闘を考慮いたしますれば、せいぜい頑張っても甘楽、富岡、安中辺りまでかと。
お気遣い誠に忝く。
それ以上となりますれば、ビジネスホテル泊まりの仕儀にて(苦笑)